
ジョン・ミューア・トレイル 北向き縦走 (2025 NOBO) の記録 【第10章】ミューア・トレイル・ラーンチへ
前回(第9章)
【第10章】ミューア・トレイル・ラーンチへ
キャンプサイトから MTR へは半日少しの距離である。まず、サン・ホアキン川を渡り、川沿いの平坦な場所を進む。この場所にも所々サイトがある。もう一度、川を渡る場所が昨年話題になった大雪で崩落した橋である。元通り立派に再建されていた。渡った場所には昨年 PCT ハイカーたちが付けたクロスカントリーの踏み跡があった。トレイルは川沿いの狭い渓谷を下り、渓谷が広がって川から離れるとやはりキャンプ・サイトが現れる。パイユート・パス・トレイルとの合流点の手前が広いキャンプ・サイトである。
川を渡ると、再び、比較的平坦なトレイルとなる。途中でジョン・ミューアを記念して建てられた小屋がある。一時間ほど進むと JMTとの分岐があり、MTR へは川沿いのトレイルを進む。トレイルは下るにつれて、歩きにくくなる。MTR 手前では急な下り坂になる。MTR は収容人数が少ないので、宿泊は困難である。ほとんどのハイカーはリサプライを受け取って、川のそばでキャンプをする。幸い、ジェイムズさんが予約してくれたので、初めて MTR に宿泊した。VVR で顔見知りのデイブが料理長だったのにはびっくりした。次の機会はないと思うが、素晴らしい食事と素朴な温泉を楽しませてもらった。
MTR へ
5 時半に目が覚めた。気温が高く目が早くさめてしまう。何時もの朝食をとってガスの残量を調べると5g ほどしかなかった。たぶん、もう一度、コーヒーを飲めばお仕舞である。痙攣対応の酢も時々使ったので、ほとんど無くなった。MTR でガスと酢をなんとかして補充しないといけない。ジェイムズさんよりあまり早く着いても仕方ない。出発はのんびりしてしまい、8 時になった。少し先でサン・ホアキン川を渡る。古びた木の橋 (図 10.2) である。この橋の近くには裸地はあるので、向こう岸にもテントは張れる。ここを過ぎても平坦な地形が続き、林の中を少しずつ下っていく。裸地も所々にあるので、テントを張る人もいる。もちろん、今年はだれもいなかった。
40 分くらい歩くと、図 10.3 の橋に着く。写真は渡ってから撮ったものである。左手には狭いキャンプ・サイトが、右手の林の中には広いキャンプ・サイトがある。この橋は 2023 年の大雪で崩れてしまい、大騒ぎになった。ここを通らないとミューア・パスにいけないので、大部分のハイカーは迂回ルートを歩いた。徒渉可能な場所はこの下流 100m くらいである。それも 8 月中旬以降の水嵩の減った時期以外は難しい。
別の方法はこの橋を渡らずにクロスカントリーして、筆者がテントを張っていた場所の上流を目指して徒渉するくらいである。地形図とグーグルアースの画像を見当して、このコースをアメリカの FB グループとか自分のグループに書き込んだ。もっと大きくクロスカントリーするのはかえって危険だろう。
この橋を渡ると、サン・ホアキン川は狭い渓谷になっていく。ただ、それもしばらくの間で、狭い岩場をくの字に曲がってからは、少し穏やかになり、川から離れていく。同時に所々にキャンプ・サイトがある。細い小川の手前にトレイルの横が膨らんでいる場所があったので、一度テントを張ったことがある。
この後、トレイルは川から離れていく。同時に左手下方の川沿いにキャンプ・サイトがあるのが分かるだろう。今年はほとんどテントがなかったが、例年はなかなか混雑していた。
この辺りで 2019 年に会ったのが図 10.5 のタコスである。いきなり「村上さんですか。」と聞かれてビックリした。彼は北向き JMT で筆者は千恵子と一緒に南向き JMT だった。ちょうどこの場所で出会った。
見ると、以前、愛用していたリブズ・フロントを使っていた。筆者の本などをよく読んでいたらしい。そして、コットンウッド・パスのパーミットをとったが、人が少なくて、さみしくてたまらず、どんどん歩いたようだ。東南アジアにも旅行して、人間、子供好きという。JMT は人が少ないわりに安全にハイキングできる場所なのだが、彼には合わなかったかもしれない。ただ、アメリカ人ハイカーとは親しくできたようだ。彼の JMTブログはここにある※1。
※1:http://tomo1957.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
しばらくすると、視野が開けてくる。パイユート・パス・トレイルとの分岐手前には広いキャンプ・サイトがある。今年は人が少なかったが、それでも、人が一番多いサイトなので、遅れて到着すると、テントを張る場所に困る。
フレームパックの似合うハイカーがいたので写させてもらった。それが図 10.6 である。日本と異なり、アメリカのトレイルは馬での交易路が元になっている。狭い密林の間を抜けるトレイルはほとんどない。広い空間なので、フレームパックの愛用者はまだまだいる。
キャンプ・サイトを通り過ぎると川を渡る。サン・ホアキン川の橋と同じ鉄骨構造である。渡ってしばらくすると、トレイルはサン・ホアキン川から離れていく。川ははるか先の谷を走る。つまり、キャンプ・サイトは川を渡る前に多く、渡ってからは良い場所がない。また、すぐに巨大な倒木がある。トレイルはその倒木の幹を切断された隙間を通り、パイン・ツリーの林の中を進む。
いくつかの枯れ川を通過すると、左手にジョン・ミューアを記念して建てられたキャビン (図 10.7) がある。古くて宿泊は困難である。昔の作業小屋だと思う。夏前なら水はあるのかもしれないが、夏は川まで遠い。
少し先でパック・トレインと出会った。図 10.8 である。たぶん、MTRからビショップあたりに向かうのだろう。埃が酷いので、なるべく離れた場所に退避するのがコツだ。
1 時間ほどで JMT と MTR の分岐がある。JMT は高度を少しずつ上げていくが、MTR へのトレイルは高度を下げて川沿いに進む、川に一番近い所にキャンプ・サイトがあり、2016 年に泊まったが、川に近すぎるとレンジャーに注意を受けた。ここはアメリカでは有名なハーフマイルという人の地図に記載されていた場所である。
最近はどうなっているか調べてみた。以前の場所はそのまま在るし、サイトは下流方向にも拡大された印象である。みんなが使うし、MTR 手前という大事な場所なので、黙認されているようだ。
トレイルは下っていくが、順調に下るばかりではない。時々、登りがある。昼近くになって JMT とのもう一つの分岐に着いた。JMT はスイッチバックを切りながら登っていくが、MTR へのトレイルは急な下りになる。トレイルは素晴らしくはない。後でジェイムズさんに聞いたところによると、フローレンス・レイクから MTR への登りはもっと歩きにくく、酷いらしい。馬なら平気だろうが、人間向きではないらしい。
分岐から 15 分程度で、トレイルが丘の上に出た。MTR がいきなり目に入った。そこで、見たのが図 10.10 の標識である。真下に見えるのに、横に行けという指示だった。面倒なので、無視してまっすぐに下りた。
下りると柵があって入れない。アメリカでは私有地に無断で入るとライフルで撃たれるかもしれないと思いながら、侵入しやすい場所を調べた。すぐそばにはスタッフらしい中年の男性がベンチでの休憩していた。柵を乗り越えて侵入した。
「ここのキャビンを予約しているんだが、受付はどこなんだよ。」
「入り口はあっちなんだがね。まだ、キャビンは入れないよ。良く来たな。俺が連絡しておくから、そこでレモネードでも飲んでいろ。」
髭を蓄えたカーボーイ風のおじさんだった。建物に案内されると、レモネードの大きな透明のタンクと氷があった。5~6 杯は飲ませてもらった(図 10.11)。レストランはハンバーガーとかはなかった。ねだればエナジー・バーくらいはあったが、昼はあまり食べないので、どうでも良かった。
それで、無料のレモネードを飲めるだけ飲んでベンチで休憩していた。カーボーイ風のおじさんは親切で、
「おう、だいぶ、良くなったな。向こうに発電装置とか温泉があるよ。」と言ってガイドしてくれた。小規模な水力発電装置は修理中だった。温泉は狭かったが、板塀で囲まれていた。いつでも入ってよいらしい 。受付のお姉さんが電動カートで迎えにきた。乗せて貰ってキャビンまで歩かずに行った。ついでだからポートレートを撮影させてもらった。適当にシャッターを押しただけだから露出不足だが、少し修正した。それが図 10.12 である。
ログ・キャビンの入り口と内部は図 10.13 と図 10.14 である。ジェイムズさんはまだ来ない。来るとしても夕方だろう。荷物を置いて貴重品と着替えをもって温泉に入ることにした。
温泉の写真は図 10.15 である。入口は内側から鍵もかかる。だれもいない。アメリカでは温泉に裸で入ってはいけないのだ、誰もいないので問題はない。もちろん、ハイカーはお友達同士なら、すぐに裸になるので、ジェイムズさんとなら問題はないのだろう。ボディ・シャンプーなどがあったので、下着やソックスを洗濯した。
温泉に入って、ベンチで時間を潰していると、ジェイムズさんがいきなり現れた。4 時前で、予想より早かった。下りで、ガンガン歩いたのかもしれない。一応、記念撮影した。それが図 10.16 である。
びっくりしたのは左足の指から先がなかったことである。詳しくは聞かなかったが、大ケガをしたらしい。彼はスマホに地図と写真をリンクさせて保存していた。その上、何年か前にウィンズ (ワイオミング) の地図とか自分がテントを張った場所を教えたらしいが、それをスマホに保存しているのにもビックリした。たくさん喋ったが、もう何を喋ったのか覚えていない。15年ほど前のメーリング・リストの知り合いと現実に出会って、どの程度、満足したかは分からない。
ログ・キャビンに行って、荷物を整理した。ジェイムズさんによると、ログ・キャビンは一年に一棟ずつ建てているという。数えなかったが、現在、10 棟程度である。つまり、MTR に宿泊できる上限の人数は 20 名程度である。宿泊費は税金を含めて一名二日間で 600 ドル程度になる。ただし、チップがあるので、10~30%増しになる。
「チップをどうするか。後で議論しないといけない。」と難しいことをいう。面倒だから手持ちの 700 ドルを渡して好きにしてもらうことにした。 MTR での宿泊のハードルは高い。キャビンの数が少なく、20 名ほどの団体が予約するとお仕舞である。MTR は VVR と違って林道とは繋がっていない。フローレンス湖のフェリーと長い凸凹のトレイルで、やっと繋がる。それで、なんでも割高になる。
彼はキャビンの外に Mini 2 を置いて通信するが、messenger plus と 比べると非常に遅い。彼は無制限プランに加入していた。道理でどんどんメールが来たはずである。こちらはエッセンシャル・プランなので 50 通/月を越えないように用心していた。幸い、後で8月の請求書を見ると超過料金は 1,500 円程度、合計 3,800 円程度で清んだ。新料金システムで高くなったかと思ったが、逆だった。二台目のスマホと考えると、維持費はずいぶん安い。
ジェイムズさんは筆者のトレッキング・ポールを見るなり、一つ先端が無くなっているのに気づいた。
「これ、あげよう。」
先端の古いチップを予備に持っていたようだ。ありがたく頂いて、ポールに装着した。
「バックパックのバックルが割れて困った。これはないからな あ。」バックパックのサイドの小さなバックルだった。筆者もヒップベルトの大きなバックルの予備は持ち歩くが、その他の小さなバックルまでは予備を持ち歩かない。
「これいるかねえ。拾ったんだが。」
MSR のグランド・ホグ II だった。袋ごと全部落とした人がいるらしい。
「ええ?そんな物を忘れたのがいるのか。欲しいけど、家に一杯あるんだよな。いいわ。」
残念ながら、この立派なペグはハイカー・ボックス行きとなった。彼の自作のフリーズドライのいくつかは不要になった。筆者もドライの野菜がいくつか不要になった。燃料を拾わないといけないので、不用品を持って入り口まで行った。途中に洗濯して干す場所はあったが、アメリカの洗濯機は古くて面倒なだけ、手で洗った方が早い。
入り口の受付は例のおねえさんだった。不要物をバケツに分類して捨ててから、良さそうな物を物色した。トイレット・ペーパー、傷テープ、ジアデルフィア症の薬、鎮痛剤とか、いろいろ捨ててある。捨ててもたいして軽くならないのに、アメリカ人はどんどん捨てる。アメリカの薬はきついので、なかなか拾えない。傷テープ数枚、トイレット・ペーパー少しは頂いた。ガス・カートリッジが見当たらない。非常に困ったが、とりあえず、エスビッドという固形燃料とゴトクを拾ってきた。
WiFi はキャビンから出るとかろうじて繋がる。ベンチのある食堂近くに WiFi の機器があるようだ。ただ、少し離れると繋がらなくなる。うっとおしいので、食堂の傍のベンチに引っ越した。酢の補充を思い出したのでスタッフ (図 10.17) に声をかけた。
「あれ、どこかで見たことがあるぞ。VVR で会ったヒロか。」
筆者はぜんぜん思い出せない。でも、いつも三日間滞在していた食いしん坊の日本人だから、覚えられても仕方ない。アメリカ人の顔はみんな同じに見えるが、さすがに少しずつ思い出してきた。VVR でたしかに会った記憶がある。
「デイブだ。VVR ではバーベキューやっていた。酢がほしいだって。いくらでもやるよ。」
デイブは奥から4L ばかりの酢のボトルと持ってきて、筆者の目薬のケースに注いだ。日本の酢だった。少しソフトな味の酢だったが、それでも痙攣発作を止めるには有効だった。
夕食が野外のテーブルに並びだした。一通り揃うと、デイブが料理の解説をする。それから皆が皿にそれぞれ好きなだけ載せていく。料理の写真を図 10.18 に示す。もちろん、筆者は最初に山盛りにして、さらにお代わりに挑戦して、根こそぎ食べようと頑張った。
MTR の朝食は食堂で摂る。やはりビュフェ形式なのだが、どれだけ盛っても構わない。図 10.19 が初日の朝食だった。果物があるから良いけど、ベーコンとかジャガイモなどの油炒めである。手前の訳の分からない物はフレンチ・トーストということだった。どこがフレンチ・トーストなのか、よく分からない。出来損ないのパンケーキのようだ。これもジャムを乗せて、やはり食べられるだけ食べてしまった。コーヒーは自分で適当に注いで好きなだけ飲む。お昼はないので、適当にエナジー・バーを貰った。
ロッジに戻ると、ジェイムスさんはパッキングを本格的にやりだした。不要な物とか食料をチェックして、パッキングした雄姿が図 10.20 である。やる気満々である。要らなくなった食料のうち、食べられそうな物は頂いた。自作のフリーズドライのイチゴとラザニアだった。
ジェイムスさんの不要物をハイカー・ボックスに捨てに行った。すぐにガス・キャニスターがいくつか手に入った。慎重にもっとも重い物を選んだ。これは後で測ると80%ほどあった。そのほか、フリーズドライのパック、ツナのパック、エナジー・バーなどを拾った。今回はなかなかの収穫だつた。キャビンに戻って、固形燃料など、不要物を持って、もう一度捨ててきた。
ジェイムスさんに褒められたフリーズドライは図 10.21 である。一袋10~15ドルだったと思う。高価な物で、一応、味は良いらしい。
キャビンでじっとしていてもつまらない。食堂の前のベンチでスマホで暇つぶししながら夕食を待った。こっそり撮られていた写真が図 10.22 である。筆者の顔が黒く汚れているのは日焼け止めの落とし忘れだった。皮膚が弱いので、あまり洗顔しないためである。鏡も見ないのでジェイムズさんに指摘されるまで気づかなかった。
二日目のディナーが出始めた。図 10.23 である。初日と異なり品数が少なかった。しかし、パンは何故か美味しくて、足りなくなってしまった。また、デザートのパイ(図 10.24) も一緒に出てきた。デザートも最初から大きく確保した。パンのお代わりをしようとすると売り切れで、別の種類のパンが出てきた。これは残念だった。しかし、二日目だったから一皿半程度しか食べなかった。
ついに、MTR を離れる日が来た。パッキングを済ませて、ジェイムズさんと食堂に行った。アメリカの朝食は訳の分からない物がでる。何かの炒め物だったが、名前は忘れた。とりあえず、たっぷりと果物を取った。ベーコンもたっぷり取ったが、少し食べると、ものすごく塩辛い。捨てるのはもったいないので、こっそり戻した。今日は昼食は各自サンドイッチを自作するらしい。それで、チーズとビーフと野菜を限界まで詰めてジップロックに入れた。オレンジ一個は今日の夕食用に確保した。図 10.25 である。このほか、エナジー・バーも 5 つほど貰った。
出発前に、比較的よく喋っていたラスとニックの写真を撮った。それが図 10.26 である。中央のラスはウルトラライトのアルコール・ストーブを作っていた。サンプルをジェイムズさんに見せて議論していた。彼はトレイル・デザインという会社のオウナーだった。ただ、この後、トムという人に会社を売り払ったという。ニックはソフトウェア・エンジニアらしく、筆者もプログラミングをしていたので、なんとなく話がしやすかった。左のスカイラーとはあまり話をしなかった。スカイラーとラックは一卵性双生児で、家族で MTR に滞在していたようだ。
さて、MTR を出発しないといけない。まず大荷物を背負って、左右のフロント・ポケットを接続する。物珍しかったのか、ニックがこっそり撮影していた。それが図 10.27 である。食料は 2 泊分以上もった。次の目的地は VVR なので、後の予定を考えると1泊で行きたいところである。
<第11章へ続く>
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国立大学元教授であると同時に『ハイキング・ハンドブック(新曜社)』や『米国ハイキング大全(エイ出版)』など独自深い科学的見地から合理的なソロ・ハイキング・ノウハウを発信し続ける経験豊富なスルーハイカーでもある村上宣寛氏の新著『ハイキングの科学』が、Amazonにて絶賛発売中です。日本のロングトレイル黎明期からこれまで積み重ねてきた氏の経験と、ハイキングや運動生理学をはじめあらゆる分野の学術論文など客観的な資料に基づいた、論理的で魅力たっぷりの、まったく新しいハイキングの教科書をぜひ手に取ってみてください。
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村上 宣寛
1950年生まれ。元富山大学名誉教授。専門は教育心理学、教育測定学。アウトドア関連の著作は『野宿大全』(三一書房)、『アウトドア道具考 バックパッキングの世界』(春秋社)、『ハイキングハンドブック』(新曜社)など。心理学関係では『心理テストはウソでした』(日経BP社)、『心理学で何が分かるか』、『あざむかれる知性』(筑摩書房)など。近著に、グレイシャー、ジョン・ミューア・トレイル、ウィンズといった数々のアメリカのロングトレイルを毎年長期にわたりハイキングしてきた著者のノウハウ等をまとめた『アメリカハイキング入門』『ハイキングの科学』(アマゾン)がある。





























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