
ゴールドラッシュの夢の跡をめぐる旅。デスバレー周辺ハイキングコース第二弾 キーン・ワンダーマイントレイル【歩かずに死ねるか!アメリカ国立公園への旅(45)】
前回に引き続き 死の谷 デスバレーナショナルパークの第二弾といたしまして、今回はアメリカの歴史を垣間見る Keane Wonder Mine Trail(キーン・ワンダーマイントレイル)、採掘跡のハイキングトレイルをご紹介いたします。
このトレイルはまさにアメリカの西武開拓の歴史を歩きながら垣間見ることの出来るとてもユニークなハイキングルートになっていて、金鉱遺跡を見て歩く場所です。
まずはこのエリアの歴史から簡潔に説明します。
目次
デスバレーの歴史
この地にも元はネイティブアメリカン先住民のティンブシャ・ショショーニ族がこの地に住み、自然と共存した生活を送っていましたが、1849年ゴールドラッシュでノーザンカリフォルニアで金が見つかり、一攫千金を狙った沢山の人々が国中はもちろん世界中から西へ西へと向かっていきます。
カリフォルニア・ゴールドラッシュの最中、金を求めた開拓者たちもデスバレーにやってきます。誤ってこの過酷なデスバレーに迷い込み、極限状態に陥ります。その時ある女性が「Goodbye, Death Valley(さようなら、デスバレー)」と言ったことが地名の由来とされます。
その後、鉱業の発展(19世紀後半から20世紀初頭)ボラックス(ほう砂)の採掘が盛んになり、鉱山町が栄えていきます。その時のほう砂を運ぶ輸送方法に動物のミュール(ラバ)が使用され、「20ミュールチーム・ワゴン」(20 Mule Team Wagon)という名前でボラックスの輸送で有名になりました。馬よりもミュールのほうが暑さや乾燥に強かったためミュールであるラバが輸送するために使われたそうです。大型の荷馬車の輸送システムで1883年~1889年(約6年間)デスバレーの鉱山で採掘されたボラックスを約165マイル(約266km)離れた鉄道の駅(モハヴェまで)へ輸送しました。
この輸送方法は、たった6年間しか使われなかったものの、デスバレーの歴史の象徴として今も語り継がれています。
そしてここからが本題。有名になったのは、ほう砂採掘だけではないのです。ほう砂採掘後、1904年に金が見つかりました。そこでも特に有名になった場所が Keane Wonder Mine (キーン・ワンダー鉱山) です。本日はこのエリアを歩くハイキングルートをご紹介いたします。
Keane Wonder Mineは、デスバレーで最も成功した金鉱山の一つで、20世紀初頭にここでのゴールドラッシュの熱狂を生み出しました。現在ではデスバレー国立公園内にあり、歴史的な鉱山遺跡として観光名所になっています。デスバレーでは珍しく、大規模な金の鉱脈を持つ鉱山だったそうです。
金の埋蔵量は多かったのですが、鉱石の輸送が課題となり、その後、1907年鉱石をふもとの製錬所まで運ぶために空中索道(トラムウェイ)が建設されます。 全長1,500m、高低差400m
最盛期は1907年から1912年で、多くのデスバレーの鉱山が話題を集めながらも収益をほとんど生み出さなかったのに対し、キーン・ワンダー鉱山は62万5000ドルから68万2000ドル相当の金を産出しました。
当時の1ドルは金1.5グラムと等価であり、1グラムの金は約1.5円の価値がありました。したがって、1ドルは約2.25円となります。このレートで計算すると、62万5000ドルドルは約1,406,250円、682,000ドルは約1,534,500円となります。しかし、当時の1円の購買力は現在の約2万円に相当するため、現代の価値に換算すると、約28億円から約30億円に相当します。 短期間で多くの金を産出しましたが、1912年に枯渇し閉鎖しました。
1930年代に新しい採掘技術を導入し、一時的に再開。
しかし、大量の金を産出することはできず、最終的に放棄されたという場所です。
現在の状況(観光地として)
Keane Wonder Mineは、デスバレー国立公園の歴史的遺跡のひとつとして保存されており、観光客が訪れることができます。
そしてその後、国立公園の設立1933年に国定記念物に指定され、1994年にデスバレー国立公園として正式に認定。現在は、極端な自然環境と美しい景観を持つ観光地として世界中から訪問者を集めています。
デスバレーのハイキングおすすめの時期(再掲)
- 10月~4月:気温が比較的穏やかで、快適に観光やハイキングが楽しめます。
- 12月~2月(冬):日中は20℃前後で過ごしやすいですが、朝晩と日中の寒暖差はあります。朝晩は冷え込むので防寒対策をし服装に注意が必要です。
- 3月~4月(春):特に雨の多い年にはワイルドフラワーが咲き、景色が美しくとても良い時期です。
※5月~9月(夏)のデスバレーは世界有数の暑さになり、熱中症のリスクが非常に高く、観光やハイキングは危険なので注意してください。もし3月から5月でハイキングをするなら、朝早い時間や夕方がおすすめです。ここでの夏のハイキングは控えましょう。
Keane Wonder Mine Trail のトレイル情報
持ち物
ハイキングに携行すると便利な持ち物 関してはこれまで同様、一般的なアメリカのハイキングと同じような装備を準備して いきましょう。
- 飲み物(多めに3リットルくらいあるとよいです)
- 気温の調整できる防寒着(風避けシェルが役立ちます)
- 帽子
- サングラス
- 日焼け止め
- ハイキング中に食べるスナックなど
- 常備薬などがある場合は薬やバンドエイドなどのファーストエイド
- その他、通常ハイキング装備で好みのものを
トレイルデータ
- 中級者以上向け
- ベストシーズン11月から3月 (今回の写真は3月です。)
- 往復距離 約13km ( 8mi )
- 標高差 約675.74m(2,217フィート)
- トレイルヘッド標高: 約275 m
- 平均ハイキング時間 2時間から5時間
アクセス(車でトレイルヘッドまで)
DEATH VALLEY, カリフォルニア州 92328
36.66646, -116.95365
トレイルヘッドがある駐車場へは、ビーティー・カットオフ・ロード(Beatty Cut Off Road)から分岐する未舗装の砂利道(2.8マイル/4.5km)を進むことでアクセスできます。
パーキングのオプションは2つあります。
デスバレーを走るメイン道路190からBeaty Rd ( ビーティーロードに入り)走っていくとKeane Wonder Mineの看板が見えてきます。
そこの看板からトレイルヘッドがある駐車場へは、ビーティー・カットオフ・ロード(Beatty Cut Off Road)から分岐する未舗装の砂利道(2.8マイル/4.5km)を進むことでアクセスできます。ほとんどの車両で通行可能ですが、大雨などで道路が荒れることがあるため、訪問前にビジターセンターで最新の状況を確認することをおすすめします。選択としては、車のジャリ道対応に心配な方はそこのBeaty Rd (ビーティーロード沿い)に車を停めて、そこからトレイルヘッドまで歩いていく(約1時間)
スポーツカーなど、心配な方はオフロードに入る手前で停めても良いですね。私は今回はあえてオフロード(3マイル)を歩いていくことにしたので往復距離 12.8km ( 8mi )の長さでご紹介します。
トレイルヘッド(登山口)からハイキング開始
ハイキング開始 朝8時45分
Beaty Rd ( ビーティーロード沿い)に車を停めて、さあ出発。
写真は3月頭で、曇りだったので死の谷をイメージする暑さはなく、とても歩きやすい日でした。でも時折陽が顔を出すこともあり、その瞬間だけすぐに体感温度が上がるのを感じたので、もし太陽が出ていたら相当暑かっただろう、、と想像していました。
未舗装の砂利道(2.8マイル/4.5km)を進むことは往復9kmを余分に歩くことになので正直車で行った方が良いです。笑 良い運動になりますが1時間弱は片道だけでかかるので、往復2時間は、あるとないとでは大きな違いですね。(長いハイキングをしたい方にはお勧め。)でも歩きながら色々な砂漠で生きる植物にも会えますよ。
Larrea tridentata は、クレオソート ブッシュ、グリースウッド、チャパラルと呼ばれるも薬草もちょうど花を咲かせています。春から夏にかけて小さく美しい黄色い花を咲かせます。この植物の特徴は、夏の雨が降り始めるとすぐに葉から放たれる心地よい芳香です。砂漠エリアでよく見ます。
Atriplex hymenelytra(デザートホリー) は、アカザ科(Amaranthaceae)に属する低木で、砂漠地帯に自生しています。北アメリカで最も乾燥に強い塩生低木(ソルトブッシュ)とされており、デスバレーの最も暑く乾燥した環境にも耐え、年間を通じて活動を続けることができます。
車を停めてオフロードから歩き始め約1時間後、トレイルヘッドである駐車場に到着です。
まだこの時間帯は駐車場は空きあきでした。
でもこの後、何台かハイカーや観光客が来ていましたよ。
さ、1時間トレイルヘッドまで歩いたので準備運動は十分です。笑
いよいよトレイルヘッドからこの本ルートのハイキングスタートです。
駐車場から早速見えてくるのが、採掘が行われていた跡地。
この鉱山の成功を支えた要因の一つが、画期的な空中トラムウェイの存在でした。このトラムウェイは、鉱山から製粉所へ金鉱石を輸送するために建設されました。設備には2つのターミナルと13本の塔があり、ケーブルは深い峡谷をまたぎ、総落差1,500フィート(約457m)に及びました。金属製の鉱石バケットは頂上で積み込まれ、1日70トンもの鉱石を運びながら、1マイル(約1.6km)離れた製粉所へと降下しました。駐車場から少し歩くだけで、その跡地の一部の下部ターミナルと製粉所の見事な木造構造物を間近で見ることができます。
分かりづらいですが、鉱山労働者の宿舎、古い機械、鉱石を処理する施設などの跡も残っています。
Keane Wonder Mineは、デスバレーで最も成功した金鉱山のひとつであり、短期間ながら大きな採掘量をがありました。このように実際に当時使用していたものを目の前で見ることが可能で、当時に実際に使用していたその鉱山自体を歩けるというのはとても珍しいと思います。
アメリカの西武だからこそある光景ですね。
歴史を学びながら壮大な景色を楽しめる観光スポットになっています。
トレイルは続いていきます。
さらに、整備されていない急勾配のトレイル(約0.3マイル/0.5km)を登ると、峡谷を見下ろすトラムウェイの塔の基部まで行くことができます。
無動力で重力を利用し、鉱石を自動的に降ろす画期的なシステムだったそうです。
山の斜面に沿って、トラムウェイの支柱やケーブルが残っています。自分の足で歩くだけでも不安定な場所もあって注意が必要なのに、どうやって下からこんな崖まで、この支柱を作る機材を運んだんでしょう。一体、どうやってこんな場所にこれが作れたのか、、、と疑問ばかり浮かんできます。どう考えても危険の伴う作業。
その当時の人々はタフすぎますね。
さらに進みながら急坂を登ります。最終的にはこのトラムウェイの上部ターミナル、鉱山跡地を訪れることも可能で、そこが本日のゴール
です。
あちらこちらに採掘の坑道である穴も見当たります。
キーン・ワンダー鉱山へのトレイルは、鉱山の修復と補強が必要だったため、2008年に閉鎖されました。その後、2017年末にトレイルが再開されました。
2008年から2017年にかけて、この地域は構造の安定化、鉱山の安全対策、土壌サンプリングのために閉鎖されていました。
多くの坑口は訪問者の安全のために封鎖されており、現在は在来のコウモリの生息地となっていたりするみたいです。一部の坑口や金属の残骸がまだ残っているため、探索時には十分に注意してください。開いたままの坑口を見つけても、安全のため絶対に立ち入らないでくださいと公園側は言ってます。
現在も残る採掘跡が、かつてこの道を歩いた鉱夫たちが、この地に別の価値を見出そうと切磋琢磨したことを私たちに思い起こさせます。
途中で見える景色は圧巻です。眼下にはデスバレーの壮大な景色が広がり、また、短時間で一気に標高を稼いでいることを実感します。
当時の鉱山労働者たちもこの過酷な環境と向き合って、命懸けでこの同じ景色を見ていたのかな、、と感じてしまいます。現在、これらの構造物は静寂に包まれていますが、このトレイルを登ることで、デスバレーの歴史に刻まれた遺産を静かに振り返り感じることが出来るとても貴重な場所です。
個人的な話ですがアメリカに来てからウェスタンムービーを見る事が好きになりました。それはアメリカの歴史を見て感じられるからです。そしてこのコースはまさにその映画の歴史の中にいるようで、西部劇の一場面から抜け出してきたかのような場所です。
ハイキングの大部分では、かつて鉱山キャンプに水を供給していた錆びついた旧水道管に沿って進むことになります。急坂がずっと続きます。かなり標高を上げてきているので、1マイル(約1.6km)にわたる空中トラムウェイの全景や、周囲の丘や谷に無数に掘られた鉱山跡を一望できる絶好のポイントも多々あります。
周囲を見渡せば見渡すほど、信じられないような場所にトラムが引かれて、至る所に小さな坑道の入り口を発見でき、本当にどうやってこんな場所にこのようなシステムを作れたのか、どうやってここに穴を開けたのか、、とただただ驚きです。
中にはじっくりチェックきる坑道の入り口もあります。
そして更に進みます。本日のゴールまではもう少し。
ついに本日のゴール、キーン・ワンダー鉱山の上部空中トラムウェイのターミナルに到着です。 出発から約2時間でした。
キーン・ワンダー鉱山のトラムウェイは、1900年代初頭に金を採掘し、山のふもとへ運搬していました。
ここで折り返し、眼下に広がる壮大なデスバレーの景色を楽しむのもよし、さらに奥へ進み、鉱山跡を自由に探索するのもよしです。自分のペースでこの歴史的な場所を堪能してください。
私はここから折り返し、来た道を戻りました。
命懸けの作業場だったのは間違いないと想像しますが、一つ言えるのはこの鉱山地からはデスバレーを一望できる、美しい眺めが常にあるということ。当時の人はそんな事を考えている余裕すらなかったのかもしれませんが、本当に雄大な大地が目の前に続いています。
デスバレーは、西へ向かう旅人にとって、その過酷な環境と「一攫千金」の可能性から伝説の地となりました。現在、この地が保護された景観として残されているため、近代の歴史を今でも目にすることができます。デスバレーには、18,000以上の採掘関連の遺構があります。これらの壮大な跡地は、デスバレーだけでなく、西部全体で起こった無数の物語を想像させてくれます。とてもユニークな貴重なトレイルでした。
帰りは45分で下のトレイルヘッド駐車場まで降りてこれました。下りは早いですね。
私はそこから車を置いた場所までもどりトータル4時間でこのハイキングを終えました。
(「デスバレーその3」へつづく)
加藤 さやか
ヨセミテ国立公園をはじめとした、カリフォルニアのハイキング・旅行プランはお任せください。父の影響もあり昔からアウトドアアクティビティーが大好きで、日本にいた頃から登山、国立公園巡りをする中で、アメリカやカナダの大自然に魅了され、その結果念願だったアメリカに辿り着きました。現在は日本人ガイドと行く完全プライベートハイキングツアーなど、お客様と一緒に作る現地オプショナルツアーを提供するANAMI TOURSを営んでいます。現地在住だから知り得る、スペシャルなオプションをご紹介させて頂きます。ご興味ある方は下記HPから。