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ジョン・ミューア・トレイル 北向き縦走 (2025 NOBO) の記録 【第4章】オニオン・ヴァレイからウ ッズ・クリーク

【第4章】クラブツリー・メドウからケアサージ・パス

南向き JMT なら VVR からウィットニー・ポータルまで 10 日くらいで歩ける。 ただ、ホースシュー・メドウから VVRは 14 日くらいなので、途中で補給した方がよいだろう。さすがに最近は無補給で歩くのが苦しくなった。

一番、簡単でコストのかからない方法は、ケアサージ・レイクスかオニオン・ヴァレイ上流部でキャンプして補給物資を取りに行くという方法である。その後はグレン・パスを午前中に越える方がよい。パスを越えるとレイ・レイクスが現れる。きれいな場所だが、環境保護のため一泊だけという条件がある。
レイ・レイクスからはシックスティ・レイク・ベイズンに行ける。周遊するとクロス・カントリーだが、往復ハイキングなら問題ない。レイ・レイクスからアローヘッド・レイクまでの景色もなかなか良い。

ウッズ・クリークの下りはなだらかで歩きやすい。途中で二つの小川を横切るので、途中で水の補給をしたり、キャンプもできる。本流との合流点には大きなキャンプ・サイトがある。熊が出るので有名らしい。

リサプライ受け取り

昨日、携帯圏内で inReach のプリセット・メッセージの「Tent here」をジェイムズさんにも届くように設定した。ジェイムズさんはそれだけでは満足しない。必ず、今、どうしているかと聞いてくる。

「今のところ順調だ。ただ、歳のせいで高度でひどく消耗した。」

「俺はバックパックを軽くしたので、だいぶ違う。67 歳だ。食料と水抜きのベース・ウェイトは 9.5kg だ。」

「ベース・ウェイトはたぶん 2 倍だ。75 歳だよ。」

「その重さで、ようやるよ。MTR でゼロ・デイは必要だろう。」

プリセット・メッセージをテント設営後に発信するのは無料だが、ジェイムズさんはいろいろ言ってくる。毎日返事しないといけない。意外に忙しい。

図 4.1: オニオン・ヴァレイからウッズ・クリーク

図 4.2: ジルバート・レイク

夜は暑くてあまり眠れなかった。テントの中で 14 ℃もあった。それでも頑張って 6 時まで寝た。朝食後に秤でガス残量を調べると残り30%だった。トレイルヘッドに持って行って捨てるほかない。8 時頃に空っぽのバックパックに雨具、浄水器、30%残のキャニスター、水 1L のみを持ってゆっくりと出かけた。

トレイルは疎らな林の中を進む。スイッチバックを過ぎると、フラワー・レイクに近づく。ここの奥で寝る予定だったが、より上流で寝た方が人も少ないので、盗難の心配もない。だから最上流で寝た。保温カップが岩の上に置いてあった。誰かの忘れ物だろう 。そのまま放置して通り過ぎた。この忘れ物は帰りには無くなっていたので、落とし主が回収したのだろう。

フラワー・レイクは樹林帯の中なので、トレイルからあまり見えない。続くジルバート・レイクとの標高差も小さい。湖には女性がキャンプしていた。見通しがよい場所なので、筆者が現れてトイレの場所に少し困った様子だった。野生の鹿も複数現れた。中には標識の付いた鹿もいた。これは初めて見た。

ジルバート・レイクから少し進むと、スイッチバックになり、急角度で下りていく。この斜面も圏内なので、一応はメールをチェックした。まだ、日本は真夜中のため、電話はできない。下って回り込んでいくと圏外になるが、もう一つ大きなスイッチバックを下るとオニオン・ヴァレイである。のんびり歩いたので、2 時間半かかった。トレイルヘッドは狭い。図 4.4 に示す。最大でもこの程度の車なので、ヒッチハイクは少し時間がかかる。

図 4.3: 野生の鹿、この他、首に標識を付けられた鹿もいた。

図 4.4: オニオン・ヴァレイ・トレイルヘッド

図 4.5: アーロン・パールマン。このカップルとはウッズ・クリークの上流でも会った。ピンチョー・パスの往復ハイキングだろう。

トイレの左のフード・ボックスの裏の扉を空けると、クルトさんに依頼していたリサプライがあった。取り出そうとしている時、スマホでフード・ボックスの中をいろいろ撮影している人がいた。図 4.5 のアーロンさんである。トレイルの経験者でガール・フレンドにリサプライのことを説明していた。筆者が最上流部でキャンプして往復するという話をすると、

「俺もやったよ。良い場所だからね」

「ちいさな池と小川があって良い場所だね。でも、往復すると、サンドイッチが食べられないんだよ。ヒッチハイクで往復するには、もう少しスマートでないといけないし。なかなか難しい。」

食料を取り出して、フード・ボックスの上に並べて整理したのが、図 4.6である。一日ごとにまとめると分かりやすいが、JMT パンが三日で一切れの分量なので、三日分ずつまとめた。左端がガス・キャニスター、マヨネーズなど。続いて三日間ずつの十日分の食料。右端がコーヒーやおやつ、右端の端が不要の食料である。高所障害であまり食べられなかったので、JMT パンとドライのポテト類の一部を捨てた。残念だが、仕方ない。 30%残のガス・キャニスターは誰かが使うかもしれないので、フードボックスの上に置いた。

図 4.6: 十日分のリサプライを並べて整理する。

 

ここで、リサプライの方法をまとめておこう。

  • リサプライをインデペンデンスの郵便局に送る。オニオン・ヴァレイからはヒッチハイクで往復する。リサプライを町で購入する手はあるが、非常に小さいマーケットしかない。購入できるものは限られるので注意すること。
  • ハイキングに先だって、リサプライをオニオン・ヴァレイのフード・ボックスに入れて保管する。この時、食料を入れた箱に氏名、保管期限などを書いておく。さもないとゴミとして片付けられる。オニオン・ヴァレイには筆者のように最上流かケアサージ・レイクスでのキャンプから往復する。
  • マウント・ウィリアムソン・モーテルが宿泊とリサプライとトレイルヘッドへのシャトルをパッケージ化している。価格は高く、400 ドル前後である。我々は 2019 年に利用したが、モーテルは古く、エアコンの音がうるさくて眠れなかった。一日前にシャトルの取り消しをしたのに払い戻しをしてくれなかった。それでここには二度と泊まらない。
  • シャーロット・レイクとのジャンクションでパッカーに食料を持ってきてもらう。これが一番楽だが、馬二頭と人間一人の労賃が必要なので、費用は 1,000 ドル近くかかる。さらにパッカーは要するにカウボーイたちなので、なかなかメール連絡ができない。アメリカのハイカーは人を募って共同で利用している。
  • 後で知ったが、ジェイムスさんには丈夫な息子がいて、彼がジャンクション近辺でテントで寝ている間にリサプライを取りに行った。こういう丈夫な息子がいると、非常に素晴らしい。理想的な方法である。

図 4.7: なぜか、グロース (雷鳥) がトレイルから動こうとしなかった。

サンドイッチのためにヒッチハイクでインデペンデンスを往復する自信はない。この日のために長期保存可能なブルーベリー・ケーキをリサプライに追加しておいた。すこし早いが、ランチにしたい。傍のキャンプ・グラウンドを見たが、既に誰かが入っているようだし、少しだけトレイルを戻ってみることにした。山の裾を回り込んだ場所に日陰があり、広い場所が見つかった。スイッチバックの手前である。そこでインスタント・コーヒーとケーキのランチとした。

1 時過ぎにのろのろと歩き始めた。千恵子に電話したいが、日本はまだ朝になっていない。せめて 2 時過ぎでないとダメだ。起きたら電話するようにメールを入れて歩いた。スイッチバックが始まって少しすると電話が来た。日本は午前 5 時頃である。リサプライは問題なく成功と告げた。 050 というネット電話で、アメリカ極安 SIM を使っているので、いくら電話しても問題ない。

ジルバート・レイク手前のトレイル脇にグロース (雷鳥) がぼんやりと立ったまま動こうとしない。せっかくだからポートレートを撮影して、避けるようにして歩いた。後ろから来た女性ハイカーにも避けるように指示した。グロースだっていろいろ考えることもあるのだろう。

テントに戻ったのが 3 時過ぎ。出発した時のままで、何も変わりがなかった。ただし、日光が当たるので、日陰に移動した。何もやることがないので、アーモンドを少し食べてうたた寝した。夕食は鯖缶定食とした。

リサプライは成功したし、次の課題はグレン・パスを越えるだけだ。

ケアサージ・パスからグレン・パス

よく寝て、5 時過ぎに起きた。昨日、だらしくなくオニオン・ヴァレイ往復をしたのが良かったらしい。アクティブ・レストに該当し、疲労がとれてパンが美味しく感じた。ようやく高度障害の影響が消えた。7 時過ぎに出発、歩くのが遅いので、パス到着が 9 時過ぎ。記念撮影をしたり、アメリカのハイカーとお喋りをした。そのハイカーたちを図 4.8 に示す。ちょっと重装備のようだが、JMT ハイカーとか長めのセクション・ハイカーなのだろう。

スイッチバックを一つこなすと、大きなバックパックを背負わず、手で持って上がってくるハイカーがいた。そして、スイッチバックの切り返し点に座っているハイカーかいた。

「どうした。」

「脚が痙攣して動けない。」

偶然、素晴らしい被験者が手に入ったので、嬉しくなって酢の効果を試してみた。

「OK。今から特効薬を処方する。上を向いて口を開けろ。酢を少し垂らすから口にしばらく含んで味わえ。」

痙攣が電解質不足で起こるという仮説は 10 年以上前に否定された。ジュリアートら (2018) による 69 研究の包括的なレビューでも、脱水・電解質仮説より、神経筋仮説が優勢であった。最新の研究では末梢の運動性ニューロンではなく、脊髄が関与している。文献検索の結果、偶然に見つけたのが酢の効果である。酢はおそらく神経系を強く刺激してリセットするのだろう。そのため、効果は 10 秒~1 分で現れる※1。

10 秒程度で彼の表情が変わってきた。効いたようだ。

「名前は?」

「ヒロだよ。」

「君は俺のヒーローだ。」

彼は筆者を撮影しようとしたが、バッテリーが切れていて、残念そうだった。筆者のカメラはソニーなので、助けようがない。じゅうぶん時間を潰したので、先に進むことにした。ちょうど仲間が下りてきた。先ほど、片手でバックパックを持って上がっていった人だろう。彼も立ち上がって、自力で歩いて登って行った。酢を数滴使っただけだが、伝説のヒーローになったかもしれない。

※1村上 宣寛. ハイキングの科学 第 4 版 (p.309). Kindle 版.

図 4.8: ケアサージ・パスのハイカーたち

図 4.9: エドガー・レイズ。インスタによるとカメラマン、手にあるのはキャノンのミラーレス。仲間との通信用にモトローラのトランシーバーを持っている。

スイッチバックを終えて、しばらくはまっすぐに下るが、ブルフロッグ・レイクの方には向かわず、ケアサージ・パス・トレイルを進む。高度を下げずに JMT に接続できる近道である。2019 年に千恵子と南向き JMT をやった時にテントを張った場所を図 4.10 に示す。パイン・ツリーの間で、地図には赤い▲で示した。水はこの西 100m くらいの場所にある。

図 4.10: 2019 年にテントを張った場所。水はこの辺りだけである

先に進むとトレイルは急斜面を水平に切って付けられている。ここからはブルフロッグ・レイク全体が見渡せる (図 4.11)。地形が穏やかになった場所に倒木があったので、腰掛けてランチとした。これからは穏やかなトレイルになり、JMT と接続する。シャーロット・レイクも見えてくる。トレイルは傾斜を増してくる。東に回り込むと森林限界を越え、岩稜地帯になる。水を探すがいつもの場所にはない。小さな水たまりは干上がっていた。少し先に進むと大きな水たまりがあったので、浄水器で水を補給した。数人のハイカーが通り過ぎた。

図 4.11: ブルフロッグ・レイク

高度を上げると最初の池が現れる。急傾斜面で囲まれた丸い池なので、水は汲みにくいし、休憩する場所もない。したがってここに来る手前で水を補給する。

きれいな制服を来た人とすれ違った。

「レンジャーですか?」と声をかけた。どうも前に見たことがある人だった。調べてみると 2018 年にマザー・パスですれ違い、写真を撮らせてもらった人である。筆者のことは記憶していないようだ。今回も写真撮影を快諾してくれた。ついでに聞いてみた。

「トランプ政権下で、雇用状態に変化がありましたか?」

ちょっと新聞記者みたいで、言い過ぎたかなと思った。

「その問題に関してはお応えできる立場ではありません。」と模範的回答を頂いた。この人は 2018 年にはパーミットを見せると言っても断った人だが、今回はパーミットを要求し、そこに署名を入れた。それが SEKI- 116@Glen Pass 8/1 である。これはトランプ政権に変わって、パーミットのチェックが厳しくなったことを示す。

グレン・パスに到着したのが、午後の 4 時。天気が悪ければ水を補給した場所近くでテント泊の予定だったが、今年は毎日快晴が続く。遅いので、グレン・パスには誰もいない。北側の風景を図 4.14 に示す。2 枚の写真を合成したものである。今日の目的地は一番遠くの湖レイ・レイクスだが、かなり遠い。

図 4.12: グレン・パス南側の池。パスは写真の左上。

図 4.13: レンジャーと遭遇。2018 年にも会った。

図 4.14: グレン・パスの北側。一番奥の湖がレイ・レイクス、高い山はブラック・マウンテン。

2017 年の写真を図 4.15 に示す。パノラマ合成した写真の右側の風景である。この時は斜面に雪渓が残り、アイスアックスとクランポンが必要な状況だった。スイッチバックを終えた時、シューズを履いただけのハイカーが滑りながら登ってくるのに遭遇した。事故死の報告はなかったが、死ぬほど疲れたことと思う。

図 4.15: 雪の多い年のグレン・パス。ぎざぎさの遠い山はドラゴン・ツゥース。テーブル状に見える山はペインテッド・レイディ。2017 年 7 月 26 日撮影。

グレン・パスからレイ・レイクスまでは 1 時間ほどだが、午後 4 時過ぎるとだんだん足が動かなくなる。スイッチバックを下ると、水平な岩稜帯にかかり、右手にはペインテッド・レイディの背中が見える。ペインテッドは茶色に彩られたという意味である。花崗岩ばかりのハイシェラで地層が露出している場所は珍しい。左手には戸坂さんがキャンプしていた湖がある。

図 4.16: 戸坂晃、ペインテッド・レイディ頂上にて。2009 年撮影

2009 年に戸坂さんはトレイルで筆者を待っていて、ペインテッド・レイディはどれかと聞いたので、一緒に登った。ペインテッド・レイディは湖からは尖った三角錐に見えるが、横から見ると、台形状の岩の塊である。 GPS がないとピークの位置が分からない。下手するとかなりの遠回りになる。という訳で、GPS で傾斜の緩い場所を選んでピークを目指した。

彼の雄姿を図 4.16 に示す。その後は登っていないが、理由は往復に一時間以上かかること、ウッズ・クリーク流域が見える他はグレン・パスからの風景とあまり変わらないからである。

戸坂さんがキャンプした湖までは少し距離があってアプローチが面倒そうだったので、通過して短いスイッチバックを下りた。岩のテラスがあり、テントは張れそうだったが、水が遠い。もう少し進んでみた。なかなかキャンプ・サイトが見当たらない。

諦めかけていたその時、左手に小さな池があり、木の間には裸地があった。入ってみると、一つだけテントが張れるサイトだった。木陰でトレイルからは見えない。小川もあった。ペインテッド・レイディの横顔しか見えないが、文句のないプライベート・サイトである (図 4.17)。5 時テント設営。夕食は鯖缶定食とした。

6 時まで寝てしまう。何時もの JMT パン、マンゴー、プルーン、 コーヒーの朝食をとる。何時もより遅く 8 時に出発した。しばらく歩くと、二人のハイカーと会い、すれ違いざまに「日本人ですか」と聞かれた。名前をいうと「ロウギア、ロウギアだ」と言われた。

図 4.17: レイ・レイクス上流のキャンプ・サイト

図 4.18: 左が奥田多恵、右はメキシカンの友人。ビッグ・セキ・ループを歩いてきたようだった。

図 4.19: テントは Robens Buzzard Ultralight、二つの湖をつなぐ半 島の上。2016 年撮影。

「去年、ハイ・シェラ・ルートをやった時、シュルーマーと会ったんです。ヨシヒロは本を一杯書いている。ぜひ会っておけと言われました。こんなに早く会えるなんて!」

シュルーマーはお喋りだから、日本人と見ると、なんでも喋りまくるようだ。友達の友達は友達ということで、しばらく立ち止まったまま話し込んだ。奥田多恵さんと友人のメキシカンはビッグ・セキ・ループをやった帰りのようだ。次は JMT をやりたいようで、補給をどうしているかと聞かれた。一通り説明したが、ロス在住なので、日本に帰る前にロスで会うことにした。記念撮影が図 4.18 である。

立ち話が長かったのか、歩くのが遅かったのか、60 レイクス・ベイズンの分岐に着いたのが 9 時。なぜか、湖を横切らず、テントを張っているハイカーたちがいた。二つの湖を区切る半島のような場所にキャンプ・サイトが多いのだが、知らない人達のようだ。

シックスティ・ レイクス・ベイズン

60 レイクス・トレイルは二つのレイ・レイクを区分する場所から北西に伸びるトレイルでいくつかの湖を経ると、消えてなくなる。それからはクロスカントリーになり、ベイズン・ノッチという低い場所を越えると、なだらかな谷になり、アロウヘッド・レイクを経て JMT に合流する。ベイズン・ノッチ以外の場所は急こう配の谷なので、歩いては下りられない。

最初に知ったのは 2009 年、初めての JMT の時で、チェコの青年が「60レイクスをやったぞ。お前ならやれるぞ」と現れた。アロウヘッド・レイクの傍だったと思う。彼とどこで出会ったのか、記憶は定かでないが、マザー・パスあたりから前後して歩き、最後はクレージー・ドックと一緒にローン・パインに下りた。その時は 60 レイクスをやる自信はなかったが、ずっと記憶の片隅にあった。それで、地図の等高線を調べて、傾斜の緩い場所を探した。ここなら越えられると確信した。そこがベイズンズ・ノッチという場所だった。かなり後になってから知った。

図 4.20: チェコの青年。60 レイクスをやったぞとガッツ・ポーズ。2009年撮影

60 レイクス・ベイズンに行こうと思い付いた時は、たまたまピークスのカメラマンが同行していた。彼はホースシュー・メドウから VVR まで同行した (図 4.21)。

図 4.21: ピークスのカメラマン・編集委員。コットンウッド・パス手前のスイッチバックで。この時は VVR まで無補給。2016 年撮影。

筆者がヨセミテを経てソノーラ・パスまで最長の距離を歩いた年である。時間的に問題ないと思って、デイパックで一回りしてキャンプ・サイトに戻ろうと提案した。しかし、カメラマンに、スケジュールが厳しいと反対された。やむなく、フル装備で出かけた。

最初、トレイルは斜面を登っていく。30 分くらいすれば、レイ ・レイクスとペインテッド・レイディが見えてくる。レイ・レイクスが岩山に囲まれた穴のように見える (図 4.22)。トレイルが水平になってくると、第一の湖が見える (図 4.23)。比較的大きな湖である。第二の湖は小さいが、奥に大きな湖がある。湖岸を歩き、小高い場所から北に見えるのが第三の湖である (図 4.24)。遠くに見える山々は JMT 沿いである。図 4.25 はマウント・コッターで、西に見える。北上するとだんだんとトレイルが消えていく。筆者らはトレイルを見失ったので、湖岸を歩いた。

図 4.22: 中央はアッパー・レイ・レイク、右の尖った山がペイ ンテッド・レイディ。

図 4.23: 第一の湖

図 4.24: 第三の湖

図 4.25: マウント・コッターと手前の湖。この先でトレイルが消えていく。GPS を使って正確に歩くべき場所である。

そろそろ東に向かうべき場所に来た。

「どこだろうかな。ちょっと分からなくなった。」と言った。GPS を見ると、100m ほど通り過ぎたようだ。

少し言い方が良くなかったようだ。同行のカメラマンはビックリして筆者の地図をひったくるようにして取り、先に歩いて行ってしまった。彼は地図を持っていなかった。

「そっちじゃないんだけど。」と言いながら筆者は後をついて行 った。すぐに尾根で行き詰った。

「急で下りられません。」

「だから言っただろう。そっちじゃないよ。下りられる場所は 100m ほど南だ。俺は疲れたので、ここで休憩する。見て来いよ。」

10 分くらいすると、彼が戻ってきた。

「見つかりました。下りられます。」

「そうだろう。では行くか。」

こういうクロスカントリーはミクロ的な判断が必要である。地図とコンパスだけでは難しい時もあり、独立型 GPS が必要である。この時はガーミン GPSMAP 64 だったが、今なら地図表示可能なガーミンの時計で十分である。当時も今もアメリカのフリーの地形図を転送して使っている。ベイズンズ・ノッチは緩やかな谷で、手を使わず、トレッキング・ポールだけで下りられた。下りると谷が見える。この谷を下りてしまうと、ダラー・レイクのはるか下に到達する。下りられそうだが、もちろん、危険である。尾根を水平に横切り、平らな所で、ランチとした。休憩後に少し歩くと、アローヘッド・レイクが見えた。後は順調に湖岸を歩けば、JMTに接続する。この時は、ウッズ・クリークのジャンクションから数 km 上流のキャンプサイトまで頑張って歩いた。

レイ・レイクスからウッズ・クリーク

60 レイクス・トレイルの分岐からすぐに渡渉がある。今年は水量が少なく簡単だった。まっすぐに歩き、上に登るとキャンプ・サイトがいろいろある。図 4.19 がその一つである。ペインテッド・レイディが正面に見える。

湖岸を進むとペインテッド・レイディの姿が少しずつ変化する。今年のベスト・ショットは図 4.26 だろうか。湖岸を回り込み、北に進むと、キャンプ・サイトへの入り口が見える。奥にはフード・ボックスがある。筆者は一度も使ったことがない。

図 4.26: ペインテッド・レイディ。湖からは三角錐の山に見える。

少し先に行くと、レンジャー・ステーションの建物が見えてくる。トレイルからの見通しが良くなるので撮影ポイントでもある。レンジャー・ステーションの下には小川が流れ、良いキャンプ・サイトだった。「アメリカ・ハイキング入門」の表紙に使ったのだが、最近、ここはキャンプ禁止になった。貴重な映像かもしれない。

少し先に進むとフィン・ドームが見えてくる。これも尖った岩の塊で、なかなか思うように撮影できない。今年の結果を図 4.28 に示す。fin はフランス語で魚のひれの意味で、ドルトン・コイト・ブラウンがレイ・レイクスから山々の眺めを見て海の怪物が横たわっていると感じて 1899 年にフィン (尾)・ドームと名付けた。

図 4.27: レンジャー・ステーション近くのキャンプ・サイト。2017 年撮影。

図 4.28: フィン・ドーム

今日は調子が悪く、あまり歩けない。アロウヘッド・レイクの見えるトレイルの横の高い場所でランチとした。10 時頃である。食べ終わった頃、突然、レンジャーが現れてパーミットを見せろという。見せると、レジのバーコード・リーダーのような端末で素早くスキャンした。思わぬハイテクでちょっとビックリした。読み取ったデータは簡単に Rec.gov の入力データと照合できる。非常に危ない。

「どこでキャンプしましたか。」

「レイ・レイクスの上流部。」

「この辺りは一泊以上は認められません。」

なかなか不愛想な女性だった。写真撮影も断られた。こっそり背後から撮影したが、ちょっとピントが合わなかった。足早に去っていった。この辺り全体をくまなくチェックしているようだった。レンジャーの仕事はかなり忙しいようだ。

ランチに名古屋のお菓子、おしるこサンドを食べたのが良くなかったようだ。一袋食べたのに力が出ない。ふらふらと歩き、やっとダラー・レイク手前の渡渉部分に来た。やはり簡単だった。ここを越えて少し登って振り返ると、ブラック・マウンテン、ドラゴン・ツゥース、ペインテッド・レイディ、フィン・ドームなどが一度に目に入る。南向き JMT でここに初めて来た時は驚いた。JMT は峠を越えるごとに違った世界に入る。

ダラー・レイクは相変わらずキャンプ禁止だった。例年は何人も違反しそうなハイカーがいるのだが、誰もいなかった。少しだけ休憩してウッズ・クリークの支流が本流と交わる場所を目指した。広いキャンプ・サイトがあり、一度テントを張りたいと思っていた。

ダラー・レイクからはゆっくりした下りで本流との交差場所まで 3 時間ほどである。小川を 2 回横切るので、川から川までそれぞれ 1 時間である。最初の小川は幅広く、岩が多い。水量が少ないので、問題なしである。ここでひどく女性を叱責している中国人カップルを見たことがある。水量が多いと怖がるのが普通なので、あまり気分が良くなかった。渡渉すると、右側にキャンプサイトがあり、トレイルは丘の上に登っていく。

しばらくすると疲れの見える女性ハイカーが二人近づいてきた。

「この辺りによいキャンプ・サイトありませんか。」

「あと 30 分くらい歩くと、小川がある。渡らないで左に進むとキャンプ・サイトがある。まだ、だれもいなかった。よい場所だよ。」

この程度の会話なら誰も日本人と気づかない。困ったことにアメリカ人よりよく知っている。2 番目の小川は木に囲まれた雰囲気のよい場所だったが、手前から倒木だらけになった。小川のあたりも倒木でむき出しになっていて、日陰で落ち着いて休憩できなくなった。水を補給して最終目的地を目指した。疲労が出てきて脚が進まない。時々、前後して歩いていたハイカー二人に追い抜かれた。コロヘとパパリッチである (図 4.31)。合流点のキャンプ・サイトの手前にもいろいろテントは張れるが、水が遠い。あちこち枯れ木が目立った。最近、雨が降らないからか。目的地に着いたのは午後 4 時だった。コロヘとパパリッチがいて「やったね。」と言ってくれた。まあ、ここまで来ない訳にはいかないし。

図 4.29: ウッズ・クリークの支流領域。なだらかな下りで歩きやす い。

図 4.30: レッド・コロンパイン、小川の傍に咲く。

図 4.31: コロヘ (左) とパパリッチ (右)。kolohe はハワイ語でいたずら好きの意味。PapaRich はたぶんお金持ちのパパ。ただ、p が一つ多い Pap- paRich はマレーシア料理のレストランチェーンである。

コロヘとパパリッチは何もせず休憩中だった。フード・ロッカーの傍に平な場所があったので、とりあえずテントを張った。補強のペグを打とうとしている時、コロヘが「熊だ!」と叫んで、トレッキング・ポールを打ち鳴らし、怒鳴り声を上げた。騒々しいキャンプ・サイトだ。

熊は嫌な人がいるなあという顔をして、のろのろと遠ざかった。どうもよく慣れた熊だ。何時ものことなんだろう。コロヘは「カメラ!」というが、疲れていたのと、あまり興味がなく、写真は撮らなかった。緊迫感がなにもなかった。熊はゆっくりと川の支流に下りて行った。

「食べ物は全部フード・ロッカーに入れるんだぞ。テントの中に食べ物を置くといけないんだ。」と筆者に言った。そんなことを言っても、夜中にお腹減ると、困るだろう。ベテランらしいけど、面倒なことをいう。しかも、少しずつハイカーが増えてきた。みんなテントを張らずに模様眺め。どうもあまり面白い場所ではない。人が多すぎる。思い切って引っ越しすることにした。

キャンプ・サイトの当てはなかったが、適当にパッキングしてすぐに出発した。吊り橋でウッズ・クリークを渡った。少し下流に歩いくとトレイルの分岐があるので、上流に向かう。しばらくは登りがきつい。サイトがないかと見ながら歩くが、特にない。進むとテントが張れそうな場所が一つあった。しかし、トレイルから近すぎた。先に進むと見晴らしの良い場所があった。よく使われているキャンプ・サイトらしい。バックパックを置いて、水を確保するためブラダーを持って先に進んだ。50m ほど先に小川があり、水は 5L 確保できた。これで一人で気持ちよくキャンプできる。図 4.32 である。

図 4.32: ウッズ・クリークでのキャンプ。

場所を移動したからジェイムズさんに位置情報をもう一度送った。そして「熊が出たから」と追加した。すぐにぐっすりと寝てしまった。起きたのは 6 時半である。いつもの朝食を図 4.33 に示す。JMT パンは砕けているが温めて食べると美味しい。ちょっと変わった形のイグナイタは着火効率を上げるために漏斗を取り付けたものである。予備にライターは買ったが、使いにくいので、このイグナイタばかり使った。

図 4.33: JMT パン、マンゴー、プルーン、コーヒーの朝食

ジェイムズさんからメールが来ていた。

「もう熊は出ないか。吊り橋の傍のそのキャンプ・サイトは熊が出るので有名なんだ。今、俺はライエル・キャニオンでキャンプ・ファイアをしている。トゥアルムのグリルの食い残しを食べている。お前の次のキャンプはどこだ。ツイン・レイクスの傍の GPS 座標を送る。」

「ピンチョー・パスの近くだ。歳で酷く疲れた。吊り橋の傍のキャンプ・サイトの対岸だ。良い場所を見つけた。熊も人もいない。よく寝たよ。」

そろそろと出発準備をしていると、コロヘとパパリッチが現れた。

「ここでキャンプしたのか。」

「静かで良いところだったよ。」

「食べ物はどうしている。」

「ベア・キャニスターと、残りは防水袋に入れてテントだよ。」

「そうだな。テントに人がいると熊は来ないからな。」

コロヘは今頃になってて物分かりのよいことをいう。こちらがど素人でないと分かったのだろう。記念撮影させてもらったのが図 4.31 の写真である。

フード・ロッカーのあるキャンプ・サイトは大勢の人が利用するサイトである。ハイカーが多いと、食料管理のだらしない人が含まれている。そういう人はテントに食料を放置して長い間、テントを離れてしまう。熊がそんなテントを見つけると、テントに所有権のない食料が落ちている、単に拾うだけである。昨日の熊もキャンプ・サイトに放置の食料がないか、定期的に巡回中だったという訳である。

現在の所、人がテントにいるのに、襲って食料を奪ったという話は聞いたことがない。熊を見かけると、すべてを投げ出して逃げる人はいる。それがシャーロット・レイクなどでのケースである。

<第5章へ続く>

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国立大学元教授であると同時に『ハイキング・ハンドブック(新曜社)』や『米国ハイキング大全(エイ出版)』など独自深い科学的見地から合理的なソロ・ハイキング・ノウハウを発信し続ける経験豊富なスルーハイカーでもある村上宣寛氏の新著『ハイキングの科学』が、Amazonにて絶賛発売中です。日本のロングトレイル黎明期からこれまで積み重ねてきた氏の経験と、ハイキングや運動生理学をはじめあらゆる分野の学術論文など客観的な資料に基づいた、論理的で魅力たっぷりの、まったく新しいハイキングの教科書をぜひ手に取ってみてください。

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村上 宣寛

1950年生まれ。元富山大学名誉教授。専門は教育心理学、教育測定学。アウトドア関連の著作は『野宿大全』(三一書房)、『アウトドア道具考 バックパッキングの世界』(春秋社)、『ハイキングハンドブック』(新曜社)など。心理学関係では『心理テストはウソでした』(日経BP社)、『心理学で何が分かるか』、『あざむかれる知性』(筑摩書房)など。近著に、グレイシャー、ジョン・ミューア・トレイル、ウィンズといった数々のアメリカのロングトレイルを毎年長期にわたりハイキングしてきた著者のノウハウ等をまとめた『アメリカハイキング入門』『ハイキングの科学』(アマゾン)がある。