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【第17章】トゥアルム・メドウから ヨセミテ・ヴァレイ
トゥアルム・メドウからヨセミテ渓谷は北向き JMT の場合は下りで一泊二日ほどの距離である。第一の見どころはカシードラル・ピークだろう。そのまま下っていくと、ヨセミテ渓谷になる。少し、寄り道するのならクラウズ・レストに登り、JMT に合流するのがベストである。ハーフドームは人気があるが、遥かにスケールの大きな景色が堪能できるだろう。広いキャンプ・サイトはリトル・ヨセミテにあり、バイオ・トイレも設置されている。南向き JMT の場合は最初の宿泊地に指定されている。ヨセミテ渓谷は大観光地で、カレー・ヴィレッジとヨセミテ・ヴィレッジがあり、無料のバスが循環している。物価はやや高く、宿泊施設は予約が必要で、満員の事が多い。予約していないハイカーにはバックパッカーズ・キャンプグラウンドがある。ただ、ヨセミテ渓谷に数日滞在すると、デイ・ハイキングが楽しめる。
トゥアルム・メドウからヨセミテは 2009、2012、2016、2017、2024 年に歩いている。2024 年の写真を中心に過去の話を取り交ぜて、紀行文風・ガイド風に書いてみよう。
図 17.1: トゥアルム・メドウからサンセット・マウンテン
図 17.2: サンセット・マウンテンからリトル・ヨセミテ
図 17.3: ヨセミテ渓谷
図 17.4: バックパッカーズ・キャンプグ・ラウンド。2019 年撮影。
トゥアルムからカシードラル・レイク
トゥアルム・メドウには広いキャンプ・グラウンドがある。大部分はカー (オート)・キャンプ場だが、ハイカーにはバックパッカーズ・キャンプ・グラウンドがある。パーミット保持者は一泊だけ宿泊可能である。また、トゥアルム・メドウからハイキングをする人はパーミット取得の前日に宿泊可能である。料金は 8 ドルで、2025 年から Recration.gov のアプリを介して支払うようになった。
2019 年はライエル・キャニオンのパーミットだったので、ここからスタートした。近くのストアには食料がいろいろあるが、ヨセミテほどではないので、ステーキなどはヨセミテで購入し、ここに持ち込んだ。
キャンプ・グラウンドは図 17.4 のような状態である。少し混むので、静かな場所を確保することが大事である。夕食は図 17.5 と豪華になった。トゥアルムからヨセミテ・ヴァレイに向かうには、森の中のトレイルと舗装道路がある。バックパッカーズ・キャンプ・グラウンドからは 2km ほどであるが、舗装道路の歩道が快適である。左手にはメドウの平原が、後方にはランバート・ドームが見える。すぐにビジター・センタ ーがあり、見学もできる。その後、少しで JMT と合流する。カシードラル・ピークへのトレイルである。
この辺りで 2009 年に出会ったのが、図 17.6 のケビンである。記憶が曖昧だが、「日本人?」と聞いてきて、「トレイルを歩き終わったら、ぜひ、電話ください。日本語で大丈夫だから。俺の奥さんは日本語ができるから、日本語で大丈夫だよ。」と念を押した。
図 17.5: トゥアルム・メドウでの夕食。2019 年 撮影。
この時はこれで別れた。その時は連絡しようとは思わなかったが、JMT終了後、実際に会うことになった。これは後で書くことにしよう。
トレイルは少し登っていくが、しばらくすると穏やかになる。カシードラル・ピークの北端の山の裾を越えると、狭い湿地帯があり、平坦になる。カシードラル・クリークをすぎると、少し登って平坦になる。テントが張れそうな平地もあるが、すぐにロウアー・カシードラル・レイクへの分岐がある。人気のキャンプ・サイトである。
カシードラル・ピークのすぐ傍を通れば、ふたたび、右手にアッパー・カシードラル・レイクが見えてくる。レイクにはその辺りから入れるし、通り過ぎてから入ることもできる。筆者はこちらが好きである。
トゥアルム・メドウからこの辺りまでは 2~3 時間なので、パーミットなしで日帰りができる。ある時、ランナーと会った。「なぜ走るんだよ」というと、蚊が多かったので、かれは「ロッツ・オフ・モスキトウ。ザッツ・ウァイ・アイム・ランニング」と叫んだ。一つだけ、英語表現を覚えた。
雷雲が迫っていると、カシードラル・ピークは悪魔の山に見える。稲妻が二つのピークを繋げば、本当に魔の山になるだろう。幸いにして、一度しか、雷雲に囲まれたことがない。通常は素晴らしい天気である。特に、夕暮れ時に山肌が黄金色に染まる。筆者は染まりかけの淡い黄金色が好きである。テントを張ってから、湖畔に行き、カメラを構えて待ち構える。
図 17.6: ケビン・サリバン。2009 年撮影。
図 17.7: リード・ウィーグレブ、プロフィール写真より。
図 17.8: カシードラル・ピーク。 2017 年撮影。
2016 年はトゥアルム・メドウを昼頃出発し、3 時過ぎにアッパー ・カシードラル・レイクの傍にテントを張った。4 時すぎに湖畔に行き、撮影の場所決めをした。若いアメリカ人ハイカーがやはり湖畔にいた。彼の名前はリード・ウィーグレブ、写真がないので、フェイスブックから図 17.7に引用しておく。別れた後に彼のメモがあったので、フェイスブックの友達になった。彼はその時のことを自分のフェイスブックに書いている。
「彼 (筆者) は私を素晴らしい眼差しで見つめ、『これ、これは本当に特別なものだ』」と言った。私のリュックは、翌朝までその場に、地面に置かれたままだった。」
けっこう、ロマンチックな青年だった。筆者の眼差しが素晴らしかったは保証できないが、これは特別で、マジック・タイムが始まるよと、言った記憶はある。
リードと筆者は、カシードラル・ピークの写真を撮るために、数時間待った。太陽が沈むと風が止み、湖面が鏡のようになった。魔法の時間の始まりである。筆者は立て続けに写真を撮った。レイドのカメラはバッテリーが枯渇つつあった。彼はこっそりと筆者の後ろ姿を撮っていた。
筆者は写真を撮った後はさっさと自分のテントに引き返し、食事をして寝たのだが、ロマンチックなライドはずっと夜も起きていて、カシードラル・ピークを見つめていたのだろう。彼はその後、ハイシェラの山に登ったが、海軍に入った関係か海での活動が多いようだ。人生のわずかな時間を共有した好青年だった。
筆者は 2017 年、超広角レンズを携えてもう一度撮影に挑んだ。それが図 17.8 である。キャンプ・サイトは図 17.9 である。
図 17.9: アッパー・カシードラル・レイクでのキャンプ。2017 年撮影。
カシードラル・ピークを後にすると、少しだけ高度を上げていく。背後を振り返るとエコー・ピークが見える。非常に特異な風景だろう。
この後は、低いパスを越えて、傾斜面を歩く。右手にコロンビア・フィンガーという岩が見える。全体がよく見えるのは、1km ほど通りすぎてからである。北向きJMT の場合は、長い間、正面に見えるだろう。図 17.11に示す。
トレイルは平坦になり、カシードラル・クリーク沿いに少しずつ高度を上げる。視界が広がった場所がハイシェラ・キャンプの近くである。
この場所の北向きの風景を図 17.12 に示す。テント・キャビンに泊まるのは予約が必要で簡単ではないが、傍にキャンプ・サイトもある。クッキーを売ってたこともあるが、最近は知らない。
このハイシェラ・キャンプからまっすぐ南に向かうトレイルが JMT である。西に向かってサンライズ・レイクスを縫うように歩き、クラウズ・レストを縦走して JMT に合流するトレイルもある。これは後で説明しよう。
南に進むと小川を横切るので、メドウがある。図 17.14 はこのメドウのタイガー・リリーである。トレイルは登っていき、無名のパスを越える。その後、下っていく。この時の写真を図 17.15 に示す。この時は北向きだが、振り返って写してもらった。そして、すぐ左手にサンライズ・クリークが現れてくる。林の中を下っていくと、広いキャンプ・サイトが現れる。この後はクラウズ・レストとのジャンクションまで良い場所がない。
図 17.16 がサンライズ・クリーク傍でのキャンプである。かなり広いサイトで、誰もいなかった。この時はコロナに罹患してたらしく、喉が痛くて声えが出なかった。午後 1 時にテントを張ってゆっくりしていた。
図 17.10: エコー・ピーク。2024 年撮影。
図 17.11: コロンビア・フィンガー。2024 年撮影。
図 17.12: ハイシェラ・キャンプ付近。遠くに見えるのはエコー・ピーク。2024 年撮影。
図 17.13: ハイシェラ・キャンプ付近のグロース。2017 年撮影。
図 17.14: タイガー・リリー。2024 年撮影。
図 17.15: サンライズ・クリーク近くのパス。後述のスコットが 2024 年に撮影。
図 17.16: サンライズ・クリークでのキャンプ。2024 年撮影。
図 17.17: スコットは二人用テント。2024 年撮影。
図 17.18: マウント・クラーク。2014 年撮影。
ハイカーが一人現れた。離れた場所に大きなテントを張った。落ち着いたようだし、こちらも暇なので挨拶に行った。彼の名前はスコットと言った。スコットは至るところにいるようだ (図 17.17)。テントは二人用のシングル・ウォール・テントだった。
「大きいから快適だよ。何時もは嫁さんと一緒なんだが。」とスコットは言って、テントのあちこちを見せた。そして、「昨日、リトル・ヨセミテ・ヴァレイで寝たんだが、夜、遅く、ボーイスカウトが一杯来て、うるさくて眠れなかったんだよ。」とげんなりした顔で言った。
最近、ハッピー・アイルからのパーミットでは一泊目にリトル・ヨセミテでキャンプすることが義務付けられている。彼は忠実に守ったようだ。筆者は守らずに少し通り過ぎて、山に入り、細い水の流れを見つけてテントを張った。
この後、トレイルはサンライズ・クリークを横切り、少しずつ 離れて、尾根道になる。そこから振り返ると、図 17.18 のような山が見える。特異な山はマウント・クラークである。残念ながら、これからしばらくは山火事の跡を歩いて行く。
ハイシェラは数十年かけて、山火事の跡に草花が生い茂り、低木が生えてきて、その後、パイン・ツリーなどの高木と入れ替わり、そして再び、山火事で草原に戻る。それの繰り返しで生態系が守られている。
トレイルはサンライズ・クリークを右手にして南に伸びていく。見晴らしが良いので、右手に岩山が見える。図 17.19 である。巨大な岩山はクラウズ・レストである。正面近くの岩山は図 17.20 のハーフ・ドームである。
図 17.19: 山火事の後、遠くに見える岩山はクラウズ・レスト。2024 年撮影。
図 17.20: ハーフ・ドームの後姿。2024 年撮影。
図 17.21: クラウズ・レストへのトレイルとのジャンクション付近。2017年撮影。
クラウズ・レストとのジャンクションが近づくと、森が復活してくる。サンライズ・クリークも近いし、そのほかの湧き水もある。しばらくキャンプ適地が広がる。図 17.21 はジャンクションから少し上の場所である。
素晴らしい場所ではあったが、なぜ、砂地が広がっているのか、夕方になって分かった。猛烈な雷雨と雹が襲い、一時的に洪水状態になった。ほとんどのハイカーはテントを撤収して逃げてしまった。筆者のテントは何の問題もないので、普通に食事を楽しんだ。
テント前室は図 17.22 のような状態であった。テントのフロアの防水がしっかりしていれば、何の問題もない。ここは傾斜地だったので、すぐに水は引いた。このような砂地のキャンプ適地は洪水になるかもしれないことを覚えておこう。屋久島でも砂地の裸地は水が流れる場所だった。
図 17.22: プチ洪水状態のテント前室。2017 年撮影。
図 17.23: サンライズ・レイクスの最初。2016 年。
サンライズ・レイクスからクラウズ・レスト
ハイシェラ・キャンプから西に向かうトレイルに入り、低い丘を越えると、湖が見えてくる。大きな湖は三つある。図 17.23 が第一の湖である。 2012 年は南向き JMT で、クラウズ・レストを経由して、ここでテントを張った。静かなよい場所だった。
この辺りには雷鳥がかなりいる。図 17.13 はこの辺りのグロースである。二羽、あちこち歩き回っていたうちの一羽である。
下流域には第二の湖があるが、トレイルは少し離れた場所を通るので写真がない。南に向かうとすぐに第三の湖がある。それが図 17.24 である。この付近はキャンプしやすい場所があり、2016 年にテントを張った。
トレイルは南に向かい、林の中を進む。キャンプ適地はなくなる。意外に湿地が多いので、蚊も多い。キャンプできる場所はクラウズ・レストに近い小川が横切る場所である。
クラウズ・レストの北斜面は図 17.25 のような状態である。歩く場所は幅が 1m 程度ある。2012 年に下る時は平気だったが、2016 年に登る時は怖かった。足を滑らせると、簡単に 100m くらいは転落するので、一歩一歩確実に歩くほかない。
無事に頂上について、記念撮影したもらったのが、図 17.26 である。登るだけの価値はある場所である。ヨセミテの山々がすべて見渡せる。図 17.27がハーフドームである。人気の場所で、ロープや階段は付いているが、筆者はあまり登りたいとは思わない。昔、レンジャーから何度も勧められたが、そのたびに断った。
図 17.24: サンライズ・レイクスの三番目。2016 年撮影。
クラウズ・レストの南の斜面は、急ではあるが、トレイルが少し窪んだ場所に付いているので、恐怖感を感じない。30 分程度、下るとメドウがあり、湿地帯が広がる。わずかながら湧き水がある。この後は、順調に下っていって JMT に合流する。
図 17.25: クラウズ・レストの北斜面。2016 年撮影。
図 17.26: クラウズ・レストの頂上。2016 年撮影。
図 17.27: クラウズ・レストから見たハーフドーム。2016 年撮影。
クラウズ・レスト・ジャンクションからヨセミテ渓谷
ジャンション付近には所々にキャンプ・サイトがある。トレイルは比較的水平に付けられて、高度を落とす直前にハーフ・ドームへの分岐がある。昔はコットンウッド・パスのパーミット保持者は自動的にハーフ・ドームのパーミットも与えられた。最近は人気があるのか、そういう特別待遇はなくなった。
スイッチバックを下りていくと、リトル・ヨセミテの広い盆 地に着く。下りきる手前に小川があるので、2024 年はそこでキャンプをした。
高度を少し下げるとリトル・ヨセミテのキャンプ・サイト (図 17.29) が見える。目立つ建物は環境配慮型のトイレである (図 17.28)。キャンプ・サイトは広いので、騒がしいことはないが、スコットは運が悪かったのだろう。ガラガラ蛇がフード・ボックスの下にいることがあるので注意しよう。被害が一件報告されている。万が一、咬まれた場合は SOS 発信して助けを呼ぶ他はない。
トレイルは川沿いになだらかに下っていく。リバティ・キャップ(図 17.30)という岩山の狭い間のスイッチバックにベンチとトイレがある。2009 年の JMT の時にここで休憩してガラガラ蛇を見て撮影した。
トレイルは二つに別れる。まっすぐ下るのはミスト・トレイル で JMTは左に分岐して川を渡り、川から離れる。一時間ほど下流でミスト・トレイルと合流するが、JMT は川を渡らずに、そのままハッピー・アイルまで下る。ここは馬の道とも呼ばれ、人気がない。それで歩いたことがない。図 17.30 は少し JMT に入った場所から撮った写真である。
まっすぐに下りるとネバダ・フォールのすぐそばに出る。この辺りから撮影したのが図 17.31 である。撮影場所が限られるので、この程度が限界である。この辺りからヨセミテ渓谷に広く分布するのが、図 17.32 のステラ・ブルー・ジェイである。賢い鳥のようで人を余り恐れない。氷河時代にオークを広めた功績がある。
残念ながら、ミスト・トレイルは人混みをかき分けながら下っていくことになる。大きなバックパックを抱えていると注意しないと他の人を落としてしまう。それで JMT ハイカーはなるべく通らないようにと指示がある。しかし、この観光名所を通らない訳にはいかない。
図 17.33 のヴァーナル・フォールまで下りると滝のしぶき(ミスト) の中を歩く。ミスト・トレイルの名前の由来だろう。ヴァーナル・フォールの下流でトイレと水場があり、JMT とも接続する。川を渡って下ればハッピー・アイルである。ここで JMT は終わる。
ハッピー・アイルにはヨセミテ渓谷を循環している無料バスがある。ここからカレー・ヴィレッジやヨセミテ・ヴィレッジに簡単に移動できる。
図 17.28: リトル・ヨセミテのトイレ。2012 年撮影。
図 17.29: リトル・ヨセミテのキャンプ・サイト。2012 年撮影。
図 17.30: リバティ・キャップとネバダ・フォール。 2012 年撮 影。
図 17.31: ネバダ・フォール。2011 年撮影。
図 17.32: ステラ・ブルー・ジェイ。2011 年撮影。
図 17.33: ヴァーナル・フォール。2011 年撮影。
ヨセミテ渓谷
ヨセミテ渓谷の地図をグーグル・マップから図 17.34 に引用しておこう。宿泊施設はヨセミテ・ヴィレッジ、カレー・ヴィレッジにいろいろあるが、値段が高くて予約が難しい。一番、高額なのはザ・オーウェーニー・ホテルだが、食料管理がずさんで地リスが多く、ハンタ・ウィルスのため観光客が死亡した。2024 年の Daily Mail に記事がある。という訳で、リスは可愛いのだが、絶対に触ってはいけない。
筆者はカレー・ヴィレッジに数回泊った。2017 年は最悪だった。モリタ・リカさんが行方不明 (後に溺死と判明)、筆者は日本の PCT/JMT グループからブロックされ、その関係のソノラ・パスのトレイル・エンジェルからもブロックされ、ヨセミテ以北に行けなくなった。悪いことは続き、なぜか、カレー・ヴィレッジの職員が補給物資を受け取ろうとせず、手元に届かなかった。これは EMS だったので、放置すると、数ヵ月後に日本に送り返された。良かったことは、密閉して煮沸消毒した JMT パンが数ヵ月後でも美味しく食べられるということぐらいである。悪いことは続く。トレイルでは無理しないことだ。
地図に星印を付けたのが2024 年に泊まる予定で調べた場所である。パーミット保持者は 1 拍だけ許される。支払いは Recration.gov のアプリで行う。ここは残念ながら、カレー・ヴィレッジから数 km あり、買い物に便利とは言えない。アッパーとロウアー・パインズ・キャンプ・グラウンドはカー (オート)・キャンプ場なので、ハイカーは宿泊できない。ハイカー用としてはキャンプ 4 があるが、ヨセミテ・ヴィリッジの南西 1km ほどの場所で、先着順ではあるが、予約が必要といろいろハードルがある。それで、最近はヨセミテ渓谷での宿泊は極力さけている。
宿泊施設で良かったのは、2016 年に補給をかねて泊まったのがハウスキーピング・キャンプである。ここも食料品は売っているし、補給物資も受け取ってくれる。何よりも自炊ができるのが利点である。家族向きの場所なので。賑やかではあるが、夜にはちゃんと静かになる。図 17.35 と図 17.36 である。夕食の材料はヨセミテ・ヴィレッジの食料品店で購入した。
補給するならヨセミテの郵便局が確実である。2024 年は急遽ヨセミテから南向き JMT なので、トゥアルムに補給物資を送った。ヨセミテに着いた時に荷物がどうなるか聞くと、追跡番号で調べて確認してくれた。それだけではなく、トゥアルムに着いた時、荷物には赤マジックで筆者の名前を大きく目立つように書いてあった。親切な人だった。
図 17.34: ヨセミテ渓谷の地図。グーグルマップより。
図 17.35: ハウスキーピング・キャンプの室内。2016 年撮影。
図 17.36: ハウスキーピングキャンプでの自作ディナー。平たいパン は臭くて食べられなかった。2016 年撮影。
ヨセミテ渓谷でのハイキング
ヨセミテ渓谷で宿泊すると、デイ・ハイキングがいろいろできる。筆者は不熱心なので、ミラー・レイクとグレイシャー・ポイントに出かけた程度である。ミスト・トレイルはついでに何度も通った。登るのが嫌で行かなかったのがヨセミテ滝のトレイルである。ミラー・レイクやグレイシャー・ポイントは 2009 年に見学に行ったのみである。
ミラー・レイク・トレイルはミラー・レイクに至るトレイルである。地図の左にある。浅い湖だが、風がないと鏡のようになる。図 17.37 に示す。この時は半分以上が干上がっていた。その後、岩が崩れてトレイルが一時的に封鎖になった。ロック・フォールと呼ばれる岩崩れは、ヨセミテ渓谷では定期的に起る。筆者が歩いた後、トレイルは整備され、現在はトイレも設置されている。
半日かかるが、グレイシャー・ポイントのハイキングはお勧めである。地図の左側のフォア・マイル・トレイルヘッドが起点である。その近くまで無料のバスでも入れる。筆者は暇だったからカレー・ヴィレッジから歩いて行った。ハウスキーピング・キャンプを過ぎてしばらくすると、教会がぽつんと立っている。図 17.38 のヨセミテ渓谷チャペルである。
なぜ、こんな所に孤立して立っているのかと言えば、かつてヨセミテ・ヴィレッジはこの辺りにあったが、洪水などの関係でマーセド川の北に移転したようだ。なぜか、チャペルだけは引っ越さなかった。人が住んでいないからだろう。
図 17.37: ミラー・レイク。2009 年撮影。
さて、フォア・マイル・トレイルヘッドはチャペルのさらに下流である。トレイルはよく歩かれている。スイッチバックの連続だが、マーセド川の蛇行がよく見えるので退屈しない。グレイシャー・ポイントからの風景が図 17.39 である。ここに登ればヨセミテ渓谷が U 字谷、つまり、氷河によって削られた地形と一目して分かる。ハーフドームも氷河で削られたのだろう。昔々、ジョン・ミューアが地質学者と論争し、彼の氷河による形成説が正しかったと証明されたが、地形をよく観察すれば当たり前の結論である。
グレーシャー・ポイントの真下にはカレー・ヴィレッジ (図 17.40) がある。水色はカレー・ヴィレッジのプールである。ヨセミテ渓谷では岩が定期的に落ちる。当然のことながら、カレー・ヴィレッジの崖の傍は立ち入り禁止になっている。
図 17.38: チャペル。2009 年撮影。
図 17.39: グレイシャー・ポイントからの眺め。2009 年撮影。
図 17.40: グレイシャー・ポイントの真下。カレー・ヴィレッ ジとマーセド川。2009 年撮影。
ハイキングの後で
残念ながら、最近はアメリカに行っても日本人とは思われない。身体が大きいので、中東の荒くれ男とか言われたことがある。英語が喋れないアメリカ人も多いので、英語が下手だから外国人とは限らない。単なる東洋系なのか、現地のネイティブ系 (いわゆるインディアン) の大型の人間なのか分からない。
アメリカ人とみなされると、年齢より若く見えるので、アメリカのおばさんたちからは「記念撮影するから電動歯ブラシを持って加われ」とか、「そんな歯ブラシ、捨てちまえ」とか頭ごなしに命令されたりする 。
JMT が最初の時は、日本から来たナイーブな日本人と見てくれた。 それで素晴らしく親切にされた。ビールを飲んで行動不能になった戸坂さんをサンフランシスコまで連れて帰ったのは、ジョエルとジョシー・マックミン親子だったが、2009 年のメモを見ると、住所も電話番号も控えていた。
2009 年、筆者はヒッチハイクを2回行ってローン・パインからヨセミテ渓谷に移動し、一週間ほどカレー・ヴィレッジに滞在し、アムトラックでサンフランシスコまで戻っていた。そして完全に記憶から欠落しているのだが、なぜか、ジョエルに電話して会っている。朝早く、彼は筆者の泊まっていたモーテルに迎えに来て、娘さんと一緒に筆者をサンフランシスコのベイ・エアリアを案内した。
図 17.41 がジョエルである。大道芸人のアクロバットを見学したり、船着き場のデッキを占拠しているアザラシ (図 17.42) を見た。ランチもごちそうになり、市内を車で案内され続けたが、そのうちに膀胱が満タンになってしまった。サンフランシスコには公衆トイレが少ない。
ジョエルはある店にトイレの使用を頼むが断られ、やむなく、スーパー・マーケットのトイレを目指した。そして、不思議なことに、ここでケビンを思い出した。電話をかけるのが面倒でジョエルに依頼した。そして、筆者はスーパー・マーケットで下ろされた。膀胱の緊張を解いた後、ケビンが現れ、今度は新たな案内役として、サンフランシスコを走った。
まず、REI に行き、REI の会員になってお土産のバックパックを買った。それから、彼が住んでいるクレイトンに行き、奥さんのタマラさんと会った。たまたま公園でロック・コンサートがあったので、手作りのサンドイッチを持って見学に行った。それが図 17.43 である。夜、暗くなってからケビンが筆者をモーテルまで送ってくれた。
クレイトンはサンフランシスコ郊外の小さな町で、イベントと言えば、公園でのコンサートくらいしかない。アメリカの小さな町はこんなもので、その後に訪れたワイオミングのパインデールでも公園でのコンサートくらいしかなかった。「ここで寝ます。」と言って、そのまま寝る女性もいて、びっくりした。アメリカでも地方の小さな町は平和で安全である。
最後に
アメリカに行くまでは、アメリカはお金の世界で、なんでもお金で解決すると思っていた。これは完全な間違いだった。お金しか頭にない人はいるが、ごく一部だろう。そういう人はアメリカでは目立つので多いように感じるだけである。
ハイカーの世界ではビジネスは嫌われる。特にトレイルでのビジネスはよくない。「アメリカハイキング入門」にトレイル・エンジェルの件で、ジャッキー・マクドネル (ヨギの PCT ハンドブックで有名) とアンドレア・ディンスモア (スカイモニッシュのトレイル・エンジェル) の議論を紹介した。
ジャッキーは、ハイカーは一泊 20 ドル払うべきで、トレイル・エンジェルはビジネスをしていると批判し、これに対して、アンドレアは真向から反対した。アンドレアは寄付金があれば受け取るだけである。年金をつぎ込んでハイカーを支援しているトレイル・エンジェルがほとんどである。
ディンスモアをビジネスと批判したジャッキー (ヨギ) は、その後、南のケネディ・メドウで、トリプル・クラウン・アウトフィッターを経営した。ところがビジネスがあくどい、人を操る人間だとさんざん批判されている。この記事は フェイスブックの PCT Class of 2026 Uncensored グループに掲載されている。
筆者が知る限りでは、トレイル・エンジェルはすべてボランティアで、生活費を持ち出してハイカーを支援している。
友人のシュルーマーもビジネスを嫌っていた。筆者がどこかのアウトドア・メーカーに勤めていて、テントのテストを JMT でやっているとしたら、友達にはならなかっただろう。筆者が暇で、毎年、目的もなく JMTをぶらぶらしていたから友達になった次第である。筆者が JMT ばかり歩いているのを見て、アメリカにはもっと素晴らしい場所があるんだと言って、一ヵ月ほど、見知らぬ日本人をイエローストン、ウィンド・リバー・レンジ、グレイシャー国立公園とよく連れまわしたと思う。図 17.44 がその時の記念写真である。
アメリカで何十回かヒッチハイクをしたが、ガソリン代を受け取る人はいなかった。すべて拒否された。お金を受け取る人は悪人だとも注意された。ハイカーをみんなが無償で支援している。それがアメリカのハイキングの世界である。
図 17.41: ジョエル・マックミン。2009 年撮影。
図 17.42: サンフランシスコの埠頭を占拠するアザラシ。2009 年撮影 。
図 17.43: クレイトンのロック・コンサート。2009 年撮影。
図 17.44: シュルーマー、パイパー、トレイル・ハッカー、そし てロウギア (筆者)。グイシャー国立公園にて。2013 年撮影。
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