
パックラフトを始めたくて中国四川省へ行ってきた話【後編:MRS 創業者インタビュー】
前回はパックラフト・メーカーMRS訪問のきっかけと中国訪問の様子をレポートしました。
前回の記事
今回はついにMRS創業者兼デザイナーの羅さんへのインタビューの模様をお伝えしていきます。
場所は成都の郊外にあるMRSオフィスにある一室。ショールームともつながっているその部屋には、MRSが作ってきたパックラフトや関連アクセサリー製品やずらりと並び、壁には中国でのパックラフトの発展の様子が一望できる、まさに中国のパックラフトの”今と昔”が体感できる部屋でした。
目次
子供時代のアウトドア体験とパックラフトとの出会い
そもそも中国といういわゆるアウトドア発展途上国で、なぜ世界レベルの高品質な本格パックラフトメーカーが生まれたのだろうか。まずはどうしてもそのアウトドアとのかかわりの原点を尋ねずにはいられませんでした。羅さんの過ごした幼少時代はどのようなものだったのでしょう?
子どもの頃は教師をしていた父親がよく外遊びに連れてってくれました。
当時はまだもちろん「アウトドア」という言葉はなく、これといった呼び方の定まったアクティビティをしていたわけでもなく。覚えているのは、家族で一緒に長距離の路線バスに行き先を決めずに乗って、「この駅名は素敵だな。じゃあ今日はここに行きましょう」という具合に気が向いたバス停で降りるんです。お父さん自体もそこがどこなのか分からないというのがいつものことでした。そこから興味に任せてそのエリアを探検します。疲れたら素足で歩いてみたり、そこの農家の人たちを訪問したりするとご馳走してもらったりとか、その周辺の田舎全体を冒険のフィールドにして、毎週のように遊んでいました。
他の友達はみな塾に通ってましたから、今から思うと他の人とは違った子供時代だったかもしれませんね。
この経験は自然の価値を知るだけでなく、人としての成長にも役に立ったように思っています。そこでは行く先々で当然知らない人と出会っていろんな話をするんです。そのおかげで人とコミュニケーションをとったりすることが苦にならなくなったし、人と打ち解け合うようになるためのスキルというか、広い意味での順応性が鍛えられましたね。
現在のパックラフトづくりに繋がるような「ウォータースポーツ」について、小さい頃の思い出で覚えていることはあるのでしょうか?
5~6歳から遊びの中でよくやっていたもののひとつが船を漕ぐことでした。その時は確かカヌーとかでしたね。
お父さんがとにかく交渉上手というか、コミュニケーション能力が高くて。当時は当然自分でカヌーを持っていたわけではないので、カヌーで遊ぼうとするとレンタルするしかないんですけど、でも当たり前ですが好きなだけできるほど安い分けはないですよね。そんな時にお父さんは「今はお客も空いているみたいだし、我々が楽しんでるのを見たら他の人がやりたがって、お客が集まるよ。それって広告になるだろうから、タダで使わせてもらえませんか?」とか言って上手く交渉して、無料で借りてくれたりしてましたね!
ちょっとしたエピソードではありますが、今振り返ってみると、こういう体験から私は「可能性は無限に広がっている」ってことを子どもながらに身をもって学んでいた気がします。目の前にレールがなくても、地図がなくても、前例がなくてもやりたいと思えばやってみればいい、自分が作りたいと思えば何でもやってみようというような性格は、こうした経験から育っていったのかもしれません。
パックラフト開発のきっかけ
子どものころから遊ぶ専門で育ってきた羅さんが、いつごろなぜ自分でパックラフトを作ろうと思ったのだろうか。パックラフトづくりの原点は、やはり遊びの中での創意工夫から始まっていました。
そんな感じで昔から自然の中で遊ぶことが日常にあったなかで、自ら作ろうと思ったのは、遊びの中で使っていたボート(その当時はカヤック)をどうにかもっと自分が使いやすいものにできないか?というふとした欲求がきっかけでした。もちろんその当時は仕事をしていましたから、当時はこれをビジネスにしてやろうという野望なんてまったくありませんでした。
だからこそ逆にコストなどはまったく度外視で、自分自身が一番使いたいと思うものを作ってみたんです。部品も当時入手できる最高の素材を使ったりしました。こうして出来上がったボートには自分自身も満足でしたが、それ以上に友人たちからも好評で、彼らのためにボートを作ってあげたりもするようになりました。
そのうちに、カヤックだけでなくいろいろなスタイルの船を研究するようになっていったのですが、さまざまなパドルスポーツの中からいつしか私はパックラフトに注目するようになっていきました。軽量で手軽、寒い地域でも破損しにくいTPU素材の特性が、中国とりわけ四川での川遊びには最も適していると考えたからです。
ちなみに当時の中国におけるパックラフト市場は、国内製品では満足いくようなメーカーや製品はなく(今もほぼ変わっていませんが)、海外からの輸入がほとんどで、アフターサービスなどは期待できない状況でした。そんな事情もあって、欲しいものは自分で改良したり、作ったりするしかなかったのです。もちろん最初は今でも尊敬すべきトップメーカーであるAlpacka Raft(アルパカラフト)社の製品などからヒントを得たりしました。ただよりアジア人の体格に合わせたサイズで、構造的にももっと柔らかいデザインなど、細かい部分でより私たちにフィットする製品を目指し、事業として一から新たにパックラフトを作るチャレンジを始めました。
製品へのこだわり
中国国内には十を超えるほどパックラフトメーカーがあるといいます。しかしそのほとんどが格安の模倣製品を製造しており、MRSのように品質とオリジナリティにこだわった、海外ブランドと勝負できる「本物」を作るメーカーは少ない。MRSのパックラフトは、他メーカー等と比べて何が違うのか?
そこには自らが生粋のアウトドア愛好家であり、そしてゼロから一人で続けてきた長年の制作経験を積み上げてきた羅さんだからこそ分かる深い洞察がありました。
MRSの製品で一番重要だと考えているところ、あるいは「こだわり」は、一言でいうならばそれは「バランス」だと考えています。パックラフトという製品の性能や品質には、軽さや耐久性、安定性、直進性、操作性、使いやすさなど、さまざまな要素が複雑に絡み合って一つの製品として存在しています。それらを、多様なニーズやコンセプトに合わせて、最終的に製品としてどのようなバランスに落とし込むかが最も重要で難しい点です。受けがいい要素を寄せ集めて一つにまとめてみても決していい製品は作れないのです。他ブランドの製品も参考にすることはありますが、その時でもただ良い部分を取り入れるということではなく、MRSのバランスのなかでどう活かせるのかが大事ですね。
その他、生地は納得のいく品質のものを独自に開発しているということも重要なこだわりのひとつです。例えばドイツ製のポリエステルTPUや台湾製のナイロン66など、国内外に限らず優秀な素材を求め、また個々の工場に対しては細かく指定して、常に最高の素材を厳選しています。もちろん、これが終わりではありません。常に最先端をキャッチアップして、今でもより良い素材や良い工場があると聞けばすぐに自分で足を運んで確認するなどして、さらなる改良への努力を続けています。
パックラフトだけでなく今ではPFD(ライフジャケット)やバックパックなど多様なアクセサリを手掛けていますが、新製品の開発にはデザインから素材探し、テスト、改良まで最低でも1年以上を要します。休日家族と川で遊ぶ時も、テストを兼ねて新しいモデルを試していたりすることが日常で、テストをしていない時期はないといっていいくらい、いつも何かしらのプロトタイプをテストしています。それ以外にも現場からのフィードバックを重視してデザインに反映させ、反映させたモデルもまた現場でテストする。ファーストバージョンの製品をリリースした後も必要があれば改善を続ける。この繰り返しを続けることで、実際にユーザーが求めている使いやすさとバランスが完成します。とってつけたように部分的に真似た模倣品にはこうしたプロセスがないので本当の意味でのいい製品にはなっていません。MRSの大きな強みじゃないかと思いますね。
羅さんのアウトドアライフとパックラフト市場のこれから
休日は家族でアウトドアを楽しむことが多い羅さんは、中国でのアウトドアに対する意識や関わり方の変化をどうみているのか。そして世界のパックラフト市場は今後は? 日本市場へ今後本格的に参入していくことについてどのように考えているのだろうか。
休日は家族との時間を大切にしています。ハイキング、サイクリング、そしてもちろんラフティングと、家族みんなでフィールドに出かけます。成都は車で30分ちょっとですぐに行ける山や自然があって、そこは週末多くの人でにぎわいます。ただ私たちはそこではなくあまり人の行かないようなエリアに足を運ぶことが多いです。本格的な登山も、車を3時間ほど走らせれば大きな山(四姑娘山)がありますし、それほどに成都は自然に恵まれています。
ただ中国のアウトドア(パックラフト)市場全体という点では、創業当時(2010年前後)は中国パックラフト市場なんてほとんど存在しないといってもいいほど小さなものでしたし、北京五輪がきっかけで少し盛り上がったことがあったとしても、まだ一般の人々の間にレジャーにお金を使うという意識も余裕もまだそれほどなかったように思います。その後コロナ禍でアウトドアへの注目も高まりましたが、その反動などもありまだ国内にアウトドア文化が根付いているとは言えないのが現状です。もうひとつ中国市場の発展を難しくしている理由に、知的財産権の保護が不十分であることも挙げられます。せっかくの新製品も国内で展開するとデザインを含めてさまざまな盗用リスクが高いため、多くのコストをかけた開発が無駄になる可能性が中国市場はとても高い。
このため、MRSにとって最も重要な市場はやはりまだ海外です。一口に海外市場といっても、経験上、地域や国によってニーズやビジネス慣習が大きく異なっていることをよく理解しています。それは日本にも言えること。こうして現地の市場を知る人々から生の情報を得るなどして、事前調査にも多くの時間をかけ、地元の代理店との連携を大切にしながら丁寧に進めていっています。
ただそれでも私たちは、国内市場を諦めているわけではありません。今では常にネット上など含めて知財管理のプロによるチェックする体制を整えるなどしてトラブルを未然に防ぎながら、市場での健全な拡大を目指しています。他方MRSとしても、国内でパックラフトユーザーを増やすためのさまざまな試みを続けています。たとえばオンライン・オフライン問わず1年を通じてさまざまなイベントを実施して、アウトドアに興味がなかった人々が、はじめてでも身近に体験できるようなアプローチも工夫しながら進めています。ちょうどこの2日後に、成都市街から千年の歴史を持つ楽山大仏をパックラフトで見に行くというパックラフティングイベントを行いますが、そこにはまったくの初心者も含めて200人以上もの参加者(133艇)がエントリーしてくれました(イベントの模様はこちらのレポートを参照「Paddle Leshan, Marvel at the Giant Buddha 2025」)。パックラフトの人口はまだ登山やサイクリングほどではないとはいえ、着実に増加していっていると実感しています。
その他、MRSでは四川省の奥地「四姑娘山自然保護区」に生息する絶滅危惧種であるユキヒョウを含めた高山生態系の保護プログラムを地元の大学と共同で進めています。そうした活動も含めて、これからも持続可能なかたちでパックラフト文化を根付かせていくためのさまざまな活動を続けていきたいですね。
まとめ:いいものを作ろうとするメーカーに国境は関係ない。あるのは自然に対する敬意と好奇心、使い手に対する誠実さ
MRS(Instagramアカウント)
インタビューは2日間にわたり、ここに書いてあること以外にも多岐にわたる話題について語ってもらったり、こちらからも日本のことを伝えたりと、初めて会ったにもかかわらずあっという間に時間が過ぎていくような、濃密な時を過ごすことができました。そのなかで何よりも強く印象に残ったのは羅さんの(その外面の印象からは想像できないほどの)国籍やら肩書やらを越えた、人としての強さです。
アウトドアに対する情熱と敬意や、誰に対しても真摯に向き合える懐の深さ、逆境に負けない強い意志と胆力、子どものような好奇心など、羅さんの発する言葉の端々から感じられ、その重厚な人間性のすべてがMRSというブランドに宿り、製品として形作られている。そんな人が作る道具に囲まれていたい、そんな道具で自然に向き合うことができれば、これほど幸せなことはない、そう思わずにはいられませんでした。
これからもますますパックラフト、そしてMRS製品に目が離せません。これからMRSでのパックラフト体験記事をぼちぼちスタートさせていきますので、そちらもぜひお楽しみに。