
ジョン・ミューア・トレイル 北向き縦走 (2025 NOBO) の記録 【第8章】ミューア・パスからサンホ アキン川へ
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目次
【第8章】ミューア・パスからサンホ アキン川へ
北向き JMT の場合、登りは急だが、下りは平坦な下りが続く。まずはヘレン・レイクとワンダ・レイクまでで、植生のない岩の平原である。キャンプ・サイトはワンダ・レイクの下流部に少しある。さらに、サファイア・レイク、エボリューション・レイクと見事な景色が続く。両方の湖には比較的よいサイトが点在する。エボリューション・レイクからスイッチバックで高度を下げて、ミクロア・メドウに下りる。もう一度、比較的平坦な下りが続く。有名な徒渉点を過ぎて、再びスイッチバックでサンホアキン川沿いに進む。JMT はパイユート・パス・トレイルと接続し、MTR へ繋がる。
ミューア・パスからサファイア・レイクへ
ミューア・パスからはスイッチ・バックを少しこなすと、比較的平坦な下りになる。岩だらけの高原だが、トレイルはきちんと整備されている。いくつか、小川を横切るところだけ、少し荒れているが、これは仕方ない。水も入手できるし、筆者がキャンプしたように、植生は乏しいので、高所順応しておけばキャンプは可能である。
30 分ほど歩くと、トレイルはレイク・マクダーマンドの傍を通る。少しだけ岩の間を歩くと、最大の湖、ワンダ・レイクの湖岸に達する。ワンダはジョン・ミューアの娘の名前である。ワンダ・レイクからミューア・パスを振り返ると図 8.6 のような風景である。
ミューア・ハットは写真の一番低い場所にあるのだが、岩でできた建築物なので、風景に溶け込んで見えない。つまり、環境への視覚的インパクトが最小になるように、設計された建物であると、やっと理解できる。アメリカの環境保護は物的汚染だけではなく、視覚的汚染も問題にする。それで、服装や道具などもアース・カラーを重要視する。
2012 年、この辺りでエキゾチックなカップルとあった。ノース ・レイクを出発してパイユート・パス・トレイルを下り、そこから方向を転じて登ってきたという。これからパスを越えて、ラ・コンテ・レンジャー・ステーションからサウス・レイクへ向かうらしい。この時にこのループを初めて知った。2017 年の北向き JMT の時についでに千恵子と試みようとしたが、途中で筋断裂に見舞われて失敗した。
突然、鳥が飛んできたので、カメラで速写したが、ピントが合わないし、的を外している。ただ、ミューア・パス近くで写したので、載せておく。図 8.4 のようにカモメである。モノ・レイクが塩湖だからか、カモメの拠点になっていて、ここまで飛んでくるという。標高は 3,600m もあるのだが、カモメにはどうってことがないのだろう。
トレイルはワンダ・レイクの湖岸を進むが、ちょっと奇妙なことに気づいた。もう一本、トレイルが丘の間に伸びていた。歩かなかったが、長さは 100m 程度で、工事中のトレイルだった。アメリカのフェイスブックの書き込みによると、環境保全のために湖岸のトレイルを廃止して、丘の上に付け替え作業中のようだ。湖岸はわずかな緑地なので、それを守ろうという試みである。資金は誰かが全額寄付したとのこと。来年からは湖岸のトレイルは廃止になるだろう。
ワンダ・レイクからの川は水量が少なく、岩の露出が多かった。渡る時に間違えそうになったくらいである。ちょっとしたガタガタのトレイルを下り、サファイア・レイク手前の無名の湖の近くに着いたのが 3 時 40 分だった。湖はかなり干上がっていて、形が違っていた。相変わらず、意外に時間がかかっていた。サファイア・レイクあたりになるかもしれない。
ジェイムズさんから連絡が来た。
「シャワーとハンバーガーだ。」
VVR に到着したようだ。
「君と会えるのは嬉しいよ。PCT メーリング・リストで君の投稿を読んでいたし、フェイスブックでも何年もずっと読んでいた。現実に顔合わせするのはなかなか面白いよ。」
「俺は普通の年寄りだよ。エボリューション・レイクに向かっている。」少し歩くと、ハイカー 3 名に追いつかれた。もちろん、追い抜いてもらって背後から撮影した。それが図 8.9 である。特に顔も見なかっ たが、写真のバックパックからは先頭がマリポサ 60 でお父さん、次がエーリエル AG 75 で娘、次がゼニス 88L で息子だろう。JMT ではオスプレイのバックパックは優勢である。家族そろっての JMT ハイキングに間違いない。夏の JMT が人気があるのは、天候が安定しているからである。特に 7月下旬から 8 月上旬は安定している。それを過ぎると雷雨が増えてくる。峠の標高は 3,000m 以上なので、午後 4 時過ぎには雷雨となることが多い。雷雨と言っても、雷と雹に変わることが多い。筆者が体験した場所はマウント・ウィットニー、ギター・レイク、マザー・パス、そして、このミューア・パスである。いずれも午後である。
2016 年、カメラマンが同行した時のことだった。朝のスタートはラ・コンテ・レンジャー・ステーションから 1km ほど南で、悪い場所ではなかったが。スケジュールの関係でカメラマンは高所順応で苦しんでいた。そのうえ、バックパックも小さめを選んでいたので、パッキングに手こずり、朝のスタートが遅くなりがちだった。
ミューア・パスに到着した時は 5 時ちかくだった。天気も崩れてきた。ミューア・ハットの中には何人も人がいた。普通ならキャンプ・サイトを探すべき時間だが、そばには良い場所がない。彼はスケジュールの関係で先を急いでいた。止むを得ず、先に進んだ。これは間違いだった。ただちに、雷雨が襲ってきた。すぐに止むと思ってそのまま歩いたが、なかなか止まない。雨具の上は着たが、面倒だから雨具のズボンは着なかった。雨は雹に変わり、雷も止まなかった。震えが出てきたので、サファイヤ・レイクに緊急避難的にテントを張った。温かい物を食べて震えは収まったが、JMT 最大の失敗である。これ以降、雨具は少ししっかりした物で、ズボンのジッパーはフル・オーブンできるものとした。
サファイア・レイクには 5 時に着いた。エボリューション・レイクまでは一時間かかるので諦めた。土地勘はあるので、湖の上流部分に張る予定で、サイトを探しながら歩いた。それらしい場所を見つけたので、オフ・トレイルで、まっすぐに下りてテントを設営した。それが図 8.11 である。
バックパックの挙動がおかしい。調べてみると、今度はバックパックのスイング・メカニズムのナットが一つ取れていた。ナットをバックパックの中から探し出してねじ込んで接着剤で固定した。落ち着いたので、千恵子に連絡した。
「名所だらけで写真は一杯撮った。いくつかを送る。ヘレン・レイク 11時過ぎかな。アーモンド食べたり、水を追加して遅くなった。パスは 1 時頃、リーダーらしいおばちゃんに写真を撮ってもらった。ミューア・ハットの中でランチ、出発するころはおばちゃん隊はいない。パス往復の人は軽装、ベアキャニスターも持っていない。JMT やっている人はやはり重装備。なお、今度はバックパックのネジが一つ取れていた。ナットを探して接着剤で固定した。それで、連絡が遅れた。これからみりん干し定食。明日はエボリューション・クリークの渡渉点を越えるのが目標だ。道は割によいし、下りばかり。なんとかなるよ。」
テントを張った時に位置情報を発信しているので、続いて、ジェイムズさんからメールが入った。「そこは一人になれる良いキャンプ・サイトだ。サファイヤ・レイクは好きだ。宝石だ。」
少し遅れたが、夕食はみりん干し定食とした。食料は残り三日分と十分だが、おやつのプロパーが美味しかったので、無くなってしまった。JMTパンで代用する他ない。
サファイヤ・レイクからエボリューション・ヴァレイ
入り口のフライを開けたまま寝た。風もなかった。なんとなく暖かかった。しかし、朝方のテント内温度は 10 ℃で、身体が慣れたためのようだ。 5 時ごろ起きて、いつもの朝食をとり、6 時半に出発した。サファイア・レイクの朝を図 8.12 に示す。
サファイア・レイクの最下流部で飛び石伝いの渡渉がある。今年は水量が少なく、簡単だった。続いて、狭い渓谷の岩場の間にトレールが続く。
後ろからハイカーが追いついてきた。もちろん、先に行ってもらうが、ちょっと変わったバックパックなので。背後から撮影しておいた。それが図 8.13 である。バックパックはスウェーデンのフェールラーベンで、カイカ 75 である。おそらくヨーロッパからのハイカーだろう。スウェーデン製の 75L のバックパックを背負うアメリカ人いない。ちなみに筆者もスウェーデン製のスーリーである。頑丈なアウトドア製品が多い。
岩の間のトレイルを歩くと、今度はナキウサギが現れた。どうしたわけか今年は二回目で、あまり逃げない。図 8.14 に示す。さらに子連れの鹿も現れた。ここで鹿を見たことはない。図 8.15 に示す。グロース (雷鳥)もいたが、撮影には失敗した。やはり、ハイカーが少ないためだろう。ここでこんなに多くの動物は見たことがない。
エボリューション・レイクに着いたのは朝 8 時半ごろである。 図 8.16の写真を千恵子に送ったところ評判がよかった。休憩して水を 1L 補給した。最初に来た時は湖の周りに張れなくて、戸惑ったが、キャンプ・サイトは湖の下流部の北東のパイン・ツリーの間にいろいろある。
2019 年は、夕立が近づいたために緊急避難的に植生の少ない場所にキャンプした。図 8.17 である。少し上流部にタープがあった。JMT でタープ泊をするのは日本人くらいである。確認がてら挨拶に行くと、日本人女性二人だった。パーミットをとっているのか、少し心配したが、大丈夫なようだった。ウルトラライトの日本人とは話が合わないことが多いので、挨拶だけにした。
エボリューション・レイク発は 9 時過ぎだった。湖の下流の小さな池は干上がっていた。その時に夫婦らしいカップルとすれ違った。発音からは日本人らしかったが、英語で挨拶しただけだった。筆者はあまり日本人に見えないし、特に日本人に興味がある訳ではないので、すれ違ったままである。
岩の場所に出ると図 8.18 のマウント・ハーミットが見える。見晴らしの良い場所からはジグザグに下り、林の中に入る。もう一度、なだらかな場所に出て、見晴らしがよくなるが、ここはちょっとしたキャンプ・サイトである。
確認しながら歩いていたら、巨大な岩に張り付けた下着のタイツが目に入った。洗濯して忘れてしまったらしい。貴重品なら回収してもよいが、下着となると、触る気にもなれない。そこで、そのまま放置して下って行った。
標高が下がると、少しブッシュも出てくる。小川を横切ることもある。参考のために、アメリカのトレイルの例を図 8.19 に示す。実際のトレイルは左方向に進むが、雨水が流れ込まないように岩を置いて、左側に流れが変わるようにしている。日本人は雨水の流れる方向をトレイルと勘違いして方向を間違えることがある。
2016 年、カメラマンが同行していた時のことである。サファイア ・レイクを出発する時、彼は小さめのバックパックを持ってきたため、パッキングに手間取って、筆者は 30 分ばかり待っていた。それで、エボリューション・レイクで一緒に休憩した。彼に焦りがあったのか、彼が少し先行し、筆者が後を追う形になった。ところが、スイッチバックをこなすあたりで姿が見えなくなった。スピードをあげても追いつかない。
どうもおかしい。カメラマンが行方不明になってしまった。バックして探しても見つかるはずがない。さっさと先に進んで、アメリカ人ハイカーとすれ違うたびに、
「息子と逸れてしまった。でかいカメラを胸に抱えたヤツだよ。見たか。そうか、見ていないか。それなら、俺の後だな。俺は先にレンジャー・ステーションに行って待っているからと言ってくれ」
アメリカ人には東洋人はみんな同じに見える。説明が面倒だから息子にしておいた。カメラマンはどこかでトレイルから反れたようだ。ただ、山が初めての人間ではないので、じきに復帰してくると考えた。それから、ハイカーとすれ違うごとに「息子とはぐれちまったんだよ。でかいカメラ抱えているヤツだ。見つけたら言ってくれ。俺はレンジャー・ステーションで待っているから」とウソを付きながらどんどん歩いた。
カメラマンはレンジャー・ステーション手前 20 分くらいの場所で追いついてきた。図 8.19 のような雨水を逃がす場所でそのまま川まで下りてしまい、おかしいことに気がついて這い上がってきたそうだ。高所障害がまだ残っていて、焦っていればこうなってしまう。ペアで歩く時は絶対に相手が自分の視野から出てしまわないようにしよう。
高度を下げると花も咲いている。図 8.20 はマリポサ・リリーである。アメリカ人には人気である。場所によって変異体が多少ある。今夏は乾燥しているので、花は不作である。
スイッチバックを終えたあたりにキャンプ・サイトがある。少し先に進むと小川が数本ある。意外に渡渉に手間取る場所である。アメリカ人ハイカーはサンダルに履き替える人が多いので、ここで追いつく。筆者はブーツでゲイターをしているで、30cm 程度の深さは問題なく踏み込んでいく。あるハイカーは「グレイト・アコンプリシュメント (すごいぜ、やったね)」と言って、敬礼もしてくれた。どこかで追い抜かれたハイカーだと思う。アメリカ人は大げさだから。こちらが若い外国人だと思っている。本当は相当の年寄りで、ここを 7~8 回も歩いているすれっからしとは思っていない。
エボリューション・メドウのトレイルは図 8.21 のような感じである。時々、巨岩の傍を歩く。これは、氷河期に丸く削られ、置き去りにされたものである。トレイルはメドウの淵を進むが、環境維持のためか、メドウには入り込まない。そのため、アップダウンが多少ある。
レンジャー・ステーションの所でランチと思ったが、お腹が減ってきた。二つ目の小川を渡ると、右側に倒木があり、腰掛けられそうだ。ちょうど、 12 時、ランチとした。まず、川の水を 1L ほど汲んで、浄水器をセットした。落下式なので、少し高低差があれば、自動的にきれいな水が得られる。お昼は少なく、JMT パンとインスタント・コーヒーである。
レンジャー・ステーションまでは、キャンプ・サイトが 2、3 あるが、誰もいなかった。レンジャー・ステーションにはハイカーが二人いたが、口は聞かなかった。例年ならレインジャーがいるのだが、今年はやはりいない。緊急時用の張り紙があったが、古びていた。数年経過しているかもしれない。
レンジャー・ステーションに近い場所にキャンプ・サイトがある。広い場所だが、一張りしかなかった。さらに 1 時間ほど進むと、木がなくなり、草原状の場所に出る。川沿いで千恵子とキャンプをした場所である。今年は乾燥しているので、トレイルの傍には水がなかった。
3時近くにやっとエボリューション・クリークの上流部の渡渉点の看板があった。この看板は一時撤去されたが、再び、設置されている。このアルタナティブ・クロッシングは川の水量が多い時にのみ使うようにされている。水深が浅くて安全なのだが、メドウの中を通るのであまり使ってほしくないようだ。ただ、アメリカのトレイルは馬向きで、馬のように馬力のあるハイカーには良いが、渡渉となると、女性には厳しい。率先してアルタナティブ・クロッシング (図 8.24) を使ってもよいだろう。広いが浅くて、渡渉が簡単である。トレースもちゃんとあるので心配無用。欠点はちょっと蚊が多いくらいである。
エボリューション・クリークの渡渉点に近づくが、どうしたわけか、あまり記憶がない。近くのキャンプ・サイトにテントがあったのでビックリして写真をとった。それが図 8.25 である。5~6 張りあった記憶がある。よく考えてみれば、アルタナティブ・クロッシングは三回ほどやったし、途中でクロスカントリーして渡渉も一度やった。メインのルートをあまり歩いていなかった。
ちょっとトレイルがアップダウンした後にいきなり見慣れた場所に来た。いつもは膝までの水嵩なのに、記録的に水量が低い。浅い場所はかなり向こう岸まで伸びていた。1~2m ほど深いが、せいぜい 40cm ほどである。
アメリカ人ハイカーは防水の登山靴には否定的であるが、筆者は防水の重登山靴にゲイターである。シューズと違って、40cm 程度の水深なら、すばやく歩けば、水は侵入しない。それで、浅い所はゆっくりと歩き、深い場所だけ素早く歩いた。左足のソックスの上が少し湿ったが、それだけだった。
エボリューション・クリークを渡った場所にポルチーニがある時もあったが、今年はカラカラなので、何もない。渡って少し下ると湿地帯があり、花がきれいなのだが、今年はやはり寂しい。少し過ぎると、小さな滝 (図 8.27) がある。いつもの撮影ポイントである。
スイッチバックが始まる頃には見晴らしが良くなる。パイユート・パス・トレイルとのジャンクションの見当も付いた。しかし、時刻は 3 時 20 分である。後、一時間程度でキャンプ地を決めたい。
スイッチバックを終えた所にサイトはあったが、先客がいた。川まで多少距離もあるので、パスして先に進んだ。突然、ジェイムスさんからメールが入った。
「よい場所を見つけた。プライベートなサイトだ。」
位置情報を見ると、ベア・クリークを渡った少し南である。ここには心当たりはない。どこか良い場所を見つけたのだろう。
「なかなか良いね。俺はもう少し先まで歩くよ。いくつか、心当たりのあるキャンプ・サイトがある。」
「君が先に MTR に着くと思う。その時は、ジェイムズ・ベッセリと一緒だと言っておけ。たしか、予約確認の書類をメールしたと思う。」
サンホアキン川との合流点が近づくと、平坦になり、キャンプ・サイトがいろいろあった。問題は川の傍で休憩しているハイカーが三名いたことだった。一人は水を汲みに川に下りて行った。男のハイカーに聞いてみた。
「ここでキャンプするのか。」
「いいや。休憩だけなんだよ。もっと行くというんだ。エボリューション・クリークの渡渉まで。まったく酷いや。」
「いまからか。遠いよ。そういうのをヘル・ハイカー (Hell Hiker, 地獄のハイカー野郎) というんだよ。」
これはシュルーマーに習った単語である。休憩を 5 分で切り上げようとすると、彼にヘル・ハイカーと言われた。
ここでキャンプしたいというと、わざわざ、奥の場所を教えてくれた。完全に平坦で焚火ができる岩のサークルもあった。テントの写真はとり忘れたが、明日は MTR に到着間違いないので、図 8.29 のゆつくりと夕食をとった。だれも来なかった。たった一人のキャンプだった。問題が一つ、ガスの残りが 5g ほどしかない。食料は VVR で補給するが、MTR に売店がなければガスはどうしようもない。最悪の場合は、コールド・ソーキング (水でふやかして食べる方法) しかない。
なお、正確なガス残量を調べる方法を図 8.30 に示しておく。誤差はあるが、最初にガス・キャニスターを吊るして目盛りをゼロにする。次に外すとマイナスの数字がでる。それを%に換算するだけである。MSR に専用の秤はあるが、誤差は同じなので、旅行用秤を使えばよい。食料の重さを測る時にも使える。筆者の場合は 1kg/日ならば問題はない。
<第9章へ続く>
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国立大学元教授であると同時に『ハイキング・ハンドブック(新曜社)』や『米国ハイキング大全(エイ出版)』など独自深い科学的見地から合理的なソロ・ハイキング・ノウハウを発信し続ける経験豊富なスルーハイカーでもある村上宣寛氏の新著『ハイキングの科学』が、Amazonにて絶賛発売中です。日本のロングトレイル黎明期からこれまで積み重ねてきた氏の経験と、ハイキングや運動生理学をはじめあらゆる分野の学術論文など客観的な資料に基づいた、論理的で魅力たっぷりの、まったく新しいハイキングの教科書をぜひ手に取ってみてください。
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1950年生まれ。元富山大学名誉教授。専門は教育心理学、教育測定学。アウトドア関連の著作は『野宿大全』(三一書房)、『アウトドア道具考 バックパッキングの世界』(春秋社)、『ハイキングハンドブック』(新曜社)など。心理学関係では『心理テストはウソでした』(日経BP社)、『心理学で何が分かるか』、『あざむかれる知性』(筑摩書房)など。近著に、グレイシャー、ジョン・ミューア・トレイル、ウィンズといった数々のアメリカのロングトレイルを毎年長期にわたりハイキングしてきた著者のノウハウ等をまとめた『アメリカハイキング入門』『ハイキングの科学』(アマゾン)がある。
































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