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ジョン・ミューア・トレイル 北向き縦走 (2025 NOBO) の記録 【第1章】準備

第1 章 準備

毎年、同じような場所に遊びに行く。ジョン・ミューア・トレイル(JMT)に何回行ったのか、記憶が定かで無くなった。よい機会だから手元のアルバムを見て、調べてみた。最初の頃は南向き JMT が多い。この頃は希望の日にちに Fax を入れれば、パーミットが簡単にとれた。その後、ヨセミテは抽選方式になり、希望の日にちにパーミットがとれなくなった。それでインヨーからの北向き JMT になった。

南向き JMT はヨセミテから入るため人気が高い。近年はドノヒュ ー・パスに関所を作ったので、(Donohue Pass Eligible) の表記のあるパーミットが必要である。人数は少なくなり、ハッピー・アイルの予約分が一日 9名、ライエル・キャニオン (トゥアルム・メドウ) からが一日 18 名である。

それに南向き JMT はドラマテックである。高いパスを一つ越えるごとに風景がすっかり変わる。ドノヒュー・パスを超えると、遠くに平原状に山々が広がる。アイランド・パスを超えるとサウザンド・アイランズ・レイクなどの湖沼群と続いていく。最後にマウント・ウィットニーでフィナーレを迎える。

一方、北向き JMT にも利点がある。大きな利点はパーミットがとりやすいことである。コットンウッド・パスとコットンウッド・レイクスを合わせると人数も一日 50 名ほどである。また、太陽が常に背後にあるので、ハイキング時に強い日差しに苦しめられることが少ない。また、最初に 3,000m まで車で行くので、マウント・ウィットニーまでの標高差は小さい。ただ、高度順化の問題がある。

ジョン・ミューア・トレイルに何回行ったのか

アルバムから記憶を掘り起こしてみる。

※1今回は自宅にいてトレイル付近の天気予報とかを毎日配信してくれた。食料の準 備、宿の予約などをしてもらった。

図 1.1: ジョン・ミューア・トレイルの全体図。赤線が公式のトレイルだが、マウント・ウィットニーからウィットニー・ポータルへのトレイルとか、ホースシュー・メドウからクラブツリー・メドウまでのトレイル、補給のためにオニオン・ヴァレイ往復とか、赤線以外もかなり歩く必要がある。

※2シュルーマーはトレイル・ネイムで、マッシュルームのの専門家である。本名はスコット・ウィリアム、サンフランシスコ近くのマーチネズ在住。15 年以上前からの PCT-L(パシフィック・クレスト・トレイル・メーリング・リスト) のメンバー。これが初顔合わせである。日本での上級公務員相当の仕事をしていて、退職してからはハイキング三昧である。

この後3年、ウィンズ (ワイオミング) に通った。JMT と変わらない素晴らしい風景が広がっていた。

※3両方とも 15 年以上前からの PCT-L のメンバーで、トレイル・ネイムである。トレイル・ハッカーはソフトウェア・エンジニアで、本名はアンソニー・ビーゲン。パイパーは楽器演奏者で、本名はダイアン・ソイニ。

再び、JMT に復帰した。アクセスが容易く、天候が安定している。パーミットさえとれば問題ない。

COVID-19 のパンデミックが起った。また、2020 年 5 月に山で膝をひねって半月板損傷を被った。リハビリに一年以上かかった。

JMT をスルー・ハイクしようとする意識はなかった。単に遊びに行っていただけである。結果的にスルー・ハイクは 6 回、ウィトニー登頂は 8回となった。

パーミットをとる

JMT に通いだしてから、1月末から 2 月初めになると、落ち着かない。インヨーのパーミットは 182 日前の午前 7 時からウェブ上でとれるようになる。ヨセミテは抽選の申し込みになる。どこから入るにせよ、パーミットがすべてである。パーミットがとれなければアメリカのハイキングはできない。パーミットをとれば、歩くコースが決るし、往復の航空機の予約もできる。早く取った方が、何かと有利である。それで、常に 2 月初めくらいにパーミットをとってしまう。

実は、パーミットには二つある。一つは 182 日前にとるパーミット、もう一つは 1~2 週間前にとるウォーク・アップ・パーミット。これはウィルダネス・オフィスに出かけてとるパーミットだったが、パンデミック以降はウェブ・サイトに移行した。ヨセミテは一週間前、インヨーは 2 週間前にとれる。いずれも正確にはパーミット・リザベーション(予約) で、パーミットではない。ヨセミテはとってから 1 日前にウィルダネス・オフィスに出頭して正式にパーミットをとる。バスなどの遅延もあるので、レイト・ピックアップ (遅めのピックアップ) とした方がよい。インヨーでは8~9 日前にウェブ・サイトで印刷可能になる。PDF にしてから印刷しておくと何枚でも印刷できる。印刷された物が正式のパーミットで、PDFは認められない。

さて、Recreation.gov のサイトでパーミット取得可能になるのは 182 日前の午前 7 時である。これは現地時間なので、日本時間では夜中の 12 時ジャストである。クリック合戦になるので、パーミット取得可能時間は夜中の 12 時から 12 時 10 分くらいである。その後はキャンセルがないと、とれないので、諦めて早めに寝る方がよい。

北向き JMT に好都合なのは、Cottonwood Pass と Cottonwood Lakesだが、Cottonwood Lakes は New Army Pass というやや険しい峠越えになる。湖が多く、景色はよいが、峠に雪があると、アイスアックスとクランポンがないと超えられない。7 月中なら厳しいだろう。それで一般的には Cottonwood Pass のパーミットをとった方が安全である。

とり方はサイトにアクセスし、 Commercial Guided Trip? に No を選択し、Permit Type を Overnight か Overnight Exiting Mt Whitney を選ぶ。Overnight Exiting Mt Whitney は Whitney Portal を経てローン・パインに下りるという意味である。JMT の途中から入り、ウィットニーに登り、ローン・パインに下りる時にのみ選択する。

Cottonwood Pass の時は Overnight でよい。Cottonwood Pass からスタートすると、ウィットニーに東から登り、東に下りて、JMT の北上を続ける。そのほかは人数と日にちの選択である。

夜中の 12 時に誰よりも早くクリックして取得するために、ウェブ・サイトの画像枠を自分のチックする範囲に狭めておこう。なお、コンピュータにはキャッシュという過去画像が入るので、カーソルを動かして画面のリフレッシュを頻繁に行い、人数の 0 が別の数字になった時に素早く取得
する。この時の画像を図 1.2 に示す。

図 1.2: インヨーのパーミット取得画面。じっと見ていても画面は変化しない。自分で画面のリフレッシュを頻繁に行うこと。夜中の 12 時から 10分間くらいが勝負である。画像は 9 月なので 7 月末とは少し違う。

パーミットは入る日と出る日を書いて、その間の行程を記入するのだが、とりあえず、買い物かごに入れて、購入後に修正できるので、以下のリストを参考にして短縮して自分の行程を作るとよい。一応は登山届のようなもので、行方不明の時には参考にされる。もちろん、ほとんどのハイカーはガーミンの inReach 機材を持っているので、緊急事態の時にただちに SOS 発信するので、現実には使われることはない。行程表を律儀に守る必要はまったくない。

まず、1 月 26 日の夜中に Cottonwood Pass をとった。入るのが 7 月 22日、出るが 8 月 21 日、費用は 11 ドルである。ちょっと時期が早いかもし
れない。もう一度 1 月 25 日にとった。入る日は7月 25 日、出る日は 8 月 21 日である。7 月末なら Cottonwood Pass の雪はほとんど消えているはずである。先にとったパーミットをキャンセルして、6 ドルの払い戻しがあった。なお、このキャンセル分はしばらくすると、ウェブに掲載され、誰かがとることになる。

行程表を以下に示す。これを短縮して自分の行程表を作るとよい。もちろん、パーミットの期間は長めにとっても問題はない。

  1. Chicken Spring Lake (PCT- Cottonwood Pass)
  2. SEKI – Rock Creek(84)
  3. SEKI – Crabtree (83) → Mt.Whitney 往復
  4. SEKI – Crabtree (83)
  5. SEKI – Tyndall Creek(80)
  6. SEKI – Center BAsin – Vidette (65)
  7. SEKI – Bubbs Creek (66)
  8. SEKI – Charlotte Lake (83)
  9. SEKI – Kearsarge Lakes(64) → resupply
  10. SEKI – Kearsarge Lakes(64)
  11. SEKI – Rae Lakes(62)
  12. SEKI – Twin Lakes (58)
  13. SEKI – Upper Basin(46)
  14. SEKI – Palisade Basin(45)
  15. SEKI – LeConte Canyon (39)
  16. SEKI – Evolution Basin (34)
  17. SEKI – Goddard (28)
  18. Senger Creek JMT – Sallie Keys near Florence Lake
  19. Marie Lake JMT – Seldon Pass
  20. Bear Creek Meadows Upper JMT – (Lake Edison) → resupply
  21. Bear Creek Meadows Upper JMT – (Lake Edison)
  22. Silver Pass Lake JMT -north of Lake Edison
  23. Tully Hole JMT – Upper Cascade/McGee Pass
  24. Purple Lake JMT
  25. Deer Creek JMT junction (South of Devils Postpile)
  26. Gladys Lake (JMT – North of Devils Postpile)
  27. Garnet Lake JMT- Thousand Island Lake
  28. Island Psss JMT – Thousand Island Lake
  29. Marie Meadows JMT (Rush Creek)
  30. Yosemite – Tuolumne Meadows/Lyell Canyon
  31. Yosemite- Cathedral Lakes
  32. Yosemite – John Muir Trail- Little Yosemite

パーミット違反は

パーミットを持たないで、アメリカの国立公園でキャンプすると数千ドルの罰金か、禁固刑と言われる。パーミット違反者を知らないので、どこまで本当かしらないが、たぶん、一番、厳しい罰則が待っている。すべての国立公園から締め出されることもありうる。

私はどうかという。ちょっとしたパーミット違反はいくつもやっている。見つからなかったので、逮捕はされてない。今回のハイキングでも、退屈のあまり、一日前にコットンウッド・パスを越えてしまった。また、千恵子を連れて何回も JMT を歩いたが、二人分のパーミットをとって、途中から参加させたので、完全に違反である。シュルーマーに言ったことはあるが、「nobody cares (だれも気にしない)」ということだった。

パーミットは環境保全のためなので、二人分のパーミットをとって一人で歩いてもとがめられることはない。ただし、途中からもう一人が参加するのは違反である。公式見解ではメンバーは最初から参加しないといけない。しかし、だれも気が付かない。つまり、だれも気にしない。

パーミットは一つの連続的なハイキングに対して与えられる。連続的なハイキングとはウィルダネスから出ないことで、補給に町に下りても 24時間後に出たトレイルヘッドに戻ればよい。ところが、町に二日も三日も滞在すると、連続性は壊れるので、改めてパーミットをとらなければいけない。しかし、実際には気にする人はいないし、レンジャーもよほど行程表との食い違いがない限り、見逃してくれる。そもそも筆者はヴァーミリオン・ヴァレイ・リゾート (VVR) に三日ほど滞在し、ハイカーズ・バレルで食料あさりをしたり、捨てられた貴重品を探したりするのが趣味なので、パーミット違反であるが、この辺りをうるさくいう人はいない。アメリカのフェイス・ブック・グループには、たまに口うるさい人がいるので、そこでは発言しない。

パーミット取得は絶対的に必要だが、その運用はそれほど厳しい訳ではない。ただし、トランプ政権になり、外国人には厳しくなったようなので、筆者と同様の違反をしてレンジャーにチェックされれば、すべての国立公園から締め出されるかもしれない。特に、QR コードをスキャンされると、Recration.gov に入力した個人情報と照合される。油断しない方がよい。

図 1.3: 実際のパーミット。グレン・パス近くでチェックを受けたので、 SEKI-116@Glen Pass 8/1 の署名がある。レイ・レイクスでもチェックを受けた時は QR コードをスキャンされた。個人情報がコンピュータに送られるので非常にやばい。ドノヒュー・パスではノートにメモをとっただけだった。これはぜんぜん怖くない。

パーミット以降の手順

パーミットをとると、後はすべて自動的に決ってくる。筆者がと ったパーミットは7月 25 日で、8 月 21 日までの期間である。

航空券の購入

トレイルに入る日と出る日が決れば、往復の航空券を購入する。トレイルに入る前の一週間ほど前にアメリカに飛び、ハイキング終了後、4~5日後に帰ればよい。そこで、2 月になると、 ANA のサイトにアクセスして、航空券を買った。最近は少し贅沢させてもらい、プレミアム・エコノミーを使っている。足元にゆとりのある最前列の席はうまりがちなので、すぐさま押さえておく。

旅行保険

アメリカの医療費は日本の数百倍である。保険がないと破産する。注意しないといけないのは、保険会社によってはクランポンやアイスアックスを持っていくだけで、保険が下りない。そこを確認した方がよい。損保ジャパンは OK で、旅行中に壊れた物品の保証もある。カメラを車の振動と落下で 2 回も壊したが、損保ジャパンで 2 回とも無償修理となった。

ホテルの予約

飛行機を決めれば、その日の宿が必要になる。ロスアンゼルスにはきれいなホテルはなく、最近は諦めてユニオン・ステーションの傍の都ホテルにしている。値段は高いが、一応、安全で、清潔である。ただし、室内設備は悪く、だだっ広いだけである。高いが美味しかった朝食ビッフェも酷くなった。アメリカの物価高と景気の減速が影響しているようだ。一泊すれば十分なので、ただちにローン・パインに移動する。モーテルはポータル・モーテル 2 泊とした。都ホテルより安いが、やはり高い。さっさとホースシュー・メドウに入って二泊することにした。ヨセミテまで歩き、ロスアンゼルスに戻るが、最後に都ホテルに二泊とした。

リサプライ

昔のように、ホースシュー・メドウからVVR まで、二週間分の食料を担いで歩く体力がなくなった。オニオン・ヴァレイで補給しないといけない。数年前はインデペンデス・インに宿泊したが、町は小さくサンドイッチ屋さん程度しかなく、標高が下がるので、夜に寝られない。そこで、オニオン・ヴァレイから下りないで、そこで単に食料補給することにした。シャトル・ドライバーのクルトさんにメールを入れ、7 月 23 日にホースシュー・メドウまでのシャトルとリサプライをオニオン・ヴァレイまで届けることを依頼した。シャトル代が 80 ドル、リサプライの配達料が 60 ドルであった。クルトさんは約束をきっちり守る信頼できる人である。チップは不要、価格は相場通りである。アメリカ在住ならリサプライをあらかじめオニオン・ヴァレイのフード・ボックスにいれておくことは可能だろう。

交通手段

LAX からユニオン・ステーションだが、ここはフライアウェイという高速バスが便利である。昨年からタッチ式のクレジット・カードのみしか受け付けない。そこで、タッチ式のヨドバシ・カードを用意した。アムトラックでユニオン・ステーションからランカスターまで移動するが、ここも予約できない、現地購入となる。ランカスターからローン・パインまでの ESTA バスはサイトで予約できる。

ESTA 取得

ESTA にはもう一つある。アメリカの電子渡航認証システム(Electronic System for Travel Authorization:ESTA) (https://esta.cbp.dhs.gov/) である。アメリカのホテルの予約をしてからの方が記入しやすい。日本語にも対応しているので、このサイトから申請するとよい。費用は 21 ドルで、2 年間有効である。

準備が万端整った時、ジェイムズ・ヴェセラーさんからフェイスブックのメッセンジャーが入ってきた。

「夏の行程表はできたか。トレイルのどこを歩くのか。いつ飛行機で来て、いつ帰るのか?」

ジェイムズさんとは特別親しくしていた訳ではなかった。フェイスブックの知り合い程度にしか考えていなかったが、実は 15 年ほど前からPCT- L(パシフィック・トレイル・メーリング・リスト) の知り合いだったらしい。ジェイムズさんは筆者のことをよく知っていた。トレイルに入る前に自宅にくるように誘われたが、飛行機のスケジュールを変更する必要があるので、これはお断りした。

その後、5月 14 日にジェイムズさんからメールがきた。

「ミューア・トレイル・ラーンチ (MTR) の予約をとった。8月 10 日と 11 日の宿泊だ。今、どうしている。俺は 16 日までヨセミテにいて、4 マイルのトレイルを歩いて戻ったところだ。グレイシャー・ポイントにはわずかに雪があるだけだ。」

彼は自分のスケジュールをシェアして、私に MTR で合流するように強く誘った。正直にいって、スケジュールを拘束されるのは嫌だった。しかし、MTR に 8 月 10 日に行くのは、それほど難しくない。わざわざ、筆者のスケジュールに合わせて MTR を予約してくれたようだ。無碍に断るわけにもいない。そこで了承した。そこで、珍しく 8 月 10 日に MTR 到着というスケジュールが入った。

主要装備

2025 年の JMT の装備をたまたま撮影していたので、図 1.4 に示しておく。筆者の装備はアメリカのハイカーの 2 倍くらいの重量 (最大で 28kg ほど) なので、歩荷トレーニングしておく必要がある。

図 1.4: 2025 年の JMT 装備

主要装備のみ解説しておく。

スリーピング・バッグ

サーマレスト- 6 ℃対応、エア・マットレスは R 値 4.0 で、氷点下対応である。2025 年は非常に暑くて、テント内温度の最低は 8 ℃であった。ただし、テントが凍っている時も数回あった。JMT では数回は氷点下になるので、備えておくこと。

テント

Vango の Helium UL2 で、二人用のダブル・ウォール・テントである。入り口が2か所あるので、暑い時は風通しがよく、寒くなると二つの入り口を閉めると温かい。このテントは非常に快適であった。

バックパック

スーリーの GuidePost 65 で、たわまないように補強済み。また、フロント・ポケットにアーンの Universal Pocket を加工して取り付けた。左にソニーのフルサイズ・ミラーレスを入れ、右に書類やギアなどを入れる。GuidePost のヒップベルトはスイングするので、歩行動作を妨げない。ただし、3.4kg もあるので、ハイキングの後、マムートの Ducan Spine 50-60 に買い替えた (図 1.6)。こちらもヒップベルトとショルダー・ハーネスがスイングする構造になっている。

食料

α米と乾燥納豆のブレンドが主食だが、5 分ほど炊いているし、 オカズもみりん干しなどは焼いている。それでストーブ・システムは高能率で分離型のプリムスのプリマテックである。重いけど、必要だから持っていく。

洗面用具

洗面用具はフル・セットである。髭剃りから乾電池式の電動歯ブラシなどを含む。長年の間の歯のトラブルに悩んできたので、きちんと歯を磨く必要がある。また、アメリカ人のように立派な髭が生えず、せいぜい貧乏髭が少しなので、非常にみすぼらしくなる。最低でも三日に一度は剃る。

衣服

衣服だけはウルトラ・ライトである。ラブのレインウェア上下と、綿、ポリエステル、ウールの T-シャツ、短いショーツ。就寝用としてラブの薄いフリースの長袖シャツ、REI の古いタイツ、ホグロフスの薄いダウンジャケットである。寝る時はウールの T シャツにポリエステルの T シャツを重ね着する。

カメラ

ソニーのフルサイズに20-70mm ズーム。これだけで1.2kgある。その関係でソーラー・パネルに 20,000mAh のバッテリーを張り付けて使っている。ガーミンの時計とか messenger plus とかスマホに供給するためである (図 1.7)。とてもウルトラライトは無理である。

JMT 用特殊装備

JMT 用特殊装備としてベア・キャニスターという食料保管のためのケース、浄水器、お尻洗浄器などがある。ベア・キャニスターは持っていないと違法である。浄水器は必須アイテムである。ジアデルフィア症になると、二週間垂れ流しで、行動不能になる。トイレット・ペーパーは持ち帰りが義務づけられているので、なるべく使わないでお尻洗浄器を使う。

ナビゲーション

ナビゲーションとして、ガーミンの fenix 7 に入れたフリーの地形図 DesertSouthWest を使った。GPS はなくてもよいが、目的のキャンプサイトまで、あと 200m とか、はっきり分かるのがよい。なお、紙の地図は Caltopo で、筆者がルートやキャンプ地を書き入れたものである。これはダウンロードして好みの縮尺で印刷できる (https://caltopo.com/m/SHN7)。

行動食

行動食らしいものは食べない。サプリも同様。筆者にとってのサプリはビタミン D3 と皮膚の健康のための素焼きアーモンド、デザートとしての乾燥果物である。日焼け止めも塗らずにアメリカで毎年黒焦げになっていたので、日光角化症 (ガンの一種) にかかり、懲りてしまった。それで、日焼け止めを塗り、皮膚の栄養剤としてアーモンドを食べている。一年ほど続けると皮膚に透明感が増してきた。今年は皮膚のダメージがほとんどなかった。

図 1.5: インデペンデンス・インの経営者だったジム (左) とシャトル・ドライバーのクルト (右)。いずれもドイツ系の名前である。ジムは芸術家肌でインの扉なども手作り、写真撮影で不在にすることも多く、気の向いた時しかインに泊めないようだ。どうも汚い PCT ハイカーが嫌いなようだ。筆者は日本人だからか、非常に気に入られた。彼はインを売り払って姿を消した。クルトさんは律儀な約束を守る人である。日本人をひいきにしてくれている印象である。2022 年撮影。

図 1.6: ハイキングの後、バックパックはスーリー GuidePost 65 からマムートの Ducan Spine 50-60 に変更した。耐久性は未知であるが、ヒップベルトによく重量がかかり、歩行姿勢を妨げない。

図 1.7: カメラなどの電子機器類。多数に上るので、電源バックア ップにも神経を使う。

図 1.8: ハイキングの後、時計は Garmin fenix 7 から EPIX Pro 51mm に変更した。フリーの地形図は DesertSouthWest である。リスト・コンパスは即座に方向を見定める時に有用。紙の地図は Caltopo。なお、Garmin Messenger Plus は通信用で、写真も簡単に送れる。

食料計画

食料をどれだけ持てばよいか。最初の JMT の時にはまるで分からず、結局、4~5kg 痩せてしまった。今は、理論的にも実際的にもよく理解できている。詳しくは、「ハイキングの科学」をみてほしいが、簡単に引用しておく。

日本人の平均体重を男性 65 kg、 女性 53 kg として、それぞれ体重の20%のバックパックを担いで 8 時間行動すると、消費カロリーは男性は4,368 kcal、女性は 3,562 kcal となる。これを食料の乾燥重量に換算しよう。カロリー比で、炭水化物 60%、タンパク質 20%、 脂質 20%(バランス・ダイエット) と仮定すると、各 4 kcal/g、4 kcal/g、9 kcal/g である。すると、乾燥重量 1kg では 4 × (600 +200) + 9 × 200 = 5, 000kcal となる。つまり、5,000 で割ると、必要な食料は、男性 0.87kg と女性 0.71 kg となる。

要約すると、平均的な日本人の男性では 0.9kg、女性では 0.7kg が 一日に必要な食料である。JMT は高度が 3,000m 以上の所が多く、高所障害で食欲がなくなり、食べられなくなることも多い。その場合は、理論 通り、カロリー不足なので、痩せてしまう。

筆者がハイキングで食べてきた食品リストを図 1.9 に示す。これを一日あたり 1kg に調整する。10 日なら 10kg の食料を持てば足りる。

日本からアメリカに食品を送る場合、郵便局の EMS を利用する。今回、困ったのは鯖缶. 一覧表にないので、鯖の加工品とした。ちなみに 26 日分の食料 (ビーフ・ジャーキーなどは現地調達) を送って 56,000 円ほどかかった。一日あたりの郵送費は 2,100 円。しかし、アメリカの物価はかなり高い。一日 3,000~4,000 円かかるだろう。現地調達不能の食品も多い。郵送して失敗ということではないと思う。

アメリカで自分用の食料を買いそろえるのは時間がかかるし、口に合うとは限らない。一度、サンフランシスコで全粒粉のクスクスを買ったら酷い臭いがして食べられなかったし、登山用のフリーズドライ食品も二人分一パックで 10 ドルほど。二パック食べないと足りないし、メキシコ系の食品はひどく刺激的な味が付いていることある。乾燥野菜などは入手困難である。

フライトが近づくと

出発一ヵ月前には、いろいろ忙しくなる。α米、ドライ納豆、ドライ・フルーツなどは千恵子が購入してくれる。チーズやみりん干しなどは購入して、フードシーラーで密閉し、煮沸消毒して、長期保存対応にしておく。 JMT パンも三本は必要なので、焼いてから 1/4 の大きさに切り、フードシーラーで密閉して、煮沸消毒する。こうすれば腐ることはない。

リサプライは、VVR に直接送るが、オニオン・ヴァレイの場合はローン・パインのポータル・モーテルに送り、ビーフ・ジャーキーやエナジーバーを追加してからクルトさんに渡す。従来、郵便局の EMS は三日ほどで着いていたが、ホームページで確認してビックリ。一週間ほどかかるという。そこで出発の一週間前に送った。

次に、パーミットの印刷である。一応、公式には一週間前に印刷可能になるのだが、毎日、チェックすると、九日か十日前に印刷可能になる。印刷可能になるや、ただちに PDF に出力して、それを印刷して署名する。パーミットは印刷物として持ち歩く必要がある。

最後は、ANA のコンピュータ・チェックイン。今まではシンガポール航空だったので、搭乗の二日前から可能だったが、本当に 24 時間前でないと不可能だった。ただ、難しくなく、搭乗券の印刷までできた。

図 1.9: 食品リスト。ほとんどは簡単に入手できる乾燥食品である。フリーズ・ドライのパックは食べない。

図 1.10: 7 日分のリサプライ。③は三日分のオカズを現地調達する意味である。VVR、オニオン・ヴァレイのリサプライは郵便局から送る。

ロサンゼルスへ

成田第一ターミナルには昼過ぎに行った。早めに行って昼食を無料で食べる算段である。コンピュータ・チェックイン済なので、荷物を預けるだけで、今までより簡単だった。ANA ラウンジのビュフェは野菜、果物、パンなどが十分にあり、大変ありがたかった。実は、米と相性が悪く、すぐに浮腫んでしまう。パン大好き人間で、野菜、果物は良いとして、甘いお菓子も大好きである。とりあえず、ANA ラウンジは気に入って二時間あまり食べ続けていた (図 1.12)。

機内に乗り込んでしばらくすると、少しだけ高級なビジネス・クラスの夕食が待っていたが、すでにお腹いっぱいで、わざわざ注文するほどではなかった。イスは少しだけ広め、脚のスペースも大きいので、ゆったりと座れた。機内用として、お尻洗浄器を持ち込んだが、飛行機はウォッシュレットになっていた。また、ボーズのノイズ・キャンセリング・ヘッドフォンを持ち込んだが、備え付けのヘッドフォンはノイズ・キャンセリング・タイプで、耳栓も貰った。ブルートゥース化するアダプタを差し込む場所もなく、無駄な物を一ヵ月ずっと持ち歩くことになった。

飛行は順調で、乱気流もなく、LAX に着いた。イミグレーショ ンでの質問はいつも通りだったが、帰りのチケットを見せろと言われた点だけが異なっていた。預けたバックパックはそのまま出てきて、中身が検査された気配はなかった。フロント・ポケットを取り付けて出口に向かった。もう出口でのチェックもない。そのまま出て行っただけである。

図 1.11: 日本郵便の EMS 物品リスト。物品の HS コードの記入が義 務付けられる。一覧表を見るか、通関士.com で検索すると簡単。一度、記入すると内容が保存されるので再利用可能。カラー・プリンタで印刷すると、きれいなラベルが作成される。

図 1.12: ANA ラウンジのビュフェ。ナイフがなくとも、指の力でオレンジを剥いた。右のお椀の中身はぜんざいである。食い意地が張っているので、この写真の二~三倍は食べた。

到着ターミナルは Tom Bradley である。そのまま出ると、すぐにフライアウェイの乗り場がある。ここで、アメリカに住んでいる日本人と出会った。里帰りして、奥さんを連れてきたという。アメリカで仕事をして住んでいる日本人も多い。だいたい一目で分かる。中国人や韓国人とはしぐさや雰囲気が違う。かねて準備していたタッチ式のクレジット・カードをかざして料金を払い、乗り込む。料金は 10 ドル、ユニオン・ステーションまではノン・ストップ、30 分ほどで着く。バスならシニア割引を使うと 1 ドルで済むが、乗り継ぎで一時間半ほどかかる。

都ホテルは歩いて15 分ほど。途中、イスラエルを非難する数人のグループがいて、看板を立てて署名を集めていた。道路にはゴミが散乱していたが、特に荒れた雰囲気はなかった。激しいデモは数週間前に終わった印象だった。パトカーが少し先で様子を見守っていた。警官も退屈そうだった。

図 1.13: 日本人村と都ホテル。日本人村は日本食に興味のない人間には無価値で、都ホテルは清潔で静かなだけである。

都ホテルにチェックインはしたが、まず夕食の心配をしないといけない。ホテルの1階には電子レンジはあるが、部屋にはコーヒー・メーカーと冷蔵庫とテレビがあるだけである。コーヒー・メーカーはコーヒーを作るだけで、湯沸かしができない。つまり、部屋の設備はゼロに近い。
近くの日本人村のニンジャ・マーケットには良い物がなく、少し離れたマルカイ・マーケットに出かけたが、やはり落胆するような内容だった。外食したくなかったので、パン、ソーセージ、野菜、果物を買ってきて夕食にした。ソーセージは塩辛くて食べられない。洗面所にお湯をためて、しばらく浸けて塩出しをした。アメリカのパン、ソーセージ、ハムに含まれている塩分は半端ではない。常に小さな文字で書かれた塩分含有量を読んでから買うが、ハムとかソーセージは選択余地がない。

朝食は 30 ドル以上出してホテルのレストラン多門の朝食ビュフェにしたが、一年前と比較すると、内容が酷くなった。一年前は美味しい牛肉の煮物があり、果物もたくさんあった。今年は牛肉がないし、パンは固くて不味かった。果物は少しだけだった。ヨーグルトは甘い物しかなく、美味しくなかった。相当に採算が悪化しているようだ。それで、帰りには食べないことにした。

ローン・パインへ

2024 年、アメリカ・ハイキング・グループの佐次さん※4が ESTA バスに置いていかれた事件があった。この年は乗り継ぎ時間が 10 分ほどで、列車が遅れたのにバスは待ってくれなかった。しかも金曜日だった。彼は土・日は移動できないと思いこみ、サンタ・モニカの宿に戻ってしまった。ところが、2024 年から ESTA バスは土曜日でも運行するようになっていた。

※4佐次安一。オニオン・ヴァレイからヨセミテまでの長めのハイキングに成功した。

図 1.14: メトロリンクの列車、二階建てで巨大だが、のろのろとしか走れない。一度はランカスターからの帰りに故障して一時間ほど遅れた。でも、筆者は列車が好きで、いつも乗っている。ほとんどの人は車で移動するので、いつも空いている。

ただちにメッセンジャーで佐治さんに連絡を入れた。翌日、彼は再びランカスターに来て、ローン・パインに移動し、パーミット取得に成功した。なお、2025 年から ESTA バスは毎日運行するようになった。

都ホテルにいても退屈なだけだし、ランカスターには 9 時 39 分発 のメトロリンクで行くことにした。切符売り場で、「シニア、ランカスター」というだけでよい。たったの5ドル 75 セントである。列車の二階に上がり、4 席を占領し、靴を抜いで、のんびりと腰掛ける。最近は車掌さんが切符のチェックに来る。10 年ほど前は車掌さんは何もしなかった。

ランカスターでの待ち時間は 2 時間ほどあるが、駅舎でぼんやり過ごせばよい、売店もある。一人っ子で、大昔から一人で何もしないで過ごすことは苦にならない。ところが、いつも想定通りにはいかない。駅舎が完全に閉鎖されていた。エアコンもない外で待つほかない。トイレが閉鎖されているので、非常に困った。駅から離れた場所まで行って、こっそりと済ませた。駅の外では携帯電話を売っている黒人がいたが、買う理由がないし、少し話をしただけだった。

ESTA バスはちょうど午後 2 時に入ってくる。予約しているので QRコードの切符を見せるだけある。ローン・パイン到着が午後 5 時なので、乗車時間が非常に長い。幸い、インヨーカーンという場所でトイレ休憩がある。

図 1.15: ランカスターの駅。2024 年の写真だが、状況はまったく同じ。駅舎は閉鎖され、トイレも利用できず、日陰でバスを待つほかなかった。

初めてのローン・パイン

考えてみると、ウィットニーに登ったのは 8 回だから、8 回はローン・パインに来ている。したがって、少なくとも 8 回は宿に泊まっている。

最初はウィットニー・ポータル・ホステルに泊まった。2009 年である。大荷物を背負ってふらふらと歩いたが、VVR を出て、ベア・トレイルの入り口でクレージー・ドック※5にあった。彼は記念の特注カラビナをプレゼントしてくれた。彼は筆者の歩き方や大きなバックパックを一瞥して二度と会わないと思ったそうだ。しかし、その後、何度も、何度も、彼がテントを張った後にふらふらと現れた。彼はゾンビに付きまとわれているように感じたようだ。いくら振り払っても夕方には現れる。最後のギター・レイクでも会い、彼とほぼ同時にウィットニーに登頂した。そこで、彼は下りるのに付いて来ればウィットニー・ポータルから車に乗せてやると約束した。重いバックパックでも下りは問題ない。少し引き離されただけで、最後までついて歩いた。最後のダッシュは猛烈だった。一緒のチェコの青年もどうしてなのか、不思議がっていた。

クレージー・ドックはしばらく姿を消していたが、落ち着いた顔で現れて、筆者とチェコの青年にハンバーガーや飲み物を奢るという。ぼんやりしていると、JMT で知り合った戸坂さん※6が「ダブル、ダブル」とうるさく叫んだ。そこで意味も分からず「ダブル」と注文を入れた。パテが二つ入ったボリュームのあるバーガーだった。おかげで夕食が不要になった。これがクレージー・ドックを炊きつけたのか、彼はポータルの店から電話を入れ、なにか早口で交渉していた。しばらくして筆者の宿を確保したと言った。チェコの青年と筆者はドックの車でローン・パインに向かった。一方、戸坂さんはビールを飲んで倒れて意識不明になった。トレイルで知り合ったジョエル親子がサンフランシスコまでやむなく送り届けたという。初めての JMT はいろいろある。

ウィットニー・ポータル・モーテルに行き、鍵を受け取って部屋に入ると、先客がいる。その人はここは俺が借りていると怒り出し、モーテルのマネージャーの元に行った。しばらくすると、にこやかな顔で現れ、風呂に入ってきれいになれと言った。彼は道路の橋を建築する仕事をしてここに泊まりこんでいた。地図に載る仕事をしていると自慢げだった。振り返ると、どうも不自然である。実は何年か後に分かったが、クレージー・ドックは病院経営者で、相当のお金持ちだった。しかも、ホステル所有者とは知り合いだった。彼が一日分の宿代を肩代わりしたにちがいない。それで、一日分の宿代が無料になったと聞いて、筆者への態度がすっかり変わったのだろう。何年か後、ウィットニー・ポータル・モーテルは所有者が代わり、ホステル用の数人が泊まれる部屋とモーテル用一人部屋の二種類に改装された。改装後にも一度泊まった。

※5同行者がドックとかクレージーとか言っていたので、筆者が命名した。本名はステファン・カンドル。正体が分かったのは、2012 年に JMT ハイキングの後、妻の千恵子とともに自宅に招待されたからである。彼は本当の医者で、小児科の病院の経営者だった。自宅はロス郊外の大邸宅。奥さんはかなり内気な人、娘さんは模様を作る芸術家だった。彼は JMT が非常につらく、マウント・ウィットニーの下りは二度と嫌だと言っていた。

※6戸坂 晃、関東在住。ソフトウェア・エンジニア。最近は、パタゴニア、クングスレーデンなどを歩いた。

ローン・パインでの買い物と準備

ローン・パインの主要部を図 1.18 に示しておこう。久しぶりに滞 在したが、以前よりハイカー・フレンドリになっていた。

宿はポータル・モーテルにした。比較的安いことと、町の中心部にあって、買い物に便利だから選んだ。ウェブ予約可能になっていた。この他、少し高いが、安心して滞在できるのは、Dow Villa Motel。一方、安く滞在するには Whitney Portal Hostel & Hotel だろう。

スーパーマーケットは Lone Pine Market だけしかない。壁に PCT HIKERS 2019 とペイントがあったので、期待したとおり、フリーズドライ・フード、ビーフジャーキー、エナジー・バーなど、ハイカーが欲しがる物が増えていた。

図 1.16: クレージー・ドックはものすごいスピードで下った。

図 1.17: ウィットニー・ポータル・ホステルで。橋の工事従事者。2009 年撮影。

図 1.18: ローン・パインの主要部。小さな町だが、ハイカー・フレンドリで、最近はスーパーの品揃えもよくなった。

アウトドア・ショップは Elevation Sierra Adventure である。ガス・キャニスターやフリーズドライ・フード、各種の装備がある。

Merry Go Round は中華料理の店である。昔は良かったが、経営者が変わってから味が濃くて、食べるのが困難になった。アメリカの中華料理は西海岸は良いが、内陸に入るにつれて味が劣化するという法則がある。日本で想像する中華料理と同じではない。Seasons Restaurant はローン・パインでは一番格式のあるレストランである。一度、ステーキを食べた。Alabama Hills Cafe & Bakery はアメリカ人ハイカーに人気の店で、常に満員である。ただ、「Everything is big(みんなデカイんだ)」という方針で、美味しい物もあると思うが、量がすべてという店である。The Grill は少し値段は高いが味はよい。一般的には、この店をお勧めする。昼時と夕食時は満員になっている。

ローン・パインに着いて、チェックインを済ませると、5時半である。急いで買い物に出かけた。ガス・キャニスターを忘れないように購入した。250G を二つとハーフサイズ一つである。あまり食欲はなかったので、サブウェイでサンドイッチを食べた。その後、スーパーに行き、パン、野菜、果物、肉などを購入した。朝食はバナナとヨーグルトとベーグルで十分だ。

次の日は落ち着いて、ビーフ・ジャーキー他、オニオン・ヴァレイ用の補給物資、ホースシュー・メドウで二日過ごすための食料買い出しである。食料はすべてスーパーで間に合った。食料の一部の写真を図 1.19 に示す。このほか、全粒粉のベーグルを2パック、果物のパック、ヨーグルト、バナナなどである。

図 1.19: ローン・パインで購入した食料の一部。ビーフ・ジャーキーは良い物があった。野菜のバックは軽く火を通してサラダとして食べる。

オニオン・ヴァレイでの補給用に送った箱を空け、ガス・キャニスター、ビーフ・ジャーキー、エナジー・バーなどを追加し、上にピックアップする日付の紙を張り付けた。これをクルトさんに渡すだけである。午前 10時過ぎには点検と密閉が終わった。

宿でパンなどを食べるだけではつまらない。昼食を食べにアラバマ・ヒルズ・カフェに入ってみた。席に着くと、すぐに追い出された。入り切れずに外で待っている人が何人もいた。待って食べるほどの店でもないので、すぐに宿の近くのザ・グリルに入った。昼前なのでお客がいない。しかも朝食メニューしかない。アメリカに来始めた頃はパンケーキばかり食べていたが、最近はブリトーばかりである。そこでブリトーを注文した (図 1.22)。やはり、エサではなく、料理という雰囲気で出てくる。以前にパンケーキの朝食を食べたことがあるが、外れのないレストランである。

図 1.20: 自作の夕食。モーテルはタバコは絶対禁止だが、ちょっと煮物をしたり、肉を焼いても問題ない。もちろん、臭いが残らないように、洗面所で行い、換気扇を回して、証拠隠滅する。

図 1.21: アラバマ・ヒルズ・カフェ。ハイカー好みのカフェ。サービスや味には当たりはずれがある。2018 年撮影。

図 1.22: ザ・グリルのブリトー。11 時過ぎなので、朝食メニューしかなかった。

クルトさんとの約束は、7 月 23 日の朝 9 時 15 分だが、メッセージが入り、20 分遅れになった、彼には現金で 140 ドルを渡し、補給物資を積み込んだ。受け取り場所はオニオン・ヴァレイのトイレのすぐ傍のフード・ボックスとした。

ホースシュー・メドウのキャンプ・グラウンドまで車で 40 分ほどかかる。もはや馴染みの場所である。行ってみると、人がまばらで空いていた。 2 泊分料金 12 ドルと余計な食料をたっぷり持ち込んだのだが、掲示板を見ると、とんでもないことになっていた。<第2章へ続く>

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