当サイトのレビュー記事はアフィリエイトリンクを通して製品を購入いただくことで少額の収益を得ています。

ジョン・ミューア・トレイル 北向き縦走 (2025 NOBO) の記録 【第7章】ミドル・フォーク・ジャ ンクションからミューア・パスへ

【第7章】ミドル・フォーク・ジャ ンクションからミューア・パスへ

足の速い人ならミドル・フォークとのジャンクションからミューア・パスは一日の行程である。ただ、パスを午前中に越えるというルールからは少し厳しい距離である。希には雷雨に襲われる。トレイルは緩やかな登りで、グロース・メドウからラ・コンテ・レンジャー・ステーション、ペティ・メドウを経て、少しずつ、傾斜を増していき、一段楽した場所には無名の湖があり、周辺には良いキャンプ・サイトがある。ここを過ぎると、狭い渓谷になり、森林限界を越える。トレイルはやや荒れて行き、二つの無名の湖をすぎると東側の最大の湖、ヘレン・レイクに達する。石造りのミューア・ハットまでは 30 分くらいの登りである。ミューア・ハットは緊急時の避難場所で、原則として宿泊は禁止である。パスを越えると、岩だらけの広大な景色が広がる。

図 7.1: ミドル・フォークからミューア・パス

ミドル・フォークからミューア・パスへのアプローチ

長時間寝たので、一応、疲労は回復した。足のガングリオンも絞り出して傷テープでカバーした。千恵子に「とりあえずミューア・パス、MTR、 VVR を目標にする。こちらの朝夕は震えが来るほど寒い。直射日光はめちゃくちゃ暑い。そろそろ出発する。」とメールを入れた。いつものように、出発は 7 時頃である。

キャンプ・サイトからは登っていく。少し先には何度もキャンプした風通しの良いサイトがある。さらに登ると、川沿いにも数張りできるサイトがある。その次は、低い滝がある。倒木や立ち木が多く、あまりきれいに撮影できない場所である。それからは比較的平坦な登りのトレイルになる。

やや平な場所に出る手前には小さな小川が右手から流れてくる。実は 2017 年にふくらはぎの筋断裂に見舞われた時、時間切れになったので、この傍でテントを張った。みんなの使うキャンプ・サイトではないが、水と水平な裸地がある場所である。身体に悪いと思って鎮痛剤を止めたら、食事の後で猛烈な痛みが襲ってきて、文字通り七転八倒した場所である。ただ、不思議な事に次の日は立ち直り、デュシィ・ベイズンを経てサウス・レイクの近くまで歩いた。

この先は林の中のトレイルになる。2018 年にこの辺りでオリジナルの杖を使って歩いているハイカーに会った。杖は自分の兄弟と語った。兄弟と一緒にハイキングという訳である。彫刻の上手な人なので記念撮影しておいた (図 7.2)。鹿が増えるのもこの辺りである。図 7.3 に 2022 年の写真を載せておく。

図 7.2: 自分で彫刻した杖を持ったハイカー。自分のブラザーという。2018年撮影

林を進むと、グロース・メドウに着く(図 7.4)。この辺りでグロース (雷鳥) は見ないが、ハイカーは多い。比較的広いキャンプ・サイトが中ほどにある。ただ、夏は蚊も多いので、ここでのキャンプは避けた方がよい。グロース・メドウを通り過ぎてすぐに湿地帯があり、猛烈な蚊の攻撃を受ける。今年はハイカーが 3 名いたが、蚊はいなかった。

図 7.3: この辺りには鹿が多い。2022 年撮影。

図 7.4: グロース・メドウ

林が途切れた場所にセージの群生が広がっている場所がある。ここだけ植生が違うので、印象に残っている。地質が違うのだろう。再び、トレイルは林の中を進む。左手にシタデル・マウンテンという岩山も見えるだろう。もう少しで林も疎らになっていく。

ラ・コンテ・レンジャー・ステーションが近づくと、所々にキャンプ・サイトがある。川から水が得やすいし、狭いサイトが多いので、大勢の人が集まることはない。図 7.7 は 2011 年、2016 年にテントを張った。気持ちよくキャンプできるサイトである。11 時に到着した。歩くスピードは遅いが、登りなので、まずまずである。

この辺りで前後して歩いたのはヴァージニアさん (図 7.5) で、ちょっと太目の旦那さんは遅れがち、ヴァージニアさんは時々、待ちながら歩いていた。活発な社交的な奥さんと、大人しい太目の旦那さんとのよくある組み合わせである。どこか途中までのセクション・ハイクか、ビショップに抜けるのだろう。

図 7.5: ヴァージニア・トレカーティンさん。

まもなく小川があり、鉄で出来た橋を渡るのだが、今年は付け替え工事中だった。水量が少ないので右手から川に下りて渡った。渡ってすぐに左は狭いキャンプ・サイトになっている。少し上流には広いサイトがあり、そこをはみ出した人が張る場所である。

広いキャンプ・サイトを左手にして、少し上流にはトレイルの分岐がある。左に行くとレンジャー・ステーションで行き止まり、右はサウス・レイクへのトレイルである。途中、デュシィ・ベイズンという素晴らしい場所があるので、このルートは後に説明する。

レンジャー・ステーション以降、登り勾配がきつくなる。小さいスイッチバックが時々ある。ちょっと嫌になってしまったし、12 時になったので、水場を見つけてランチとした。

少し先に行くと小川を横切る。ここでトレイル・ワーカーたちが作業をしていた。アメリカのトレイルのメインテナンスはすべて人力、せいぜい馬の力を借りるだけである。昔からの伝統とか、国立公園に重機を持ち込めないという制限のためである。声をかけて許可をとってから撮影した。女性のトレイル・ワーカーには断られることがある。汚れている状態を写されたくないのだろう。

図 7.6: セージの群生地、2012 年撮影。

図 7.7: ラ・コンテ・レンジャー・ステーションの下流 1km ほど。2011 年撮影。

図 7.8: ラ・コンテ・レンジャー・ステーションの下流 0.5km ほど。

図 7.9: トレイル・ワーカーたち。

図 7.10: ペティ・メドウの広いキャンプ・サイト

ペティ・メドウのキャンプ・サイトは広い。ここはちょっとした思い出がある。2009 年の初めての JMT でやさしいお姉さんと知り合った。ミューア・パスで記念撮影してもらったのがきっかけである。パスから前後して下ってきた。このメドウで、鹿を見た。

「ディス イズ ア ディアー (これは鹿です)」

次に地面に横たわっている枯れ木にきれいな小さいヘビがいた。

「ディス イズ ア スネイク ノット ポイズナス ワン (これはヘビです、毒はありません)」

と丁寧な英語教育をしてもらった。そうですねとか、知っていますとか、もちろん言わなかった。やさしいお姉さんだったから。

このお姉さんにはいろいろ教えてもらった。トレイル・ワーカーを見た時には、

「ハード・ワーク、ノー・リワード、グッド・フード (きつい仕事、報酬なし、食事はたくさん)」と言った。

本当に報酬がないのか確認していないが、仕事がきつくて、たくさん食事が必要なのは理解できる。労働に見合う報酬ではないのだろう。

実は、トレイル・ワーカーにはみんながなりたがる。名誉ある仕事らしい。日本との大きな相違点である。VVR で会ったハイカーはトレイル・ワーカーになりたいと言っていた。事実、後に彼はトレイル・ワーカーになった。もしかすると、トレイル・ワーカーをすると、レンジャーなどの出世コースがあるのかもしれない。

「ヒマラヤ・トレッキングなら、みんなポーターが持ってくれるのに、ここはきついのよ。自分で全部持たないといけないから。」とも言っていた。JMT はガイドなし、ポーターなし、山小屋なし。なんでも自分で運んで歩く世界である。

「食べ物は足りている?」とも言われた。VVR にチーズが売 っていなかったので、その分は不足していた。

「食べ物を恵んでくださいと、人に会うたびに言うのよ。あげたいんだけど、こちらもあげるだけ持っていないのよ。ごめんね。」とすごくやさしいお姉さんだった。

ただ、後でハイカー仲間にお前はバカだと言われたらしい。彼女は筆者がかなりの年上だとは想像もしなかったらしい。日本人は若く見えるし、筆者は特に若く見えるほうだった。図 7.11 の写真はマザー・パスでのアプローチで写した。たぶんディア・メドウの終わりの場所だろう。ちょっと恥ずかしがっていた。

図 7.11: やさしいお姉さん、2009 年撮影

ペティ・メドウを過ぎると、もう一つ小川を渡る。トレイルは西に向かい、渓谷を遡り、左にキングス・リバーの上流が近づく。渓谷が狭くなり、大きな岩が現れだすと、有名なモンスターのあるキャンプ・サイトを通る (図 7.12)。モンスターもサイトも川沿いにあるので、見落とし勝ちである。だれか、カメラマンがいると、やはりここでは演技をする必要がある。

図 7.12: モンスター、ここでは演技力が必須。2019 年撮影。

 

 

ジェイムズさんからメールが来た。

「どうしている。」

「ひどく疲れた。ただ、たぶん、スケジュール通りだよ。明日はミューア・パスを越えないといけない。」

「心配しなくてもよい。君が来れなくても部屋代は俺が払う。安全 に、無理はしないように。」

ジェイムズさんはなかなか親切な人だ。

まだ、3 時だった。明日、ミューア・パスを越えて MTR との距離を詰めたいので、もう少し先に行かないといけない。しばらくは緩い登りが続く。千恵子と南向き JMT をやった時にキャンプ・サイトを探した場所を通過した。

そして、2010 年にキャンプしたサイトを通過した。川のすぐ傍のサイトなので、ルール違反の場所である。ラインホルトと話をして遅くなったので張った。まもなく、スイッチバックが始まるが、その二つばかりスイッチバックを繰り返した場所が彼と出会った場所である。

2010 年は南向き JMT で、スイッチバックの転換点で座り込んでいるハイカーがいた。彼は筆者を見ると、次々に質問を浴びせてきた。

「日本人か。」

「VVR を出発したのは何日か。」

「ファミリー・ネイムは」

「名前は。」

不信に思いながら、それぞれに回答した。

「オオーウ。ヨッシーか。おれがラインホルトだ。」

PCT のメーリング・リストで意見を交換していたラインホルトだった。エキセントリックな人柄で、メーリング・リストではめちゃくちゃな冗談を書きまくっていた。一部の人からはひんしゅくを買っていたが、なかなか興味深い人で、本当の悪人とは思えなかった。そこで VVR で会えば、一緒にコーヒーを飲もうと約束していた。ところが、筆者の方が誠実でなかったらしく、すっかり忘れていた。

すぐさま、バックパックを下ろして、ストーブを取り出し、湯を沸かした。コーヒーのドリップ・パックも山ほど持っていた。ただ、ラインホルトは遠慮して、半分で良いと言った。それで、一杯分のコーヒーを作り、二人で分けた。ラインホルトのカップ (図 7.13) はアルミの缶であった。

図 7.13: ラインホルト、70 歳。JMT を 5 日と 7 時間 45 分で歩いた記録をもつ。11 度目の JMT という。2010 年撮影。

JMT の最速記録の話になった。

「イギリスのロイヤル・ネイビィのヤツが JMT を速く歩いたと威張るんだ。なんだ、そんなもの、俺が新記録だしてやるよと見栄を切っちまったのよ。くっそう。この野郎だった。だから、やったんだ。ざまあみろ。」

ラインホルトの英語の発音は下品でめちゃくちゃ聞き取りにくかった。ドイツ語のようなアクセントだった。後でシュルーマーに聞くと、ドイツからの移民だろうという。名前もドイツ系なので、ドイツ語読みで表記してある。

ちょうど、好奇心でパルス・オキシメーターを持っていたので、ラインホルトを測ってみた。酸素濃度 88%、心拍数は 60 だった。筆者は酸素濃度 90%、心拍数 80 だった。標高は約 3,000m だが、二人とも完全に高所順応していた。ラインホルトはかなりのスポーツ心臓なので心拍数が低かった。

30 分ばかり話をした後、彼は遠慮がちにこういった。

「実は、ちょっとだけ食料が不足しているんだ。」

筆者は 2 回目の JMT で、食料は山のように持っていた。さらに VVRでもエナージー・バーを 30 本ほど拾って、持ち歩いてきた。軽量化にはちょうどよい機会だった。まず、JMT パンを一塊取り出し、エナージー・バーを 1 ダースほど取り出して、彼に渡した。彼はびっくり仰天していたが、喜んでいた。

別れる時にミニ三脚を使った記念撮影をした。立ち上がって一緒に並ぶと、彼の背丈は私より 20cm ほど低かった。そこで足場を探して背伸びして、記念撮影に挑んだ。

後日談が少しある。彼には JMT ブレッドの超高カロリー、超栄養がかなり印象的だったらしく、PCT メーリング・リストに「ヨッ シー、あのパンはいったい何だ。レシピを公開しろ」とわめくように書き込んだ。他の人によると、ラインホルトは何時も他のハイカーの食料を略奪する悪い人間だという話だった。最速記録もマウント・ウィットニーから始めたので、ダウンヒルの達人と揶揄されていた。今では最速記録は破られているが、サポートなしの記録としては立派なものだろう。

さて、左手にキングス・リバーの滝を見ながらスイッチバックを詰める。このスイッチバックは 2 段に分かれている。一つ片付けて、終わったと思うともう一つある。

登り切ると平坦になり、小川がゆっくりと流れる場所に来る。何度か、ここの川の傍で休憩したり、ランチをとった。カヨリの撮影に初めて成功したのもここである。

図 7.14: カヨリ、珍しく撮影に成功。2019 年撮影。

 

 

カヨリは夜行性で、夜中に吠える声は聞こえるが、めったに姿を見せない。カヨリは日本ではコヨーテとして知られるが、ほとんどのアメリカ人はカヨリと発音する。

メキシコ中央部のアステカ語であるナワトル語の (coyotl) 由来である。それがスペイン語の「coyote」になり、英語に導入された。だれも tl が発音できないので、t の音が抜けてしまうので、カヨリとなるらしい。

また、ここでは、ボロボロの帽子を大事そうに使っていたハイカー(図 7.15)と会った。2022 年のことである。この帽子と一緒にたくさんトレイルを歩いたという。トレイル名はメロウ。「円熟した、落ち着いた」という意味である。帽子が古くなるとすぐ処分する筆者のような人間は風格が出てこない。

図 7.15: カールトン・ボール、トレイル名はメロウ。ボロボロの帽子が印象的なハイカー、2022 年撮影。

既に午後 5 時なので、キャンプ・サイトを探した。どこですれ違 ったか、思い出せないが、他のハイカーから「ウェル・ダン (やったね)」と声をかけられた。幸い、サイトは低木で囲まれてあちこちに分散していた。ちょっとした茂みの中にテントを設営した。そして、小川まで出向いて、水を 5L 調達した。

筆者の浄水システムを図 7.16 に示す。汚い水をプラティパスのジ ップ付きのパック (3L と 2L の二つを持参) に入れ、シリコン・チューブで浄水器と 1L のプラティパスを接続する方法である。テントのカラビナに吊るせば、自動的にきれいな水が入手できる。ところが、3L のパックとの接続部から水がさかんに漏れ出した。びっくりして、ジョイントを外すとゴムのパッキンが千切れていた。ここが壊れると、2L のパックとも繋がらないし、浄水不可となってしまう。そうなると、生水は飲めない。ハイキングも継続不可になる。とんでもないことになった。

図 7.16: 筆者の浄水システム。ソーヤーの浄水器を落下式として使う。

 

 

5 分ほどパニックになった。パッキングの代わりになるものはないかと探した。ふっと思いついたのは眼鏡が落ちないようにするシリコンのストラップである。眼鏡のツルの所はシリコンのループになっていた。分かりやすさを優先して図 7.17 に示す。写真の物はゴムで金属のカシメがあるが、この時の手持ちの物はすべてシリコンでできていた。ナイフで輪を切り取ると、パッキングになった。水は少しは洩れるが、問題にならないレベルだった。現在はシリコン・パッキングを取り寄せて、非常用品に追加している。とりあえず、浄水器の修理には成功した。

図 7.17: チューブのジョイント部分と眼鏡のツルの部分。持っていたのはツルに接続する部分がシリコンの輪になっていた。

千恵子から連絡があった。電動アシスト自転車が強風で倒れたという話だった。夕食は落ちついてビーフ・ジャーキー定食である。珍しく、ポテトサラダも食べた。もったいないが乾燥野菜の大部分は MTR で捨てるほかない。

ミューア・パスへ

テント場からの写真は図 7.18 に示す。朝日が当ると素晴らしい場所だった。高い山はマウント・ワーロウか、その手前の山か、よく分からない。ただ、ミューア・パスはこの山の向こう側である。

図 7.18: キャンプ・サイトからの眺め

ジェイムズさんに朝の挨拶をした。「おはよう。寝すぎてしまってスタートが遅くなった。体調は悪くないよ。年齢は別として。」

2016 年は、ラ・コンテ・レンジャー・ステーションの近くから MTR 近くのパイユート・トレイル・ジャンクションまで一日で歩いている。衰えてはいるが、MTR は射程内である。8 月 10 日の昼までにはつくだろう。

7 時半に出発した。正面の無名の湖で北に転じて、しばらくは普通のトレイルが続く。傾斜はあるが、林の中である。小川を渡るとスイッチバックが始まる。このスイッチバックを二つこなすと、平坦になり、渡渉点に達する。

かなり前にここでイエロー・レッグ・フロッグ (図 7.19) を撮影した。ハイシェラで保護されているカエルである。トラウトを放流すると、このカエルが絶滅する。トラウトのいない高山帯でしか、このカエルは棲息できないからである。

図 7.19: イエロー・レッグ・フロッグ。2010 年撮影。

今年は簡単に岩の上を歩いた。ここはトレイルが少し不鮮明なので気を付けよう。トレイルは基本的に川沿いに上流に向かって付けられている。川を右手に見ながらトレイルを歩くと、図 7.20 のような無名の湖に達する。8 時 45 分だった。この湖からはパイン・ツリーは疎らになる。トレイルは左奥へ繋がるが、川を渡って、スイッチバックで岩盤の上に登っていく。少し険しくなる。

図 7.20: 無名の大きな湖。トレイルは正面左奥の岩へ続く。

この岩盤地帯を登り切ると、図 7.21 の小さな湖に出る。トレイルが分かりにくいが、左に川を横切り、湖の上部で再び、川を渡る。PCT ハイカーが雪の時に付けたトレイルがまっすぐに伸びているが、トレイルは荒れていて、いずれ、川を渡ることになる。

図 7.21: 小さい湖。トレイルは不明瞭だが、左へ川を横切る。

アルパイン・アスター (図 7.22) が狭い渓谷の所々に咲いている。ここを越えれば、いよいよヘレン・レイク (図 7.23) である。複数の写真を繋ぎ合わせて、少しだけパノラマ化した。ヘレンはジョン・ミューアの娘の名前である。時刻は 11 時半だった。少し手持ちの水が減ってきた。トレイルが湖に近づいた場所で水を 1L ほど補給した。

図 7.22: 所々にアルパイン・アスターが咲いている。

図 7.23: ヘレン・レイク。数枚の写真を合成した。

パスへの登りは 30 分ほどかかる。後ろを振り返ると、図 7.24 のような景色が広かるだろう。右手の山はブラック・ジャイアンツ、水たまりのように見える湖はヘレン・レイクである。2011 年には右手の水たまりの近くで千恵子とテントを張った。

図 7.24: ミューア・パスの東側。湖はヘレン・レイク、右の山はブラック・マウンテン。2022 年撮影。

ミューア・ハットに着いたのは 1 時頃である。晴天なので問題なかった。記念撮影 (図 7.25) をしてから、岩でできた小屋の中でランチとした。ミューア・ハットの発案はウィリアム・コルビー、デザインはヘンリー・ガッタソンで、イタリアのブッリャ州のドーム様式を取り入れている。建築費用は 58,000 ドルにのぼった。資金はシェラ・クラブのジョージ・フレドリック・シュワルツがすべて出した。1930 年の建築である。

図 7.25: ミューア・ハットでの記念撮影。

中年のアメリカ人女性をリーダーとした 5 名くらいの女性グループが登ってきた。いずれも軽装なので、パスまでの往復だろう。このリーダーとは口がききたくなくて、ほとんど話をしなかった。男でも女でも、相性は一瞬で分かる。人種は関係ないようだ。

パスからの西側の眺めは図 7.26 である。ほぼ別世界である。この別世界で 2 回はキャンプした。2022 年のキャンプは図 7.27 で、みりん干し定食を作ったのは筆者くらいだろう (図 7.28)。それに途中で入手したポルシーニとチーズの炒め物を追加した (図 7.29)。ここで少しだけ自慢しておこう。

ハイシェラのポルシーニは雨の多い年にベア・クリークとかフィッシュ・クリーク沿いにある。2022 年はキングス・リバー沿いにもあった。直径は 10~15cm と小さい。図 7.30 に示しておく。ウィンズ (ワイオミング)のポルシーニは大きいので、図 7.31 に挙げておく。大きい物は直径 1mに達する。

見分けるのは簡単で、1. 笠が茶色、2. 笠の裏がスポンジ状、3. 二つに割ると茎や笠の断面は白色、笠の裏のスポンジは黄土色である。非常に分かりやすい。美味しい高級なキノコである。マッシュルームの専門家シュルーマー (スコット・ウィリアムズ) に料理法も教えてもらった。チーズを加えて油で炒めるのが簡単である。

出発する頃には女性リーダーの騒がしいグループはいなくなっていた。ペティ・メドウあたりからの往復ハイキングだったのだろう。時刻は 1 時半になってしまった。エボリューション・レイクまで行きたいところだが、さあ、どうなるか。

<第8章へ続く>

図 7.26: ミュアー・パスからの眺め

図 7.27: ミューア・パス直下でのキャンプ、2022 年撮影。

図 7.28: 納豆と野菜ご飯にみりん干し

図 7.29: ポルシーニとチーズの炒め物

図 7.30: JMT のポルシーニは小さめ。2022 年撮影。

図 7.31: これはワイオミングのポルシーニ。2014 年撮影。

村上宣寛氏の新しいハイキングガイド『ハイキングの科学 第4版』Amazonで発売中(Kindle版は100円)

国立大学元教授であると同時に『ハイキング・ハンドブック(新曜社)』や『米国ハイキング大全(エイ出版)』など独自深い科学的見地から合理的なソロ・ハイキング・ノウハウを発信し続ける経験豊富なスルーハイカーでもある村上宣寛氏の新著『ハイキングの科学』が、Amazonにて絶賛発売中です。日本のロングトレイル黎明期からこれまで積み重ねてきた氏の経験と、ハイキングや運動生理学をはじめあらゆる分野の学術論文など客観的な資料に基づいた、論理的で魅力たっぷりの、まったく新しいハイキングの教科書をぜひ手に取ってみてください。

created by Rinker
¥100 (2025/12/08 20:24:23時点 Amazon調べ-詳細)

村上 宣寛

1950年生まれ。元富山大学名誉教授。専門は教育心理学、教育測定学。アウトドア関連の著作は『野宿大全』(三一書房)、『アウトドア道具考 バックパッキングの世界』(春秋社)、『ハイキングハンドブック』(新曜社)など。心理学関係では『心理テストはウソでした』(日経BP社)、『心理学で何が分かるか』、『あざむかれる知性』(筑摩書房)など。近著に、グレイシャー、ジョン・ミューア・トレイル、ウィンズといった数々のアメリカのロングトレイルを毎年長期にわたりハイキングしてきた著者のノウハウ等をまとめた『アメリカハイキング入門』『ハイキングの科学』(アマゾン)がある。