Outdoor Gearzine "アウトドアギアジン"

「美しく、消えない炎」を実現した東京2020聖火リレートーチの燃焼機構は、アウトドア向けバーナー技術から生まれた

3月26日、このままの予定で行けばいよいよ東京2020オリンピック聖火リレーが福島県からスタートします。※
※3月25日現在、残念ながら東京2020オリンピックは延期が決定し、26日に福島をスタートする予定の聖火リレーは大会の延期の時期に合わせて、新たな日程を定めるとのことを明らかにしました。

そんなこと、これを読んでいるアウトドア好きの皆さんにとっては関係のない話題かもしれません。でも実はこの聖火リレーで使用されるトーチには、アウトドア用バーナーの燃焼機構の技術が深く関わっているということはご存知でしょうか。

今回ご縁があって、この東京2020聖火リレートーチの燃焼機構の製造担当である新富士バーナーを訪ねることができました。取材当日はトータル10,000本にも及ぶ東京2020オリンピック聖火リレートーチをまさに絶賛組み立て中。

ズラリと並んだオリンピック聖火リレートーチ。レアな光景。

そこでは東京2020聖火リレートーチ開発にまつわるお話だけでなく、貴重なトーチの燃焼試験の様子も実際に見せてもらうことができました。そこで今回はアウトドアに限らず、道具づくりの情熱に触れることができたこの1日について、共有したいと思います。

東京2020聖火リレートーチというチャレンジ

福島県の被災地の子どもたちと描いた桜の絵がきっかけとなり、「桜の花」をモチーフに吉岡徳仁さんがデザインしたというそのトーチは、新幹線などの製造にも使われている「アルミ押出成形」という技術を用いて作られた、継ぎ目のないデザイン。オリンピックの聖火リレートーチは「桜ゴールド」と呼ばれる、桜の開花をイメージした淡くピンクがかった金色で、一方パラリンピックの方は桜の満開をイメージした「桜ピンク」と、2つの大会それぞれで微妙な色合いの違いを見せています。

右から順にアルミ押出成形によって成形されてすぐのアルミ、オリンピック聖火リレートーチ、パラリンピック聖火リレートーチ。

左から順にアルミ押出成形によって成形されてすぐのアルミ、オリンピック聖火リレートーチ、パラリンピック聖火リレートーチ。

このトーチの燃焼機構の製造について、吉岡さんは国内100社にも及ぶバーナー会社に掛け合ったそうですが、ほとんどが「不可能」と断られてしまいました。

それもそのはず、オリンピック聖火リレーは、比較的安定した気候のヨーロッパ等ならまだしも、ここ日本となると状況は異なります。まだ乾燥した肌寒い春先3月に始まり、ジメジメとした梅雨の6月を抜け、40℃近くにもなる真夏の7月まで、多様な気象条件のなかで行われます。そのような過酷な天候にあっても聖火リレートーチは常に美しい炎を、消えることなく保ち続ける高い性能を備えている必要がありました。そんな無理難題に応えられるバーナー会社、そう簡単に見つかる訳がありません。

しかし、ついに話に応じた唯一の会社が現れます。それが私たちアウトドア好きにはおなじみ、新富士バーナー。デザイナーの吉岡さんと出会ったのは2017年11月。

「消えないこと」と「美しく見せる」ことをひとつの燃焼機構で、しかも四季のある日本という過酷な環境の中で実現する。今まで誰もやったことのないチャレンジがそこにあり、それは我々にとって挑戦する価値のあるものでした。

新富士バーナーの専務取締役 山本宏さんはそう話してくれました。

トーチの燃焼機構について語ってくださったのは、新富士バーナー専務取締役の山本宏さん

「美しく、かつ消えない」炎はどうやって実現したのか

スタートは「プラチナランタン」

本物の松明のような美しい色の炎は、アウトドアバーナーでいえば、給気口から空気があまり入らないような状態の炎であり、それ自体は比較的容易に作り出せます。ただ、それでは炎としては低温で弱くどうしても雨風などで簡単に消えやすいものになってしまいます。

聖火である以上、消えないことを優先させれば、バーナーは十分な酸素と混ざりあった強い炎を作り出す必要があり、それは青く透明な炎となってしまいます。過去の大会の聖火リレーを見たことがある人ならば分かるかもしれませんが、たいていの場合、いくら聖火といえども昼間のリレーでは炎は基本的に透明で見えづらいものでした。

自分が聖火リレートーチを作るならば、なんとかそれを昼間でも美しく輝く炎にできないか。山本さんもずっと考えていました。

日中でも美しくゆらめく炎が見え、なおかつ消えない炎であることを実現する方法として、考え続けた挙げ句、ふと閃いたのが、白金によるプラチナランタンの仕組みでした。

プラチナランタンは、マントルもホヤも不要で光を放ち、プラチナの触媒作用によってその表面では触媒燃焼が発生します。その構造上、風に強いというのは分かっていたので、あの仕組みを聖火に応用できないか。聖火リレートーチの燃焼機構はそこからスタートすることとなりました。

直径3cm、高さ15cmほどの大きさしかない小さな燃焼機構の中に、美しく消えない炎を作り出す仕組みが詰め込まれている。

美しい炎と、それを絶対に消さない燃焼機構の仕組み

たどり着いたのは、美しい炎を作り出す周辺部分と、それらの炎を消さないように保炎する(なおかつ美しく見せる)中心部分の2つの燃焼部分をあわせもった、まったく新しい燃焼機構です。

中心には種火と保炎機能を司るプラチナドームが、桜の花びらの根元部分に微細な赤い炎の火口が開いている。

周辺部の炎は、5つに分かれた桜の花びらの部分からそれぞれ吹き出し、トーチのおよそ35cm上方でひとつにまとまるように、綿密な計算のもとデザインされています。

5カ所(厳密には10カ所)から噴き出た炎が上方でひとつにまとまり、まるで本物の松明のような炎を作り出している。※テスト用のトーチを使用

そして中心のプラチナ部分は常に輝き続けます(プラチナのドームの下ではバーナーの青い炎が出続けている)。それは雨風にめっぽう強く、たとえ風で消えそうになっても触媒燃焼が効いているので、常に保炎されています。このため周りの火は炎としては消えやすいにもかかわらず、常に中心の保炎機能によって、美しく燃え続けられるのです。

中心部分のプラチナドームは常にまぶしい輝きを放ち、周りの炎を消さないように保炎しつつ、トーチ全体の美しさを引き立てている。※テスト用のトーチを使用

つまり周辺の赤い炎、バーナーの青い燃焼、そしてプラチナの触媒燃焼の3つが融合することで、消えない聖火を作り出しているという仕組み。

白金そのものの輝きと、その周りに聖火の赤い炎を合わせ、美しい炎の形を保ち、さらに中心部の白金は保炎の役割をも兼ねている。このように炎を2つに分けたという仕組みが技術的なポイントで、これまでにない安定して美しい聖火が作られた大きなポイントです。

実際にどれほど雨風に強いのか試してもらった

今回は新富士バーナー本社敷地内にある実験棟にて、耐風テストと耐雨テストを見せてもらいました。まずは耐風テストから。テスト用の聖火リレートーチに点火した状態で、風速17メートルの風を吹かせます。

テストでは風速17メートルの風を直接当て続けたが、炎が消える気配は全くなし。※テスト用のトーチを使用

下の写真のように、風で吹かれた炎はトーチの中に巻くようにはためくものの、まったく消えることなく燃え続けていました。風速17メートルといえば、実際には聖火リレーイベントの開催も危ぶまれるほどですが、テストではそのレベルまでの安全性を確認しています。

風を避けるかのように花びらの中にはためく炎は中心のプラチナによって常に燃え続けた。※テスト用のトーチを使用

次は耐雨テスト。人工的に激しい雨を降らせ、その下にテスト用の聖火リレートーチを配置します。

耐雨テストの様子。傘の感じで分かる通り、かなりの雨が降っています。

ここでも、中心のプラチナは雨をはじきながら白く光り続け、周辺の炎はびくともしませんでした。なおテストでは50 mm/hの土砂降りの雨を想定した状況まで行っているそうです。

プラチナドームの上に落ちた雨粒はピンと音を立てながら蒸発し、炎はびくともしなかった。

常に美しい炎の形を保ち続けるためのさらなる仕組み

炎を常に美しく見せるために乗り越えるべき壁はもうひとつあります。それは気温差です。一般的なガスバーナーというのは、冬の低温下ではガスが噴出しにくく、夏の高温下では吹き出しやすくなっています。つまり、気温によってガスの噴き出し方が異なるため炎の大きさも変わってしまいます。これでは常に炎を「美しい状態」を保つことは難しい分けです。

実は、それを解決しているのも新富士バーナーのアウトドア向けバーナー由来の技術。冬期や高所登山でもバーナーの火力を最大限に発揮させるために開発された、「マイクロレギュレーター」機構です。これはどんな気温でもガス圧を一定に保つ機能で、聖火リレートーチにもこの機構を搭載することで、3月の春先から8月の真夏など、どんな環境であっても常に「高さおよそ35cm」の炎が出るように調節されています。

左は40℃前後のお湯、右は0℃に近い氷水。どちらの状況でも炎の大きさは変わらない。

ユニバーサルデザインへの挑戦

軽く、小さく

聖火リレートーチを実際に持たせてもらって、その見た目以上にかなり軽いことに驚きます。実はそこにもデザイナー吉岡さんの想いと、それを実現した新富士バーナー他製造業者の技術力が反映されているとか。

当初は最終形よりも大きなサイズで作っていた燃焼機構は、突き詰めていくなかでどんどんコンパクトにするよう依頼がありました。その過程では100種類近いサンプルを作り、極限まで小型化・軽量化していきます。

その結果、微細な10箇所の火口を新たに作り出し、当初の半分以下の3cmほどまで小型化することに成功しました。

燃焼機構の内部が分かる断面モデル。下から噴出したガスは中心のプラチナドームへ行く通路と、サイドの火口に流れていく通路に分かれている。

持ちやすく、落としにくく

極めつけは燃料ボンベが収納されたグリップ部分です。

このトーチの燃料は最大でおよそ15分燃えるだけの量が入っています(実際には200m程度を走る想定です)。点火して、炎が噴き出ている部分は当然熱を持ってきますので、継ぎ目のないアルミで作られたトーチは、持ち手が熱くなりすぎて持てなくなってしまうはずです。しかし、このトーチではそれが起きません。

そのからくりはというと、バーナーが燃焼すると、逆にガスボンベは気化熱によって温度が下がるということは、アウトドアでガスストーブを使ったことがある人ならば分かるかと思います。このトーチはそのボンベ温度の低下を利用し、トーチが燃えている間も持ち手が熱くならないように設計されています。素材がアルミであることや、アルミの厚さなど、すべてこの熱交換と軽さのバランスまでをも入念に考えられたうえで作られています。「ただ軽ければいい」とむやみに薄くするのでなく、きちんと使いやすさを失わない絶妙な厚さにしてあるというわけです。燃焼機構としての完成度にとどまることなく、実際に使用するという視点からも、デザイナー吉岡さんはじめ製造業者の、本当にいいものを作るという精神が細部まで妥協なく貫かれています。

薄いアルミにもかかわらず、燃え続けても熱くならないグリップは、目の不自由な人が握っても向きが分かるような突起がついている。最高の使い勝手を可能にする道具は使う人を選ばない。

もし軽くするだけだったらチタンでもいい。しかし熱伝導を利用することを考えると、銅やアルミなどの素材が選択肢になります。さらに一方で「復興」という要素もある。東日本大震災の復興仮設住宅のアルミ建築廃材を再利用するということができればどんなに素晴らしいか。デザイナー吉岡さんの企画・デザインのもと、いろいろな要件がすべて満たされた結果、この完成品にたどり着いているといいます。工業製品としてここまでの完成度を実現するそのプロフェッショナリズムには感嘆するしかありません。

まとめ

グラフィックとしてのデザイン、構造としてのデザイン、機能としてのデザイン、それらがすべて融合し、そしてなおかつ震災と復興という物語をも背負い、聖火リレートーチは見事に、目で見て手に取って実際に使えるプロダクトとして結実していました。今回、聖火リレートーチに込められた純粋で強い想いと、妥協のない職人魂にじかに触れることで、オリンピック・パラリンピックに対する個人的な思い入れが深くなったことは間違いありません。

オリンピック・パラリンピックというと、どうしても競技やアスリートが注目されがちです。ただ、聖火リレートーチの燃焼機構という微細な部分にも、オリンピック・パラリンピックに注がれる多くの人々の想いや情熱といった物語が等しく横たわっているのだということは、知っていて損はないことではないでしょうか。

東京2020聖火リレートーチ制作者

東京2020オリンピック聖火リレーについての詳細やお問い合わせは公式サイトへ。

モバイルバージョンを終了