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世界中のロングトレイルを歩いたプロハイカー斉藤正史さんに聞く。歩くこと、旅すること、道具のこと

このコンテンツは日本ガス石油機器工業会の協力でお送りしています。

子どものころから自然は一番の遊び場だった。

故郷の山形に帰ってきてたまたま眼に入った海外のドキュメンタリー番組。

北米の3,500kmにも及ぶアパラチアン・トレイルに挑もうとする青年たちをみて、

なぜだか「自分もここに行きそうな気がする」という予感がした。

それから2年後、まだ片手で数える程の日本人しか歩いていなかったこのトレイルの入り口に立っていた。

以来、トレイルを歩くことの魅力を広く伝えるための道なき道を歩き続けている。

なぜ歩き続けるのか。

スルーハイクの醍醐味とは。

ゼロの状態から何を、どうやって準備し、旅を続てきたのか。

旅の道具を選ぶときに考えていることは何なのか。

これまで世界中のロングトレイルを踏破してきたプロハイカー斉藤正史さんに、トレイルを歩くことや、トレイル・カルチャーについて、そして自分の道具との出会い方について聞いてみました。

山形の野遊び好きが、導かれるように北米ロング・トレイルへ

生まれたのは山形県新庄市。父が国鉄職員でしたので転勤は多かったのですが、最終的に父が「雪の多いところに戻るのやだ」といって今の上山市に落ち着きました。父は山も、釣りも、バイクも好きっていう人でしたので、その影響はもろに受けましたね。子どもの頃から父のバイクの後ろに乗ったり、山へ山菜を採りに行ったり。もれなく私も全部やってます笑。

 

学生の時に一度東京に出てきて、そのまま一旦東京で就職しました。ただ父が亡くなったのをきっかけに、自分は長男で当時高校生の妹がいたので山形に戻ることにしたんです。そこからまたバイク、釣り、ツーリング、キャンプや山歩きだのっていう暮らしに戻ったんです。

 

そんなある時ふと、夜中にBBCか何かだったかと思うのですが、多分アパラチアン・トレイルを取り上げているドキュメンタリー番組が流れていたんですよ。それは何人かのハイカーを追った内容で、そこには若いハイカーがアパラチアン・トレイルをスタートするというシーンがあって。「これから行ってくるよ」なんて言って、その子がトレイルを歩いていった姿を観たそのとき、なぜだか分からないんですが、「俺何か行きそうな気がするなぁ」っていう予感がしたんです。少なくともその光景だけはずっと頭の片隅に残っていました。それが2003年の出来事。

 

その後、妹の結婚と、当時勤めていた会社での転勤話が重なったタイミングで、あの予感が急にまた自分の眼の前にフワッと姿を現したんです。そこで「あれ、このタイミングだったら行けるんじゃない?」って。親族や同僚、周りの友人に相談してみても「お前らしいよ」と、みんなどこか背中を押してくれるし、妹は一言「(お兄ちゃんこれまで頑張ってきたから)いいんじゃないかな」。これでもう迷いはなくなりました。

北米へ出発したのは2005年。当時はまだ「ロングトレイル」という言葉もまったくといっていいほど知られてない時代で、ロングトレイルを歩いたことのある日本人はおそらく累計でも5人程度だったと思います。

 

そしてアパラチアン・トレイルへ

最初の旅はまったくといっていいほど何にも分かっていませんでした。英語も大して分からない、資料を取り寄せようにもどこから手をつけてよいやらで、何もかもが手探りで。幸いAmazon.comは存在していたので、何とかガイドブックを手に入れることくらいはできました。そんな感じなので、とりあえず出発するまでの準備だけしてあとはもう現地で全部調達するしかないと、最後は運を天に任せて旅に臨みました。

山の中のニューハンプシャー州とメイン州の州境

するとたまたま同じバス乗り場にいたハイカーが「割り勘していくと安いから一緒に行こうよ」なんて声をかけてくれたんです。そこから彼が3日間ぐらい一緒に歩いてくれました。彼はハイカーを紹介してくれたり、これはこうやるんだよとか、トレイルではこういうの食べた方がいいよとか、ずっと教えてくれて。彼とはスピードが違うので途中で別れたのですが、その後もさまざまな場面でいろいろなセクションハイカー(ロングトレイルの一部区間を歩くハイカー)と出会っては「アメリカはね、熊とアイコンタクトすると危険だからサングラスしてた方がいいよ。次の町でサングラス買いなよ」とか、「crocs(クロックス)っていう新しいサンダルがすごく便利だから履くといいよ(当時まだクロックスは日本に輸入され、流行する前でした)」とか、本当に親切に教えてくれました。

 

当時はネットが発達していないので、トレイル上のシェルター(避難小屋)に置いてある「レジスター(ハイカー同士のコミュニケーションが目的の連絡帳)」も貴重な情報源でした。そこには「ここの街のここのピザが旨いよ」とか「このお店のこれは酷いよ」とかが書いてあったり。美味いピザの情報があればみんな「ピッザ、ピッザ」とか「ビーア、ビーア」とか言いながら歩いてましたね。今思うと、自然が好きという一点で心が繋がれる、そういう素朴な出会いが自然にあった時代だったんですよ(もちろん、トレイルに入るのに他力本願でいいという訳ではないです)。

2人用の小さなシェルター

でもこれって実はアパラチアン・トレイルの魅力でもあって。さまざまな場面でさまざまなコミュニティに接することができて、いろんな人の応援やサポートや、多くのトレイルマジック(トレイルでの幸運な偶然、一期一会の素敵な出会いなどの総称)を浴びながら自然の中を歩き続けることができ、最後にみんなでゴールしていく。この体験でトレイルが好きになって「じゃあ次はPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)行こう」みたいになっていく。そんな意味でアメリカでは、地味だけど最初に挑むトレイルとして理想的なのがアパラチアン・トレイルなんです。

 

加藤則芳さんがトレイルとの向き合い方を教えてくれた

加藤則芳さんに出会ったのもこのアパラチアン・トレイルでした。

バックパックが途中で壊れたため、とある街に滞在せざるをえなくなってしまって。朝早くオープンと同時に店の中に入って、あーでもないこーでもないと3時間ぐらい荷物を詰めたり出したりしながら吟味して、やっと一番店で大きいバックパックを購入して、荷物を全部パッキングし直して、さあ出発とドアを開けたときに、アジア人らしき風貌の誰かとすれ違ったなと思ってふと振り返ったら、それが加藤さんでした。お互い「斉藤さん?」「加藤さんですか?」という感じで。実は加藤さんも地図を紛失してしまって偶然この街に立ち寄ったのだとか。それで「せっかくだから、ピザ食べよう」となりました。

当時からスルーハイカーの第一人者であった加藤則芳さんは、街で偶然出会ったばかりの私に、ピザを片手にいろいろな話しをしてくれました。いろいろすぎてすべてはっきりと記憶しているわけではないのですが、今でも覚えているのは、加藤さんはこのトレイルを歩くことでアメリカの社会の実像が見えてくるといっていたことです。だから自分はこういう角度からもうちょっとトレイルにアプローチをかけたいんだって話をされていて。その時の私の低い意識ではまったくチンプンカンプンだったのですが、熱弁していたことは今でも忘れられません。実はこの後もう1回お会いしたときにもそういう話をされていて、同じトレイルを歩きながら自分とはまったく異なる目線で世界を眺めているんだなぁと、新鮮な刺激を受けました。まぁでも、その時はそこまで深く理解できていたわけでもないと思うんですけど。

でも、加藤さんの意思を継ごうと決心した今は、トレイルを歩きながら彼が話されていたことをすごく実感するんです。日本からニュースで聞いていた話も、実際にトレイルでさまざまなバックグラウンドの人たち(トレイルでは本当に多彩な人々と出会う)に会うと、単純に白か黒かではない、多様な見方があるということが分かります。そのどちらが正しいということではなく、どちらも現実なんです。私にとってトレイルを歩くという行為は、大自然に分け入る充足感や達成感はもちろんなのですが、それだけではなくて、旅のなかでいろいろな人と直に触れ合うことでテレビのニュースなんかで得る知識とは違った現実を体感することもまた同じくらい重要なんです。

 

そういう意味では日本だと「みちのく潮風トレイル」はぜひ歩いて欲しいトレイルのひとつです。震災から復興したとされるあの地域を、遠くから眺めて帰ってくるのではなく自然の中も含めて実際に歩いてみると、テレビで報道されるような加工された情報の先にあるもっと生々しい実態とか、空気感みたいなものが分かるはずです。延々と続く高い防潮堤のいびつさや違和感は、実際に現地に行ってこの眼で見ないと分からないし、ぜひその違和感をもっと感じて欲しいっていうのは、あるんですよ。そうやって実際に現場に触れたりいろんな人の声を聞いて、自分のフィルターでうまく理解したらいいなっていうのはありますね。

加藤則芳さんは亡くなる前に「生まれてきて自然の中に(直接的に)関わらないでも、生まれて死ねる時代になっちゃったんだよね」なんてことをよく言ってました。それでいいという人もいるかもしれないけど、私はそういう人たちに、自然の価値を知ってもらうための入り口というか「自然にちょっと入ってみようかな」と思ってもらえるような入り口を提供する活動ができればなと、何となくうっすらと思ってて。生き物としての人間に眠っている自然の心地よさとか、かけがえのない価値に少しでも気づいてもらえれば、少しは人間以外の生物の気持ちも分かるかもしれないし。そういう人たちが増えれば、いろんなことがまともになってくるんじゃないかな。「いつか海外のハイカーが日本のトレイルを歩いてる姿が当たり前になる日が来たらいいよね」。加藤さんがまだご病気になる前から、そんな話をよくしてましたね。パウダースノーの日本だけじゃなくて、3シーズンも歩いて欲しいなっていうのはありますね。

 

道具選びは「自分にとっての最小限+α」がちょうどいい

自分がトレイルに持っていく道具はなるべく軽いものを選んでるつもりではあるんですけど、結局持っていく物の数自体が多いので、最終的にバックパック全体の重量はまったく軽くないですね笑。

 

特に寝るものに関しては、重さのリミットなどを考えず、とにかく納得のいく快適さを確保するのがこだわりです。長いトレイルを歩くには寝てる間にしっかりと体力を回復する必要があります。重さをケチって寒い思いして寝るぐらいだったら、私は必ずオーバースペックでもより温かいものを持っていきたいですね。

 

ハイカーの中には、目的達成のために道具を中間地点で交換しながら歩くっていう人もいます。その方がより軽い装備で、より速く歩けるし、成功確立も上がりますから。ただ私の場合、たとえスピードが上がらなかったとしても、これと決めた装備ではじめから終わりまで通して歩くのがハイカーなのかなって。その自然に適応していくこと自体を楽しみたいというか、どっちかというと自然の中にどっぷりと浸かることを楽しみたいんです。そういう意味で、自分の装備リストのコンセプトは、最低限(最軽量)というよりは「自分の中での最小限」というのがしっくりきます。

トレイルを歩いていると、自分自身のこだわりもってる方は結構多く、一見「何でこれ持ってるの?」っていうようなものを携行している方がまあまあいるんです。でもそれが逆に参考になるし、そういう他のハイカーのこだわりに出会うのも旅の醍醐味だったりします。

 

私の場合、例えば2012年のときにアッシュランドっていう街で偶然見つけたこの竹製のカトラリーをずっと使ってて(To-Go Ware。現在は日本でも購入可)。これは一見かさばるし軽くないし、あまり機能的には見えないかもしれないのですが、シンプルで使いやすく、バターがとにかく塗りやすい。向こうではトーストやベーグル、イングリッシュマフィンと大活躍してくれます。あとこの竹っていう素材が、使っている時になんともいい感じなんですよね。もちろんもっと軽くてコンパクトなのに越したことはないんでしょうけど、自分にとっては、くつろぎたい時間にペラペラのスプーンとかで切り詰めている感じがどうしても微妙に好きになれなくて。

このクピルカ・カップも一見「わざわざこんなにかさ張るものを」と思うかもしれませんが、自分はこれで暖をとりながらコーヒーを飲むと、何か「あー飲んでるなぁ」っていう心地よさで満たされるんですよね。小さなことなんすけど、バックカントリーという完全な非日常空間だからこそ、なんというか、日常を捨てたくないというか。少しでも日常を残すことで、緊張感がほぐれてありのままでいられるというか。まぁこういうのが積み重なって荷物はどんどん増えていくんですけど、長くトレイルを歩いていると大事だったりするんです。器が違うだけでコーヒーがおいしくなるのなら、こっちの方がいいじゃん!って思っちゃう。

旅の目的が「スピード」でなければ、何から何まで「軽さ」が正義ということではないと思うんですよね。だから感性で譲れない部分は(必要な性能をクリアしたうえで)自分の「好き」を優先すればいい。そこにその人の個性が出るんじゃないかと。例えば寒さを我慢できる人はダウンジャケットを薄くすればいいし、寒さが苦手だなっていう人は、ちょっと厚めにするとか、もう一枚持っていくとか。

 

荷物や装備って、教科書に沿うことは全然ないと思うんです。少なくとも私のスタイルはそう。「これが正解」というのではなくて、自分の体に合わせて「自分にとっての最小限、プラスα」がちょうどいいんじゃないかなって、そんなことを考えててます。結果的に私のスタイルは、周りから見ると普通に荷物を持つタイプなのかもしれませんが、うん、それも人それぞれだから。どれをチョイスしするのか、それが結果的にウルトラライト寄りなのか、クラシックスタイルなのかっていうのは、あとで考えるとそうなのかなという程度でいいんじゃないかなと。

斉藤さん流、「自分の道具」との出会い方

私の道具選びは、情報が少ない時代だったからこそ最初から信頼性の高いスマートなリストなんかがあるわけでなく、手探りでの試行錯誤と一期一会の出会いによる失敗や発見といった生の経験の積み重ねでした。言葉にするとかっこいいかもしれませんが、実際のところは想定外のことだらけですから大変です。アパラチアンではテントを途中でハンモックテントに変えましたし、靴は通算3足買い直してます。バックパックは4つ壊して交換してしまいました。

2足目のブーツ(ニューハンプシャー州)

ストーブも、特に自分は「◯◯派」ということはなく、その時々の時代やトレイルにあった燃料・モデルを選んで使ってきました。私がトレイルを歩き始めた2005年というのは、アウトドア用のガスカートリッジがそもそも入手しづらくて、みんなアルコールストーブを使っていました。でも2012年には、逆にアルコールストーブの人はほぼ私らのような前から歩いている人だけになっていて、燃料の主流は完全にガスになっていたんです。そのときはさすがにジェネレーションギャップを感じました。昔と比べて格段にガスが入手しやすくなったということもあるのでしょうし、今では山火事の原因になるからといってアルコールが禁止になっている区間もあるくらいで、状況は常に変化しています。

 

2013年にCDT(コンチネンタル・ディバイド・トレイル)を歩いたときには、いろんな製品を現地で片っ端から試してみたりして最終的に選んだのが、SOTOさんのガソリンストーブ(ムカストーブ)でした。これはレギュラーガソリンも燃料として使用できるストーブで、やっぱり燃料の手に入りやすさからいくとやっぱりアメリカではこれが一番融通が利くなと。CDTも、ニュージーランドもこれで行きました。

次にオーストラリアに行ったときは、ガソリンが買いにくい状況だったので困りました。そこで急遽、ガスバーナーで対応し、途中からはガスとガソリン両方使える最新モデルを使わせてもらいました。ガソリンはやっぱりガスよりもまだまだコストが安いので、私にとってはどちらも対応できるこのモデルが今でもファーストチョイスになっています。こんな感じで火器についてはこれと固定せず、時代ごと、トレイルごとに最適なものを考えて使うようにしています。

ビバルマントラック(オーストラリア)

そうやっていろいろな道具を使ってきても、結局どんな道具も「使わないと分からない」なってところにいきつきます。自分にとっては性能が優れていても、誰かがおすすめしていても、最終的に実際に「手に取ってみる」っていうことがものすごく重要です。火器に限らずですが、トレイルを歩くって例えば怪我してもすぐ病院があるわけではないので、すぐ休めるわけではないじゃないですか。だましだまし歩きながら治していかきゃいけないので、その意味では自分の体のことを把握しなきゃいけない。

 

道具も同じで、途中で壊れてたとしても(当時は簡単に買い替えたり取り寄せたりができなかったので)その道具をどうにかして延命させていかなきゃいけないから、その道具のことも把握しなければいけない。私にとってロングトレイルを歩くのは、生きるための総合力がものすごく試されてるっていう気がしていました。だから道具選びに関しても、実際の肌感覚の合う・合わないを大切にしたいと思うんです。それはやっぱり使わないとやっぱり分からないし。その意味では自分はこれって決めないで、これからも新しい道具にはどんどんチャレンジしていきたいですね。

これからトレイルに向かうハイカーのみなさんへ「燃焼器具を使うならこれだけは覚えておこう」

ガソリンストーブもガスストーブも取扱いの注意は同じですが、今回はガスストーブを例にお伝えします。

1. 知らなかったではすまされない!「一酸化炭素中毒」には要注意

ストーブやランタンなどのガス器具を使用する際に最も気をつけなくてはならないことの1つは、一酸化炭素中毒による事故。アウトドアに限らず日本中で毎年のように事故が起こっています。ガス器具を使用するのであれば、何よりもまずこの危険について知っておきましょう。

換気が悪い場所でガス器具を使用すると燃焼に必要な酸素が不足するため不完全燃焼を起こし、一酸化炭素が発生します。それを吸い込むと血液による酸素の運搬が阻害され、全身の細胞や組織が酸素不足に陥ってさまざまな症状を引き起こし、最悪の場合は死に至ります。これが一酸化炭素中毒です。

何が恐ろしいって、自分が今一酸化炭素中毒にあるかどうかの明確なサインがほとんどないということ。一酸化炭素は「無色無臭」のため発生しているかどうか判断しづらく、さらに一酸化炭素中毒の自覚症状というのが初期の場合で「頭痛、吐き気、めまい、集中力の低下、嘔吐、眠気」など、一般に風邪(インフルエンザ)の症状によく似ているため気づきにくい。中等度または重度にまで進行すると自力で動くこともできなくなるためもはや手遅れ。一酸化炭素中毒が「いつの間にか死に至る病気」と言われる所以です。

このように厄介で恐ろしい一酸化炭素中毒にかからないようにするためには「一酸化炭素が発生するような状況をつくらない」ことに尽きます。外が寒いからといってテントやクルマ、その他密閉された屋内でガス器具を使わないということを徹底しましょう。万が一上にあるような症状が「おかしいな」と思う状況になったら、すぐに新鮮な空気のある場所に移動することを心掛けてください。

テントなどの室内でガス器具を使用するのは危険。

 

 

2. トレイルに持っていく前に、きちんと使えるか、Oリングのチェックも忘れずに

「Oリング」は、ガス器具とガスカートリッジを接続させる部分についているゴム製リングのこと。このOリングはゴムでできているため、たとえ使わなくても時間と共に劣化していく消耗品です。

Oリングの劣化は気づきにくいが、念の為のチェックが必要

そこで大切なのが、劣化のチェック。一部が切れていたり、ささくれていたり、ひび割れていたりしませんか? 縮んだり、硬くなっていたりしても、それは劣化の合図。ガス漏れによる事故(火傷、火災、破裂など)を防ぐため、山に行く前に必ず”目視”で、異常がないことを確認してからパッキングするようにしましょう。

ちなみに、10年以上前から交換しないでいたOリングと新品のOリングを比較したのがコチラ【Oリング写真】です。やや縮んでおり、くっきりと凹んだ痕がついてしまっています。表面もボソボソで、弾力もなくなっています。一方新品のOリング(下写真右側)は表面もツルツルで弾力性もあり、違いは一目瞭然です。

【Oリング写真】左が経年劣化したOリング。表面に傷がつき、弾力性が失われ、圧力によって型が付いたまま戻らなくなってしまっている。正常なOリング(写真右)との違いは一目瞭然。

ガスカートリッジを取り付けた状態で異音や異臭がした場合は絶対に使用せず、異常がある場合は販売店やメーカーに相談しましょう。またメーカー指定の純正Oリング以外は絶対に使用してはいけません。Oリングを交換していても、物には寿命があり見えない劣化があるかもしれません。ストーブも10年を目安に買い替えをおすすめします。

3. 購入する前に!日本で使用するそのバーナーに「PSLPGマーク」はついてる?

日本でガスを燃料としたアウトドア調理バーナーを販売するには、「PSLPGマーク」の取得が義務付けられています。「PSLPGマーク」とは、厳しい検査を合格し国が定めたガスこんろの基準に適合しているマークのこと。いわばこのマークのついた製品は、「法律で定められた検査に合格していますよ」という証です。しかし近年、この「PSLPGマーク」を取得していない輸入品がインターネット上を中心に数多く出回っています。

PSLPGマークは製品本体に付属・表示されているため、取得の有無は購入前にお店で確認する。

むろん、このマークがついていても、各々が正しくガスこんろを使わなければ100%安全とはいえませんが、ついていない製品は法律で定められた検査に合格していない製品です。安全な登山のためには、必ず「PSLPGマーク」があることを確認してから購入するようにしましょう(マークがあるかどうか分からない時はお店の人に聞いてみましょう)。

監修:日本ガス石油機器工業会 → https://www.jgka.or.jp/index.html

斉藤正史 プロフィール

2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22,000km(地球半周以上)を超えた。また、アウトドア全般に活動しており、キャンプやクラフト、スラックライン、トレイル御飯などの講師なども行っている。

斉藤さんはライフワークとして地元山形にトレイルを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」をおこなっており、今年は初心者の方でも気軽にチャレンジ出来る「白鷹丘陵トレイル」を整備中。その他プロジェクトについて興味のある方はぜひこちらのページから詳細をご覧ください。→YLTクラブホームページへ