
ジョン・ミューア・トレイル 北向き縦走 (2025 NOBO) の記録 【第11章】ヴァーミリオン・ヴァレ イ・リゾートへ
前回(第10章)
目次
【第11章】ミューア・トレイル・ラーンチへ
MTR から VVR は二日程度の距離である。MTR を出発してしばらくするとセリンジャー・クリークのスイッチバックがある。それで、午前中にこの登りをこなさないと午後からは背後から直射日光を浴びることになる。高度を上げれば、キャンプできる場所があちこちにある。サリー・キーズ・レイクスは休憩やキャンプによい場所である。その後はハートレイクからセルデン・パスを越える。パスからはマリー・レイクの絶景が見えるだろう。マリー・レイクを下ると、ローズマリー・メドウの辺りが緩やかである。ベア・クリークへは急なスイッチバックで下る。例年は膝程度の水深で、それなりの徒渉が必要な場所だが、今年は飛び石づたいに歩けたので、靴も濡らさなかった。
ベア・クリークを渡ると、なだらかな下りで、数キロごとにキャンプサイトがある。その先は分岐があり、最初はベア・クリーク・カットオフ・トレイルである。このトレイルはベア・クリーク沿いで景色もよく、水も入手できる。少しばかり長いのが欠点である。
JMT は直進し、小川を二つばかり越えて高度を上げる。きついスイ ッチバックが始まる手前が最後のキャンプ・サイトで今年は水か涸れていた。このスイッチバックをこなした高度の高い場所に二ヵ所、小川があり、キャンプ適地である。かなり高度の高い場所でベア・リッジ・トレイルとの分岐があり、今年はここを下った。このトレイルは水が乏しく、キャンプできる場所は限られるが、一応は最短距離でレイク・エディソンまで下りられる。
本来の JMT はベア・トレイルを直進してきつめのスイッチバックで高度を落とし、モノ・クリークを渡る。そこから VVR のフェリー乗り場までは 1 時間ほどかかる。ピックアップは 9 時 45 分と午後 3 時 45 分である。
MTR からサリー・キー・レイクス
気合の入ったジェイムズさんは先に行ってしまった。こちらは相変わらずのスロー・スタートだった。トイレにもう一度寄らないといけないし、 MTR の入り口のハイカー・ボックスを調べて、美味しい物が落ちていないかを確認する必要があった。めぼしい物はなかった。そろそろと歩き始めた。
9 時半でやっとJMT との合流点に来た。登りだから遅いし、気合が入っていない。相乗効果である。高度を上げると少し見通しが良くなった。前方から日本人らしい女性が歩いてきた。聞いてみると、やはり日本人だった。暇だから記念撮影をした。それが図 11.3 である。この先、ミューア・トレイル・ラーンチに行って食料を物色するという。なかなか慣れた人だった。その後の連絡によると、ハイカーから食料を貰って成功、来年はサウス・レイク—ノース・レイクをやりたいという。
センジャー・クリーク沿いのスイッチバックをこなすとワード・マウンテンが見えてくる。MTR は裾野の森の中であるが、行ってきた場所なので、ピンポイントで位置が分かるようになった。スイッチバックの低い場所にはわずかに水がしみだしている場所がある。トレイルが広がっているので、テントは設営可能である。
スイッチバックは長く、上の方に川に下りる急傾斜の踏み跡がある。そこを越えると傾斜は緩くなる。スイッチバックを終えるとメドウが現れ、平らになってくる。川を渡る前がキャンプ適地である。数回、テントを張った。図 11.5 は 2017 年に張った場所である。2023 年にも千恵子とここでテントを張った。川から少し離れているが、静かな広い場所である。センジャー・クリークを渡ると、狭いキャンプ・サイトはあるが、あまりに川が近いから止めた方がよい。ちょうど 12 時半だった。ランチとした。水を補給して浄水器を岩の上にブラダーをセットして、落下方式で自動的にきれいな水が得られるようにした。ランチを食べる間にきれいな水が得られる。ランチは MTR で作ったサンドイッチ (図 11.6) とインスタント・コーヒーである。
トレイルは平坦になり、森の中を進む。左手の森の中に小屋があるのだが、レンジャー・ステーションかもしれない。何度も見るが、確認したことはない。再び、スイッチバックが始まる。平になった場所にはキャンプ・サイトがある。
平坦なトレイルを進むと図 11.7 のようなメドウが現れる。今年は水が少なく、歩きやすかったが、例年はトレイルに水がかぶり、歩きにくい。小川を越えるとスイッチバックが始まる。トレイル・ワーカーが仕事をしていた。声をかけて写真を撮らせてもらった。それが図 11.8 である。相変わらず、ほとんど手作業である。
このスイッチバックをこなすと、再び、緩やかな森の中の登りになり、キャンプ・サイトも点在する。しかし、サリー・キイズ・レイクス(図 11.10)はすぐである。小川を渡ると、湖になる。渡らずに右の湖岸を進むとキャンプ・サイトはあるが、渡っても左手の丘の上にある。湖は二つあり、中央の半島状の丘で二つに区切られている。
ここはよくハイカーが休憩する場所である。たぶん、2009 年の初めての南向き JMT の時だが、アメリカのハイカーに「オハヨー」と言われてビックリした。アメリカ人はオハイオ州があるから「オハヨー」は言えるらしい。ただ、象印のジャーで毎日お米を炊いていると聞いて、またビックリした。その時はアメリカ人は米などを炊くとは思いもよらなかった。午前中の遅い時間だったので、ここの湖岸で休憩して JMT パンを食べた。 2010 年も南行き JMT で、ここは午後遅くに通りかかった。女性と一人出会った。
「この辺りにキャンプ・サイトはありませんか」
「サイトはこの丘の上の方だよ。」
彼女はアルゼンチン出身で、ゆっくりとハイキングをしていた。たった 10 ドルでキャンプし放題だから嬉しいという。JMT を楽しんだら、東南アジアなんか物価が安いので行きたいという。かなりの放浪癖のある人だった。筆者は、ちょっと可愛くて、近所の女の子という雰囲気があると、長話してしまう欠点がある。この時も一時間ほど立ち話をして、最後に写真を撮らせてもらった。エイダさんは図 11.9 である。この時の予定のキャンプ・サイトはパイユート・パス・トレイルとのジャンクション近くで、別れてからは、フルスピードで歩いた。
サリー・キイズ・レイクスに着いたのは午後 3 時半頃だった。空が暗くなってきて、少し風が出てきた。夕立があるかもしれない。頑張って先に進んでもキャンプ・サイトはあまりないし、そもそもマリー・レイクは午前中の青空が広がる時に通過して写真を撮りたい。少し迷ったが、早めにテントを張ることにした。
場所は湖の上流部であった。図 11.11 で ある。テントを張った直後に少し雨が落ちたが、あまり崩れない。
マットレスを膨らませ、スリーピングバッグなどを広げて、食料、ストーブなどを取り出し、バックパックをテント前室に収納した。水を 5L調達して浄水器を接続してテントにぶら下げた。落下式だから自動的に手元で飲み水ができる。もう、何もすることがない。
20~30m 先の木陰にタープを広げているハイカーが二人いた。カッ プルだろう。タープを使うのは日本人くらいである。おそらく日本人のウルトラライトの人達だろう。声をかけようかと思ったが、特に仲良くなりたい訳でもない。話が合わないことも多い。それでそのままにした。風が止んで少し天気が回復すると、そのハイカーたちは姿を消した。先に進んだようだ。予定があって忙しいのだろう。
夕食はジェイムズさんから貰ったラザニアをメインにした。もちろん、三食分を一度で食べた。このほかにスープ、ナッツなどのデザート付きである。
早く寝すぎたので、4 時に目が覚めてしまった。ジェイムズさんから貰ったミロのような飲み物を飲んでみるが、美味しくない。何時もの朝食に切り替えた。
出発は 6 時頃と早くなった。周りはまだ暗いが、問題なく行動できる。ゆっくりとスイッチバックを進む。まだ暗いが、ハート・レイクには日が当り始めた。誰とも合わない。好きなアルパイン・コロンパインがたくさん咲いていた。暗かったのでピントを外した失敗が多い。ちょっと変わったアルパイン・コロンパインのみ成功した (図 11.13)。
ハート・レイクを過ぎると、トレイルは緩やかな登りになり、図 11.14のようにセルデン・パスが見えてくれる。パスは右手の低い所で、最後はスイッチバックで詰めることになる。右手前方の岩肌は珍しく褶曲の模様が多い。ハイシェラは花崗岩が主体なので、この場所のように水成岩が見られる場所は少ない。JMT の名所ではペインテッド・レイディがそれである。なぜ、ここを詳しく知っているかと言えば、2009 年に会ったクレージー・ドックが熱心に撮影していたからである。
ハイキング・ジム (図 11.16) と出会ったのは、2017 年、南向きJMTをやっていた時のことだった。
「日本人ですか」と聞かれたので、そうだと答えると、長い話になった。私は時々アメリカ人と間違えられるので確認したようだ。たぶん、30分以上は話し込んだと思う。ジムはロサンゼルス在住、奥さんが日本人で、得意料理はカレーライスという。娘さんが一人いて、可愛くてたまらないらしい。彼は千恵子のフェイスブックの友人で、モリタ・リカさんの遭難について、迂回路の地図を載せて、議論していた。
ジムは実はストーブ・マニアだった。ガス・ストーブとガス・カートリッジとのスクランブル・テストをやっていた。日本ではメーカーの違うガス・ストーブとガス・カートリッジの組み合わせは推奨されないが、ネジで接続するストーブとガス・カートリッジはほぼ完全に互換性がある。アメリカではいろいろな種類は出回っていないので、組み合わせて使うことが普通である。彼が発見したのは、コールマンのガス・カートリッジのオレンジ・ラベルのみ不具合があるということだった。ネジの切り込みの長さに誤差があるのだろう。
さて、小さな小川を渡るとトレイルはスイッチバックに入る。まだ、朝が早いので、ハイカーは追いついてこない。ここで珍しくグロースを見た。図 11.17 である。岩から岩へと飛び回っていた。今年は人が少ないので、よく野生動物を見かける。
セルデン・パス到着は 7 時 50 分だった。10 分くらいするとアメリカ人ハイカーが追いついてきたので、記念写真をお願いした。マリー・レイク撮影のベスト・ポイントは峠から少し高度を落とした場所である。これが図 11.18 である。もう一つの場所はマリー・レイクのすぐ傍の高台である。
今年は晴天に恵まれたが、2018 年は雷雨に恵まれた。コットンウッド・パスをスタートしてから、毎日、午後は雷雨だった。酷い日は朝から雷がなっていた。アメリカだから降雨量は少ないのでたいしたことはない。しかし、雷は当れば死ぬ。毎日の事なので慣れてはきたが、気持ちはよくない。
セルデン・パスに到達して南を見ると、空は真っ暗で、水平に稲妻が走った。パスの上では非常に危険なので、ただちにスイッチバックを急いで下りた。中年の女性ハイカーがいたが、すさまじい速さで駆け下りて行って、たちまちのうちに視界から消えた。荷物が重いので、そんなに速くは歩けない。図 11.19 がその時のマリー・レイクである。
高度を下げて、多少は安全と考えて、木陰で休憩して、浄水器で水を作成した。その時、アメリカ人ハイカーが来たので写真を撮ってもらった。雷は順調に収まったが、2時間ほど後に、ベア・クリークを徒渉した直後、近くの丘にドカンと落雷があった。この後、ずっと VVR まで雷に付きまとわれた。その後、ヨセミテは山火事で封鎖になった。JMT の天気は一週間から 10 日くらいの周期で変わる。天気が悪い時は、ずっと悪い。運が悪い時は、ずっと運が悪い。
今年はマリー・レイクから流れ出る川の水は少なかった。岩の上を普通に歩いて渡った。しばらくはなだらかな下りだが、少しずつ勾配を増す。左手には川が見えて、少しずつ遠ざかる。最後のスイッチバックで高度を落とすと、メドウが見える。ローズマリー・メドウである。狭いメドウだが、水平な地形になるので、キャンプ・サイトが点在する。一番、よい場所はローズ・レイクに向かうトレイルとのジャンクション付近で、ちょっとした高台で奥まった場所である。少なくとも 2019 年と2023 年にテントを張った。2019 年のキャンプを図 11.20 に示す。洗濯物を干したり、この方が雰囲気があってよいだろう。
このキャンプ・サイトから川沿いにメドウが広がっている。最後に広いサイトがいくつかあり、飛び石伝いに川を渡るとベア・クリークへのスイッチバックの下りである。
何年か前、このスイッチバックを終えた辺りでアメリカ人ハイカーに「マリー・レイクまでどのくらいありま すか」と聞かれた。
「登りだから、1 時間以上かかるねえ。このスイッチバックを登り切ると川を渡る。その渡った場所あたりにキャンプサイトがある。無理しないで、そのあたりで寝た方がよいよ。」
いやはや、土地勘がありすぎて困ってしまう。日本人なのに、アメリカ人に教えないといけない。マリー・レイクまでは登りなので時間がかかる。遅くなると良いサイトが見つからない。
2009 年のこと、VVR から出発して、マリー・レイクを目指したが、とても届かなかった。クレージー・ドックは、「だれもマリー・レイクまでは行けないよ」と言っていた。VVR をスタートすると、ベア・クリークの辺りが一泊目となる。
10 時、ベア・クリークに到着した。ジェイムズさんはこの少し手前でよい場所を見つけたと言っていた。場所はよく分からなかったが、トレイルから 40m ほど離れた場所に草が茂ってたから、そのあたりだろう。休憩して水を 1L ほど作っりながらランチとした。
ジェイムズさんから連絡が入った。
「ここでキャンプは最高だよ。ベストの湖だね。」
もうテントを張ったのか驚いたが、予定はこなしたということだろう。ゼロ・デイとしてビデオを撮って遊んでいた。位置を見ると、エヴォリューション・レイクの上流部分だった。2019 年に夕立が迫ったので、急遽テントを張った場所の近くだった。
「ベア・クリークでランチだよ。コーヒーとエナジー・バー少しだ。昨日は貰ったラザニアを三人分食べたよ。ミロみたいな飲み物はカロリーあるね。徒渉はめちゃくちゃ簡単のようだ。」
ベア・クリークは徒渉で有名な場所だが、今年の水量はわずかで、飛び石伝いに歩けた。初めてのことである。
ゆるい下りだから歩きやすい。イタリー・パス・ジャンクションが 12 時着。いつもは徒渉が少しばかり、嫌なのだが、今年はどこでも簡単だった。そういえば、ここで会ったのが、図 11.21 ウェインである。なぜ、この人をよく覚えているかと言えば、映画俳優のジョン・ウェインと同じ名前だったこと、右ショルダーにニコンの一眼レフ、左にプラボトルを付けていたことである。聞いてみると、重量バランスの関係で左にボトルを付けているという。水を飲むと、バランスが壊れるのだが、そこまでは聞かなかった。
同じ方向だったが、我々は歩くのが遅いので、この人とサファイヤ・レイク辺りで会っただけだった。
日本に帰ってきてビックリしたのは、ウェインという人がフォレスター・パスから転落して死亡したというニュースが入ったからである。フェイスブックには葬式の記事が上がってきた。調べてみると、別人で、大学関係者だった。トレイルは良いので、簡単に落ちるはずがない。たぷん、高山病で、気を失って転落したのだろう。そういう訳で、二重に記憶に刻まれることになった。
今年はここで人と会わない。川の水量もたいしたことないので、さっさと渡ってしまった。ずっと先でトレイル・ワーカーが仕事をしていた。ここは川を渡ったハイカーたちがよく休憩する場所である。アメリカのハイカーはサンダルに履き替えて徒渉する人が多いので、どうしても靴の履き替えで時間がかかる。筆者は革製の登山靴にゲイターをしているので、20~30cm の水深なら素早く渡れば濡れることはない。
トレイルは下りなので、順調に距離を稼いで、2 時過ぎにはベア・リッジ・トレイルとの分岐に来た。せっかくだから VVR のフェリーに乗ろうと、まっすぐに進んだ。登りになると、途端におそくなるが、仕方ない。
登りになると、遅くなるので、図 11.22 のカップルに追い抜かれた。なぜ、覚えているかと言えば、1~2 回追い越したこと、もう一つは少し高い場所にキャンプ・サイトがあるのだが、そこに奥さんが止まっていて、ブルーのシャツを来たパートナーを見なかったかと聞かれたからである。幸い、少し後に彼が追いついた。疲れているようだった。ただ、奥さんは一人で私を追いかけて上の方まで登ってきた。水がないのか、探しに来たのだろう。水は涸れていたので、このカップルがその後、どうしたのか分からない。
このトレイルの水場は低い場所にあるが、登るにつれて水が乏しくなる。中年のカップルがテントを張ろうとした場所は最後の水場で、ここが涸れると、スイッチバックをかなり登った場所と、スイッチバックを終えて水平に近くなった場所に二ヵ所、水の流れている場所がある。
最初のスイッチバックの辺りには図 11.23 の群落がある。クレージー・ドックが熱心に撮影していたので、記憶に残っている。彼はロバの耳と言ったが、ワイエティア・モリスという花である。今年の花は終わっていたので、古い写真を示す。
まだ、午後 3 時過ぎだったので、先に進んだ。4 時、ベア・リッジ・トレイルとの分岐に来た。ちょっと気が変わり、直進せず、ベア・リッジ・トレイルを下ることにした。VVR がベア・リッジ・トレイル・ヘッドとのフリー・シャトルをやっていたのを思い出した。下ってテントを張っていれば、朝のシャトルに間に合うはずだ。そうすれば、フェリーに乗るより早く着く。
トレイルは下りになるが、地図と違ってなかなかベア・トレイルから離れない。しばらくして本格的に下りだす。普通のパイン・ツリーの林の中で、特に面白くはない。30 分ほど下ると湿地帯が現れる。小川の始まりもある。なんとなく気が進まず、先に進んでしまった。すると、右側の小川は消えて、低い谷の緑地帯になった。水はどこかにあるはずだが、下って調べる気にはなれない。という訳で先に進んてしまった。
時刻は 4 時 40 分。悪いパタンである。小川を横切る水場はあるのだが、ずっと先である。少し、困った。今度は左側に緑地帯が広がってきた。左側にクロスカントリーすれば水はあると思うが、危険は侵したくない。そのままトレイルを下った。5 時半、小川が流れる音が聞こえた。トレイルから 50m ほど離れた場所である。一応、裸地はあるし、平らそうだ。行動時間の限界に近い。テントを張ることにした。
図 11.25 がテントを張った場所である。小川は 10m ほど離れているだけだった。少し傾斜はあるが、悪くはない。水を 5L 調達した。周りを調べると、テントを張れそうな場所も他にあった。希にテントを張る人もいるようだ。夕食は図 11.26 のように、MTR で入手したツナをご飯に乗せてメインとした。
シャトルは 8 時だったので、早めに起きて 6 時に出発した。少し歩くと見覚えのある場所に来た。昨日、目標としていた小川に到着したのは 7 時である。テントは小川の手前に広い場所や、小川を渡った場所に張れる。少し遅れ気味なので、ペースを上げた。トレイルヘッドの手前でスイッチバックで急角度で高度を落とす。トレイルヘッドにちょうど8 時に着いた。
少し待ったがシャトルは来ない。様子がおかしいので messenger plusで VVR に問い合わせた。すぐに返事が来た。シャトル・サービスはやっていないという。話が違う。ハイカーが少ないので、止めてしまったようだ。キャビンの空きはないかと聞くが、こちらは満員という。仕方ないから VVR まで歩いた。VVR 到着は 9 時半、朝食は食べられないが、お昼のハンバーガーは食べられる。
この辺りから VVR のシャトルに乗れたことがない。一度は途中で拾ってもらったが、無料でなく後で 20 ドル取られた。2022 年は有料シャトルだったが、いくら待っても来ない。仕方ないからダムサイトを歩いていると、
「おい、ちょっとそこで待て。電話が終わるまで待っていろ」
と止まっている車から怒鳴られた。悪いことでもしたかなと、仕方ないから待っていた。
「ここだけしか電話が通じないんだ。ヴァーミリオンだろう。荷物を乗せろ。乗せてやる。」
彼の名前はペーター・ウィリァム・テレマイヤ。トレイル名はティンマン (図 11.27)。著書に「On the Bridges Between Heaven and Earth: Sixty Years of Living Dangerously(天と地の間で: 命がけの 60 年間) 」がある。 Kindle 版が安かったので、購入して読んだ。めちゃくちゃな人生である。ニュージーランド出身、17 歳で入隊、20 歳からさまざまな飛行機を操縦して、南極では極地に不時着した場合の訓練をして、その後の登山に役立てた。兵役後は世界中に航空機を届ける仕事をして、合間に危険な登山を楽しんだ。その後、アメリカ女性と結婚して、アメリカに移住、マウント・ウィットニーの登山を始め、JMT は 14 回歩いたという。両ひざとも人工関節に入れ替えたので、ティンマン (ブリキ男) である。VVR で丸一日一緒になった。たぶん、筆者が VVR で会ったうち、もっとも著名人だろう。残念ながら、彼のウェブサイトは 2024 年から更新されていない。
ベア・トレイル
VVR に行く、メインのトレイルはベア・トレイルである。今年は途中から気が変わってベア・リッジ・トレイルを辿ったが、まっすぐに進むと、高原上の場所になり、林の中を進む。少し、高度を下げて、大きいスイッチバックの後はゆっくりと、急激なスイッチバックに進む。
ベア・トレイルは林の中を進むので、あまり景色は良くない。2009 年の写真だが、図 11.28 ような山が見える。
水はかなり高度を下げたスイッチパックの転換点で一か所手に入る。それ以降は下り切ってしまわないと水がない。下ってから最後のスイッチバックをこなすとメドウになり、所々にキャンプ・サイトがある。そのうちに、モノ・クリークの橋に着く。VVR のフェリーの乗り場はそこから1時間ほどの場所にある。乗る時に料金は要らない。VVR をチェックアウトする時に、すべてを一括してクレジットで払うシステムである。
ベア・クリーク・カットオフ・トレイル
ベア・クリーク・カットオフ・トレイルは少し長いが、どこでもキャンプできるし、きつい登りはない。2019年に逆方向に歩いた写真があるので、それを元に説明しよう。
ベア・クリークを下っていくと、小川があり、左手に下っていくトレイルがある。これがカットオフ・トレイルの入り口である。少し下ると細かい小川が流れる湿地帯で、ここを過ぎるとべア・クリーク沿いに広いキャンプ・サイトがある。残念ながら、まだ、ここで寝たことはない。
トレイルは岩のリッジをしばらく進む。スイッチバックで少し下ると緑地帯があり、小川が流れる。その近くでテントを張ったのは図 11.29 である。トレイルの傍だったが、水はあるし、風通しが良い場所だった。ベア・カットオフ・トレイルを歩く人は少ない。
その後はベア・クリークから少し離れるが、しばらくして図 11.30 のようなクリーク沿いになる。さらに下流では別の支流と合流して池のようになっている広い場所がある。図 11.31 である。下っていくと、平坦で広い場所が続くようになる。右手に続く、トレイルを見逃さないようにしたい。カットオフ・トレイルの名の如く、低い丘陵スイッチバックでカットしながら登る。図 11.32 のように、パスからはレイク・エディソンが見える。 30 分ほどスイッチバックをこなせば、トレイルヘッドに出る。ここから VVR までは車道歩きで 3km ほどである。
<第12章へ続く>
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国立大学元教授であると同時に『ハイキング・ハンドブック(新曜社)』や『米国ハイキング大全(エイ出版)』など独自深い科学的見地から合理的なソロ・ハイキング・ノウハウを発信し続ける経験豊富なスルーハイカーでもある村上宣寛氏の新著『ハイキングの科学』が、Amazonにて絶賛発売中です。日本のロングトレイル黎明期からこれまで積み重ねてきた氏の経験と、ハイキングや運動生理学をはじめあらゆる分野の学術論文など客観的な資料に基づいた、論理的で魅力たっぷりの、まったく新しいハイキングの教科書をぜひ手に取ってみてください。
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村上 宣寛
1950年生まれ。元富山大学名誉教授。専門は教育心理学、教育測定学。アウトドア関連の著作は『野宿大全』(三一書房)、『アウトドア道具考 バックパッキングの世界』(春秋社)、『ハイキングハンドブック』(新曜社)など。心理学関係では『心理テストはウソでした』(日経BP社)、『心理学で何が分かるか』、『あざむかれる知性』(筑摩書房)など。近著に、グレイシャー、ジョン・ミューア・トレイル、ウィンズといった数々のアメリカのロングトレイルを毎年長期にわたりハイキングしてきた著者のノウハウ等をまとめた『アメリカハイキング入門』『ハイキングの科学』(アマゾン)がある。

































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