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ジョン・ミューア・トレイル 北向き縦走 (2025 NOBO) の記録 【第2章】ホースシュー・メドウから マウント・ウィットニー

第2 章 ホースシュー・メドウから マウント・ウィットニー

ホースシュー・メドウからコットンウッド・パスを経て、マウント・ウィットニーに行くルートは二つある。一つはパスを越えてから PCT ルートをまっすぐ歩き、ロック・クリークに下りて、グウョット・パスからクラブツリー・メドウに行くルートである。PCT ルートは高原状で水が少ないので、アメリカ人ハイカーには人気がない。ただ、筆者はこの PCT ルートを愛用している。

もう一つは、パス以降、PCT ルートを離れて、すぐにロック ・クリークに行き、川沿いに歩いて、グウョット・パスからクラブツリー・メドウに行くルートである。クリーク沿いには、フード・ロッカーがあちこちに設置されている。キャンプサイトも豊富である。ただ、距離が長い。2018年に一度歩いただけである。

ホースシュー・メドウ・キャンプ・グラウンド

ホースシュー・メドウのキャンプ・グラウンドは標高 3048m と少し高い。ここで一日過ごしてから出発すると、高度順化が進んで、高山病になりにくくなる。ただ、高度に弱い人はここでも高山病の症状が出る。その場合はマンモス・レイクス (標高 2400m ほど) で数日過ごした方がよいだろう。筆者は何度も来ているので、3,000m で問題がないことを知っている。ただ、念のために、ここで2泊しようと企んだ。キャンプ料金はたったの 6ドルである。本当は、ホースシュー・メドウは1泊のみというルールがあり、2 泊は違反である。ただ「最初に来た人優先 (first-come/first-served)」なので、一度出れば OK かもしれない。ただ、どこにもチェックする人はいない。7月末から8月初めは、たいていがら空きである。

ホースシュー・メドウにて

ホースシュー・メドウに着いた。クルトさんの車からバックパックを受け取って背負い、片手で二日分の食料を持って何時もの場所に向かった。

図 2.1: ホースシュー・メドウからのトレイル。テント・マークをつなぐルート

図 2.2: 右上がマウント・ウィットニー。JMT は赤い線のルート。コットンウッド・パスからは PCT ルートと北上してロック・クリーク沿いのルートがある。

広々として人は少ないが、日陰の場所に行くとキャンプ禁止の立て札がある。以前に寝た他の場所に行ってもやはりキャンプ禁止とある。ちょっと困った。

仕方ないので、四角く囲まれたサイトに行ってテントを張った。四角く囲まれたサイト以外はキャンプ禁止らしい。サイトの数も半減していた。片付けをしているハイカーはいたが、人と話をしたくなかったし、そのハイカーは何か喋りたそうだった。なるべく距離をとって知らぬ振りをしてテントを張った。

テントを張って、6 ドルを持って掲示板の所に行くと、キャンプ料金は 24 ドルだと張り紙があった。ビックリして、水を汲もうとするが、ポンプから水が出ず、トレイルヘッドのトイレの傍まで行って、水を 6L 確保し、そのままテントに戻ってきた。

ぼんやりしていると、向かいのハイカーが遠くから話しかけてくる。ケルティのフレームパックを持っていたので、ケルティのハイカーとしておく。名前は聞かなかった。

「キャンプ料金はあそこで払うんだ。24 ドル※1なんて、とんでもない値段になった。知っているとは思うが、トランプ政権になってからだ。レンジャーはみんな首になった。レンジャーなんか、どこにもいない。静かなもんだ。上のキャンプ場 (コットンウッド・レイクス・トレイルヘッド) は 11 ドルだから、みんな上で張っているよ。料金高いから空くんだ。静かだから俺はここで 2 泊した。」

ランチの後、仕方ないので、24 ドルを持って掲示板の所に行き、封筒に入れて払ってきた。テントに戻ってきて、しばらくすると、ハヤブサだろうか、突然、急降下して、地面のリスを叩き殺し、飛び去った。0.1 秒もかからない。地リスが地面の穴から出た直後だった。可愛そうに、大きな地リスが一瞬で死体になって転がった、ハヤブサは食べる予定もなく殺したようだ。遊びなのか、練習なのか、それとも目ざわりだったのか。これにはちょっとびっくりした。地リスは長生きできそうだが、簡単に殺される。

「見たか。死んでるねえ。」と、ケルティのハイカーは近づいてきて、足で指しながら話した。そして、恐れていたのだが、長い長いお話に付き合うことになった。

彼はトラックの運転手で年に三度ここに来て、数日のハイキングをしているようだ。釣りが趣味なので、トレイルからクロスカントリーしてあまり人のいない場所まで行くという。コットンウッド・レイクスの方はだいぶ回っているようだ。

※1:12025 年 9 月のウェブサイトでは 22 ドルに値下げされている。苦情でもあったのだろうか。

図 2.3: 四角いサイトの数が激減。その他の場所にはキャンプ禁止の立て札多数。なお、写真中央のサイトにハイカーがいて片付け中だった。

「これが一番大きなゴールデン・トラウトだ」と彼はスマホの写真を検索して見せてくれた。なるほど大きな金色に輝くトラウトだった。

「PCT の連中は 4 日か 5 日で補給して歩くだけだ。補給してくれる人がいるからねえ。俺は飢えるのが怖いから、たくさん持って歩くんだよ。恐怖をパッキングしてね。」彼は笑いながら、ケルティのパックを見せてポーズをとってくれた。ついでだから、背負わせてもらった。ベルトを絞めると腰に重量がかかるのに、意外に腰の動きを妨げない。根強く使われるはずである。

彼は車で来ているので、キャンプ用品は山のようにあった。一つずつ、のんびりと車に運んでいた。少し手伝うと、トレーニングだから良いんだという。それで、片手で持てる軽い小物だけ、運ぶのを手伝った。すると、嫌ではないらしく、喜んでくれた。お喋りしながら、片づけに2時間ほどかけて、車で去っていった。

夕食はステーキ半分、野菜の煮物、パンとスープ (図 2.5) である。ベーグルが美味しくて、もう一袋、買っておくべきだった。一日分不足する可能性があるので、α米と乾燥納豆のブレンドの袋から 20g ほど取り出し、 10 袋を 11 袋にした。オカズはビーフ・ジャーキーなどがあるし、朝食と昼食は JMT パンやクッキーなどがあるので、問題ない。

ケルティのハイカーの後に、若いカップルが来た。しばらく賑やかだった。寝ると静かになると思ったが、20m は離れているのに、ものすごいイビキが聞こえてきた。耳栓を強く押し込んで寝た。

図 2.4: ケルティのフレーム・パックを持ったハイカー。何も聞かないのに、ここで 2 泊したと堂々と言った。

図 2.5: ホースシュー・メドウでの夕食、これにパンとスープと果 物が加わる。

24 日、朝、6 時に起きて、ベーグルとバナナとヨーグルトの朝食をとった。もう一泊するつもりだったが、また隣にイビキの激しい人か来ると困るし、レンジャーはみんな首になったらしいので、チェックする人は誰もいない。気が変わったので、素早く片付けて、8 時過ぎに出発した。

チッキン・スプリング・レイクからロック・クリー ク

トレイルに入ると、しばらくは巨大なパイン・ツリーの間を歩く。ほぼ平坦なので歩きやすい。キャンプ・グラウンドで過ごすより、ちょっと上流でこっそりキャンプすると、気持ちが良さそうだが、実行したことはない。そもそもコットンウッド・パスのパーミットは、パーミットの日付でコットンウッド・パスを越える必要がある。途中でのキャンプは違法だろう。

さて、パイン・ツリーが少し切れた部分の風景を図 2.6 に示す。この後、トレイルは再び巨大なパイン・ツリーの間に入っていく。ゆっくり 1 時間ほど歩くと、小川を横切る。コットンウッド・クリークの再上流部である。しばらく西の方角にトレイルが続く。少しずつ高度を上げ、小さなスイッチバックが現れる。このスイッチバックをこなした後にコットンウッド・クリークの最上流部を横切る。今年は雨が少ないので、完全に干上がっていた。

図 2.6: ホースシュー・メドウの上流部。遠くに見える低い部分がコ ットンウッド・パス

その後、トレイルは北に向きを変え、大きなスイッチバックに入る。一番、大きなスイッチバックをこなした後がコットンウッド・パスである。雪の多い年にはパスの直前に雪渓がある。パスの標識は、少し通り過ぎた低い場所にある (図 2.7)。

図 2.7: コットンウッド・パスを少し通り過ぎると、トレイルが三つに分かれる。その手前にこの標識がある。

昼過ぎに着いたので誰もいない。コットンウッド・パスの標識は北に少し進んだ場所にある。PCT とセオドア・サラマンズ・トレイルとの合流点で、チッキン・スプリング・レイクへは大きく右折する。雨が多い年は湧き水も見えるが、今年は完全に干上がっていた。

トレイルは水平に近いゆるい登りで、楽に歩ける。チッキン・スプリング・レイクへは 1km ほどである。何時は細いクリークを横切って通過するが、今回は一日早く出たこと、雨が少なく乾燥しているので、この先の水場が不安なことから、北に転じて、チッキン・スプリング・レイクの湖岸に行った。数人のハイカーが休憩していた。広いキャンプサイトは湖の南にあったが、人が多く集まる場所は嫌いなので、湖の西を探した。そして、トレイルの傍だが、木陰によい場所を見つけた。テントを張って遅いランチとしたが、その後、日光が当たるようになったので少しだけ引っ越した。チッキン・スプリング・レイクを図 2.8 に示しておこう。2枚の写真を少し合成したものである。

図 2.8: チッキン・スプリング・レイク

図 2.9: チッキン・スプリング・レイクでの夕食。湯がいた野菜と鯖缶を α米と乾燥納豆ご飯に乗せた。

図 2.10: 朝食は、ベーグル、バナナ、ヨーグルトにコーヒーである。ホースシュー・メドウで食べる予定だった。

ロック・クリークへ

チッキン・スプリング・レイクからは少しだけ急なスイッチバックがあり、ゆっくりと登る。何度も来ているので、馴染みのパイン・ツリーと岩がある。テントが張れそうな平な場所もある。スイッチバックをこなすと、トレイルは水平に戻り、南に眺望が広がる。今年は乾燥しているので、流れる水はない。ゆっくりと2時間ほど歩くと、左手に緑の湿地帯が見える。砂地のようなトレイルを歩くと、水の流れる場所に来る。

ところが、今年はまったく水の流れが無くなっていた。休憩して周りを調べる。プラスチックのトイレ用のスコップが落ちていた。先に少し進むと草が茂っている場所があり、水が湧いて溜まっていた。この下の方に、キャンプ・サイトがあり、2016 年に一泊した。ここの水場は乾燥した夏でも枯れないようだ。浄水器を出して 1L を確保した。この先はロック・クリーク近くまで水がない。

巨大な岩を回り込んでいくと、だんだんトレイルがなだらかになっていく。高原状になった場所で、トレイルから北側に外れると、図 2.13 の場所に出る。先ほどの水場から 30~40 分の距離である。雨の多い季節なら広い湖になっていて、景色もよく、キャンプ適地である。残念ながら、今年は予想通り、干上がっていた。景色が良いのでランチとした。ランチと言っても JMT パンをかじってインスタント・コーヒーを飲むだけである。最近はチーズを食べると、消化に負担があるのか、調子が落ちるので、朝だけにしている。

図 2.11: パイン・ツリーの枯れ木

図 2.12: 巨大な岩が一つの目印。トレイルはこの南側を回っていく。

図 2.13: 雨の多い年なら、ここに広い湖ができる。今年は干上がっていた。

2km ほど高原状のトレイルを歩くと、ようやく高度が下がりはじめ、北に向かう。左手の低い平原にはシベリアン・パス・クリークが流れている。水に困れば少しクロスカントリーして入手すると良い。一度、水に困ってキャンプしたことがある。ただ、ロック・クリークまで 1 時間ほどなので、無理に水を確保する必要はない。

ロック・クリークの渡渉点の 30 分ほど手前に小川がある。キャンプも可能だが、少し時刻が早いし、ここでは休憩だけにした。ロック・クリークまで、少し時間がかかった。水位が低く、渡渉は簡単で、石伝いに歩くだけだった。渡ると、10 名近くのハイカーが休憩していた。グウョット・クリークまで、1 時間ほどの登りがある。疲れてしまったので、ハイカー達が休憩していた一つ上のキャンプサイトまで行った。時刻は 4 時。テントを張った。

水を確保するために川まで下りた。ハイカー達は休憩だけだったので、出発し始めた。後、2~3 時間は明るいので歩けるだろう。恐怖 (食料) をパッキングしていないと歩くほかない。おかげでたった一人のキャンプが出来た。実は、テントは常に水場から少し離れた場所に張る。他のハイカーと一緒に張るのが嫌なこと、川から離れると湿度が下がるので、テントの結露が減るという二つの理由である。夕食はみりん干しだが、炊き上げる少し前に入れただけだった。あまり美味しくなかった。これ以降、焼いて皿に取り出し、ご飯を炊いて上に乗せることにした。

図 2.14: ロック・クリークのキャンプ・サイト。

グウョット・パスからクラブツリー・メドウ

5 時頃起きて、7 時に出発。ゆるいスイッチ・バックだが、長いので一時間近くかかる。雪の多い年はトレイルの傍に真っ赤なスノー・プラントを見たが、今年は乾燥しているので、花は見かけない。退屈なスイッチバックをこなすと高原状になり、大きなパイン・ツリーがまばらに生えている。左手に見えるのはマウント・グウョットである。馴染みのパイン・ツリーを図 2.15 に示す。グウョット・クリークは少し先である。

グウョット・クリークには誰もいない。相変わらず、きれいな水が流れていた。休憩して、水を追加して 1L にした。JMT は水場が豊富なので、水を 1L 以上持つことはほとんどない。トレイルは水平に近いが、グウョット・パスの近くで少し登りがある。高度差が少ないので、すぐに終わる。パスに着いたのは 10 時、誰もいないので、小さい三脚を使って記念撮影をしてみた。

パスから下るとトレイルは水平になるが、斜面を回り込むようになる。一時間も歩くと、嫌になり、木陰でランチとした。といってもインスタント・コーヒーを作って JMT パンをかじるだけだ。トレイルの斜面が緩やかになると、非常に低い峠にぶつかる。名前も何もない。クリークの最上流部だが、水はない。一度、探したことはある。

この低いパスを越えてしばらくすると、少し荒れてくる。クラブツリー・メドウへの下りである。かなり下るとメドウやマウント・ウィットニーが見えてくる。図 2.16 である。

図 2.15: 二股に分かれたパイン・ツリー。よい目印になる。

図 2.16: 中央の尖った山はマウント・ラッセル、ウィットニーは右の丸い岩山

図 2.17: クラブツリー・メドウ。

家畜用ゲートを過ぎて下りると、メドウである。少し歩くと、小さなキャンプ・サイトがあり、フード・ロッカーもある。今回はまだ2時前とゆとりがあった。2016 年はカメラマンが同行していたので、距離が稼げず、ここからマウント・ウィットニー往復をした。暗いうちにスタートしても帰る頃には真っ暗になり、懲りてしまった。その後はアッパー・クラブツリーまで行くようにした。

ウィットニー・クリークの渡渉はまったく問題なかった。岩が並んでいるので、その上をあるくだけである。メドウはすぐに見えなくなり、トレイルはクリークの左を登っていく。1km 弱で反対側に渡渉する。いくつも踏み跡があり、分かりにくかった。

アッパー・クラブツリー・メドウに行くと、5~6 名のハイカーが休憩していた。ここにはフード・ロッカーがあり、安心してマウント・ウィットニを往復できるので、多くの人がキャンプする。何の囲いもない非常にオープンなポットン・トイレもある。レンジャーも常駐しているはずだが、確認していない。

もう 1km ほど先に進んでキャンプする予定だったので、休憩してから水を 1L 確保して渡渉して、上に登ってもう一つのトレイルに入った。ゆるい登りのマウント・ウィットニーに通じるトレイルである。ティンバーライン・レイクはキャンプ禁止だが、地図を見ると、その手前の登りはじめにはキャンプ・サイトの表示があった。予想通りに、トレイルから離れた場所にサイトがあった。3 時に到着、テントを設営した。少し下りた場所に川が流れていた。一人きりでキャンプできた。夕食はビーフ・ジャーキー丼とした。美味しいジャーキーだったので、水で戻す必要もなかった。

図 2.18: キャンプ・サイトからの眺め。テントは木陰に張った。

図 2.19: ビーフ・ジャーキー丼。ビーフ・ジャーキーはそのまま入れても美味しかった。

図 2.20: 夜明け前のギター・レイク、テントの明りが一つ見える だけ。

夕食の後、明日のマウント・ウィットニー往復の準備をする。二つのフロント・ポケットを取り外し、予備として作ったディパックと接続する。左のポケットはカメラ、右はお昼のパン、エナジー・バー、ヘッドランプ、予備バッテリーとした。接続するデイパックにレイン・スーツ、浄水器、水 1L である。残りの食料はすべてベア・キャニスターに入るので、持って行った細引き※2は不要だった。

※2:残った食料はスタッフザックに入れて吊るす。熊よりも地リスなどにかじられる可能性が大きい。

マウント・ウィットニー往復

2 時過ぎに目が覚めてしまった。落ち着かないので、朝食をとった。3時 15 分出発、誰も歩いている人はいない。ヘッドランプは安物だから暗いが、トレイルは明瞭なので、問題はない。ギター・レイクあたりで、少し明るくなり、景色が見えるようになった。テントの明りは一つ、ヘッドランプも見えない。ハイカーが少ないためだろう。

ハイカーが少ないためか、ナキウサギがすぐ傍でうるさく鳴いていた。長い間、逃げなかったので、近づいて写真をとった。歩くのが遅いので、後ろからハイカーが来たので、先に行ってもらった。ちょうど、長いスイッチバックが始まった頃である。

すれ違いざまにハイカーの写真を撮っておいた。トップはフレーム・パック、これは筆者が持っていたカーソン60 なのでお父さんだろう。次はバックパック不明だが息子だろう。最後尾は女性用のオスプレイ、オーラ AG 65 だろう、そうすると、家族で JMT を歩き、マウント・ウィットニーに登り、ウィットニー・ポータルに下りる人達である。日本の人は JMT はウルトラライトで行くべきと思っているだろうが、JMT でウルトラライト・ハイカーとなると日本人である。ウルトラライト・ハイカーより現実にはフレーム・パックを担いだハイカーの方が多い。

図 2.21: ナキウサギ、やたらうるさく鳴いていて、逃げなかった。

今年は天気が良いが、2012 年の夏は最悪だった。千恵子とギター ・レイクでキャンプをしていたが、夜中の 2 時から稲妻、3 時から雷雨、止んだので 4 時に出発したが、6 時頃、稲妻と音の時間間隔が 5 秒と、危険な状態になり、スイッチバックの岩陰に一時避難した。しばらく雷雨が遠ざかったので、マウント・ウィットニーに登頂できたが、下山中にトレイル・クレストで雷が近づき、雹が叩きつけるように落ちてきた (図 2.23)。下山を急いだ。標高が下がると雨で、水たまりで転倒するハイカーが続出した。この悪天でも山頂に向かう人が多数で驚いた。パーミットの関係だろう。後で知ったが、8 月 14 日にはギター・レイクでキャンプしていたハイカー 3 名が落雷にあった。我々がビショップから出発した頃である。BBCによると、この日以来、アメリカでは 21 名の死者が出たという※3。

※3:https://www.bbc.com/news/world-us-canada-19326042

図 2.22: 典型的な JMT ハイカー。一般的に 60L 程度のバックパックを担いでいる。

図 2.23: トレイル・クレストを過ぎた下りのスイッチバックにて。マウント・ウィットニーでは雷で命を落とす人が多い。注意すること。2012 年 8月 23 日撮影。

長いスイッチバックをこなしていくと、マウント・ヒッチコック(図 2.24)が見えてくる。スイッチバックはなかなか終わらない。トレイル・クレストとの分岐は岩の尖塔が切り立った近くである。その近くにも小さなキャンプサイトがある。一泊するのに水が 5L 必要な筆者には無理な場所である。マウント・ウィットニーへのトレイルには「雷の時は極端に危険」という標識がある。2012 年の夏なら一人か二人、死んだかもしれない。この分岐する場所は少し広いので、大きなバックパックを置いて頂上を往復する人が多い。盗難はないが、食べ物を嗅ぎつけてマーモットがバックパックを狙うことはある。ここはトレイル・クレストからのハイカーと合流する場所でもある。

図 2.24: マウント・ヒッチコック

図 2.25: エス・ブルータル・タワー手前の隙間。遠くにローン・パインの平野が見える。

この後、トレイルは緩やかになるが、高度が 4,000m を越えているので、速くは歩けない。岩の尖塔の側面をトレイルが付けられているので、二ヵ所、岩の間からローン・パインの方向が見える。撮影ポイントでもある。それからしばらくすると、トレイルが少し崩壊し、荒れている場所がある。二ヵ所ほど慎重に越えれば、ウィットニー頂上まで、ほとんど平坦である。

トレイルの岩の間には図 2.27 のスカイパイロットや図 2.28 の菊科植物が見られるはずだ。ウィットニー頂上近くから背後を見ると、恐ろし気な風景が目に入る。パノラマ合成したのが図 2.29 である。

登頂は午前 10 時、一応は成功である。出発が早かったので、足が遅くても午前中に着いた。天気が崩れると雹とか雷が襲ってくる。マウント・ウィットニーだけは午前中に登った方がよい。なお、昨年から頂上には記念撮影用にステンレス製のレリーフがある。初めて持ってみたが、1kg ほどありそうだった (図 2.30)。

ウィットニー頂上で、ローン・パインの町が見える場所だけが携帯圏内である。一応、接続に成功、フェイスブックに何枚か写真をアップロードして、パンとコーヒーの昼食をとった。たぶん、これで最後と思い、1 時間程度頂上にいた。

記録を調べると、ウィットニー・トレイルの分岐まで下りたのが午後 1時半なので、頂上から 2 時間もかかっていた。ハイカーが増えたので渋滞もあった。途中で岩の上に私の物と酷似したヘッドランプが置いてあった。よく似ているとは思ったが、それだけで、自分の物とは思わなかった。低酸素で頭がまったく働いていなかったようだ。

ギター・レイク通過は 3 時頃だった。少し風があり、湖面が波打っていて、日光が反射している。ギター・レイクは人が多いので、2010 年にケビン(図 2.32) と出会ってからは、南向きJMT の場合は常に一つ上の小さな湖でテントを張っている。ケビンは愛想のよい人間で、VVR から何度も会った。26 歳のエンジニア、今は学生をやっている。ミシガン在住だが、小さい時にカリフォルニアに住んでいたという。JMT はきつくて胃をやられたという。最後はローン・パインでも会ったので、一緒にシーズンというレストランでステーキを食べた。その時にクレジット・カードの使い方を教えてもらった。俺は教授たからと言って食事代を出したが、金額を見て少し後悔した。ついでにクレージー・ドックの雄姿を図 2.35 に示しておこう。場所はギター・レイク。ディナーがカップラーメン一つと聞き、非常に驚いた。英語で dinner というと豪華な夕食という意味だと思っていたが、完全な間違いだった。夕方、何かを食べれば、それが dinner である。

図 2.26: マウント・ウィットニーはずっと先の丸い部分

図 2.27: マウント・ウィットニーに特有の球形のスカイ・パイロット。他の場所ではこんなきれいな球形にはならない。白色もあるが、少し数が減っていた。

図 2.28: マウント・ウィットニーで特徴的な菊科植物の花。時期が早く、きれいに咲いていなかった。

図 2.29: ウィットニー頂上近くから振り返る。パノラマ合成

図 2.30: マウント・ウィットニーの頂上で。元気そうだが、高所障害で顔が腫れている。脳もやられていたようだ。

図 2.31: 午後のギター・レイク、湖面が波打っていた。まったく人がいなかった。

図 2.32: ケビン、VVR からローン・パインまで前後して歩いた。2010 年撮影

図 2.33: ギター・レイクの上の池。テントはヒルバーグ・アクト。2010 年撮影。

図 2.34: ギター・レイクで。テントはローベンス・ストラトス、フロア付きワンポール・テント。夜中に雷雨で恐ろしかった。ボールを上に伸ばしているので、避雷針の下で寝ていようなものだ。これ以降、このテントは廃止した。2012 年撮影。

図 2.35: ギター・レイクでのクレージー・ドック。テントはウルトラライトのシェルター。先進的なウルトラライト・ハイカーだった。2009 年撮影。

午後 5 時、キャンプ・サイトに到着した。往復 14 時間もかかっ た。相変わらずへとへとである。ベア・キャニスターはテントから少し離しておいた。テントも何の変化もなかった。人も動物も来た気配はない。水を汲んできて、夕食の準備に入った。ところが、どうしてもヘッドランプが見当たらない。5 分以上探してようやくウィットニー・トレイルの途中で見たヘッドランプは自分の物だったと気づいた。たぶん、右ポケットのエナジーバーなどを取り出した時落としたのだろう。

こういう場合、アメリカのハイカーは拾った物を目立つ場所に置く。落とした人が帰りに回収するだろうと考えるからである。ところが、筆者はよく似たヘッドランプを見つけたが、それが自分の物だとはまったく考えなかった。低酸素で脳細胞が仮死状態だったのだろう。幸い、これ以降、ヘッドランプを使って行動することはない。ソーラー・パネル一体型のランタンがあったので、朝や夜の明りはランタンで済ませることにした。

図 2.36: 鯖缶定食。重い物はなるべく早く食べる。これは高級鯖缶なので、なかなか美味しい。白い物はポテトサラダ。これにデザートのドライ・フルーツとアーモンドを付ける。

もう一つ失敗があった。左のトレッキング・ポールの先端が無くなっていた。どこかの岩にひっかけて抜けたのだろう。幸い、曲がっても折れてもいない。歩けば、アルミのポールの先が少しずつ減るが問題はない。ただ、低酸素のダメージは大きかった、影響はこの後もまだまだ続いた。

図 2.37: ソーラー・ランタン。吊り下げベルトはすぐに切れるので針金とフックとヒモで接続。期待していなかったが、2週間近くお世話になった。晴天続きだったのでバッテリーは無限だった。ON-OFF 以外の余計なモードがあるのが欠点。

<第3章へ続く>

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国立大学元教授であると同時に『ハイキング・ハンドブック(新曜社)』や『米国ハイキング大全(エイ出版)』など独自深い科学的見地から合理的なソロ・ハイキング・ノウハウを発信し続ける経験豊富なスルーハイカーでもある村上宣寛氏の新著『ハイキングの科学』が、Amazonにて絶賛発売中です。日本のロングトレイル黎明期からこれまで積み重ねてきた氏の経験と、ハイキングや運動生理学をはじめあらゆる分野の学術論文など客観的な資料に基づいた、論理的で魅力たっぷりの、まったく新しいハイキングの教科書をぜひ手に取ってみてください。

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村上 宣寛

1950年生まれ。元富山大学名誉教授。専門は教育心理学、教育測定学。アウトドア関連の著作は『野宿大全』(三一書房)、『アウトドア道具考 バックパッキングの世界』(春秋社)、『ハイキングハンドブック』(新曜社)など。心理学関係では『心理テストはウソでした』(日経BP社)、『心理学で何が分かるか』、『あざむかれる知性』(筑摩書房)など。近著に、グレイシャー、ジョン・ミューア・トレイル、ウィンズといった数々のアメリカのロングトレイルを毎年長期にわたりハイキングしてきた著者のノウハウ等をまとめた『アメリカハイキング入門』『ハイキングの科学』(アマゾン)がある。

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